伝説紀行 蛇淵のカッパ  星野村


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第120話 2003年08月17日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

蛇淵のカッパ


07.05.13

福岡県星野村


星野の蛇淵付近(2010年4月28日撮影)

相撲大会の常連

  江戸時代、筑後地方では相撲が大変盛んだった。あちこちで奉納相撲大会が催され、その都度遠方から力自慢が集まってきた。お陰で、ご当地出身の名力士にはこと欠かなかった。
 日田の豆田に住む岩持頑右衛門もその一人。相撲大会と聞けば、例え筑前でも薩摩まででも、褌一つ担いで気軽に出かける。帰りには賞品の米俵や野菜を持ってくるから、おかみさんもそんなにうるさいことを言わなかった。写真は、最近の横山川
 今日も今日とて、「行ってくるよ」とひと声かけて家を出た。行き先は筑後の上妻郡八重谷村(旧上陽町)の天満宮奉納相撲大会である。筑後川沿いに千足(現福岡県浮羽町)まで下りてきて、それから耳納山の合瀬耳納峠を越えて星野村に出る。更に星野川を2里(8`)ほど下った横山川のほとりが八重谷村である。頑右衛門にとって、そのくらいの山道ならどうということはない。それどころか、大会で優勝して観客から拍手喝さいを浴びる光景を思い浮かべているうちに、いつの間にか目的地に着いてしまうのだ。

軟体動物踏んだら急に寒気が

 予定通り、並み居る強豪を撃破して栄冠を手にした頑右衛門が帰途についた。未だ川に架かる橋などいくらもなかった時代である。肩には米俵を担いで、「よっこら、よっこら」ひと山越えて再び星野川沿いを登っていく。星野村に入ると、蛇淵を渡らなければ先に進めない。当時は今以上に川がぐにゃぐにゃ曲がっていて、あちこちの深い淵が不気味に澱んでいた。標高500〜600bをわずか10`足らずの距離で駆け下りる星野川は、けたたましい瀬音を響かせながら流れ落ちている。
 頑右衛門は、着物の裾をからげて、米俵を担いだまま蛇淵を渡った。20間(36b)ほどの川幅を、急流に足をとられないよう慎重に渡った。その時、何やら柔らかいものを踏みつけたような気がした。同時に足元から水しぶきが激しく上がった。「なまずのでかいのでも踏みつけたばいね」なんて考えながら向こう岸を目指していると、突然背中がブルッと震えて、寒気が全身を走った。丈夫だけがとり得の頑右衛門にとって、こんな経験は初めてである。やっとの思いで向こう岸に着いたが、震えはおさまりそうにない。それどころか、膝のくるぶしが痛くて、歩くことさえ難しい。
「仕方なか、今夜一晩だけ泊めてもらおう」

夜中に誰かが呼んでいる


 相撲取り仲間はあちこちに散らばっている。みんな兄弟のようなものだ。頑右衛門は、今晩は合瀬村(現星野村合瀬)に住む甚平さんのお宅に泊めてもらうことにした。蛇淵から少し耳納山に登りかけたところの山の斜面に甚平さんの家はある。「もーし」と怒鳴って表戸を叩いたところまでは覚えているが、その後のことがはっきりしない。甚平さんの女房に、床を敷いてもらって休んだらしい。
 頑右衛門は、夜中に物音で目を覚ました。表を流れる小川のあたりで誰かが自分を呼んでいる。耳を澄ますと、「キー、キー」と聞いたことのない生き物の声がする。更に耳をすますと、どうやら相手は「ガンさん、ガンさん」と呼んでいるみたい。申し遅れたが、「ガンさん」とは頑右衛門の愛称である。甚平さん以外に、近所で俺の名前を知っている者などいるわけないのに。
 頑右衛門は、そっと布団を抜け出して、声のするほうの襖を少し開いてみた。月明かりで見えるのは、小川の岸の大きな岩に腰掛けた子供が、こちらに向かって叫んでいる様子だった。年齢(とし)のころなら10歳くらいか、素っ裸の子供である。と思いしや、どうやらそれは人間ではない。よく見ると、皮膚は濃い緑色で毛深く、頭のところだけが丸くお皿のように剥げげている。頑右衛門を呼ぶ口元は、まるで鴨のくちばしのようだ。
「ねえ、ガンさん、相撲とろうよ」写真は、蛇淵近くの民家(2010年4月28日撮影)
 変な生き物が手招きをしている。
「ガンさんは、日本一の力持ちと聞いたぜ。俺も、この世界では横綱って言われているんだ」
 変な生き物は、静まり返った中で、幼児のように同じことを何度も繰り返した。

大声上げて目が覚めた

「今日は疲れとるけん、またあしたな」
 頑右衛門は眠さも手伝って、これ以上変な生き物の相手などまっぴらとばかり布団に潜りこんだ。すると今度は、寝間の板戸が「ガタガタ」と鳴り出した。木片のようなもので「ドンドン」叩く音も重なって聞こえる。
「やめろ! そんなに叩いたら戸板が破れるが」
「キー、キー」「ギャーッ、ギャーッ」
 外の騒ぎは激しさを増すばかりだ。
「やめろ! 言うこと聞かんと叩きころすぞ!」
 堪忍袋の緒が切れて、頑右衛門がありったけの声を張り上げた。
「ガンさん、ガンさん、目を覚ましな」
 頬っぺを叩かれて、頑右衛門が目を開けると、甚平さんと女房がこちらを覗き込んでいる。
「変な生き物はどこさん行った?」
 頑右衛門は目をきょろきょろさせながら、小川のあたりの変な生き物を探した。

カッパにとり付かれ

 目を覚まして、甚平さん夫婦の顔がはっきり見えるようになると、少しずつ眠る前のことを思い出した。だが、変な生き物の正体を解明するまでにはいたらない。
「蛇淵ば渡って、何故か寒気がしたけん、これじゃ耳納の山越えは難しかち思うて、甚平さんにお世話になろうち思うたとこまでは覚えとる。ばってん、夕べはよっぽどきつかった(疲れていた)っちゃろね、すぐ眠ってしもうて。夜中に変な生き物が、表ん戸ばガタガタいわするもんじゃけん目ば覚ました…」
 頑右衛門は、床の上に正座して、改めてお世話になったお礼を伸べた。
「なんば寝ぼけたこつば言いいよると。ガンさんはほんなこつ何も知らんとばいね」
 甚平さんは、女房と顔を見合わせて首を傾げた。
「あんたがここに来たつは、もう4日も前ばい。表戸ば開けたら倒れこんできて、それからずっと眠り続けとった。ほんなこつ、このままずっと目を覚まさんとじゃなかろうかち思うて、そろそろ豆田のお宅に報せば出さにゃち考えとったとこばい」
 何がどうなっているのかますますわからなくなった頑右衛門が頭を抱え込んだ。
「カッパに取り付かれたつたい。あんた、カッパに何か悪かこつばせんじゃったね?」
「そう言えば、蛇淵ば渡るとき、何かヌルヌルするもんば踏みつけたごたる気がする」
「それがカッパたい。ガンさんはカッパば踏みつけたけん、とりつかれたとたい。カッパは人間の体に潜り込んで、そん人の精神状態ば狂わするちゅうけんね」
「よかったですばい、そんくらいのこつで済んで」
 甚平さんと女房は代わる代わる頑右衛門の無事を喜んだ。
「そんならこれで帰りますけん、持ってきた米俵はどこに置いてもろとるじゃろか」
「ガンさん、それはなかよ。あんたうちに倒れこむなり、『こん1俵でひと晩泊めてくれ』ち言うたじゃなかね。ここんとこ俺の相撲は米俵に縁がなかったけん助かったち言うて、喜んで食べよるとこたい」(完)

 頑右衛門が日田の豆田から八重谷村に出かけたコース(日田市−浮羽町−星野村−上陽町)を辿ってみた。もちろん車である。それでも遠いこと。むかしの人にとって当たり前のことでも、現代人ではとても無理だ。ましてや、今のように道路が整備されているわけでもないのに。写真は、広内の棚田(2010年4月28日撮影)
 でも、景色なら、日本中探してもこんなにいいところはめったにない。まず日田から浮羽町までは、大河(筑後川)の流れが、ちっぽけな心を広げてくれる。浮羽町の棚田はNHKドラマなどで有名になったが、先人の農業に対する熱意を感じずにはいられない。峠を越えると名物の茶畑が目に飛び込んでくる。あのおいしい日本茶は、お百姓さんのご苦労があって初めて味わえるのだ。本文にも挿入した星野川べりを走っていると、その急流に目を見張らされる。そしてひと山越えた所が旧八重谷村だ。
 「八重谷村」といった村名はとっくのむかしになくなっている。間もなく「星野村」も「上陽町」も消え去ろうとしている。政府主導の町村合併で、先祖の遺産である村の名前がなくなることに、ご当地の方々は寂さを覚えないのだろうか。

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