伝説紀行 赤坂の化け猫 筑後市
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
赤坂の化け猫 福岡県筑後市
不思議な娘が居候 寝苦しい夜には、クーラーよりもむかしながらの怖い話しで肝を冷やすのがよろしいようで。幽霊とか化け猫の話は、子供の頃お芝居で観たり大人から聞かされて、背中がぞくぞくしたもんだ。特に化け猫で有名な「鍋島」は、今でも芝居小屋を恐怖の渦に巻き込む。演じる役者さんたちも、猫の祟りを恐れて、開演初日が近づくと必ずお宮さんで厄落としをするそうだ。僕も以前ラジオドラマを制作する際に、佐賀市内の高伝寺に龍造寺家の墓参りをしたことがある。さて、今回のお話は、久留米市と筑後市の境に位置する赤坂というところが舞台となる。赤坂といえばひと昔前まで竹薮が生い茂る淋しいところだった。 時は幕末の慶応年間。赤坂の一軒家におしげという婆さんが一人で住んでいた。身寄りがないせいか、一向に人を気にするところがない。家の周りは雑草が人の背丈よりも高く伸びていて、まるで幽霊屋敷のようだ。婆さんは他人に気を遣わないためか、顔は皺だらけで化粧などとはもう何十年も縁がない。 そんなおしげ婆さんのあばら家に、あるとき一人の娘が転がり込んできた。久留米の城下に住んでいたということだが、見たところ武家育ち風。だが、「しばらく匿ってください」と言うだけで、いきさつなどいっさい話そうとはしない。写真は、赤坂の住宅街 「置いてやってもよかばってん。お見かけのとおりここにはわし一人が食うのに精一杯だ。自分で畑を耕したりその辺の食える草などを摘んで勝手に食うならそれもよかろう。そうそう、お前が採ってきた食い物は、わしにも食わせるんだぞ」 婆さんとお千代と名乗る娘の奇妙な暮らしが始まった。それから1ヶ月もたった頃、婆さんがお千代の部屋を覗いて驚いた。彼女の膝の上で三毛猫が気持ちよさそうに目を細めている。紹介が遅れたが、このおしげ婆さんときたら、犬や猫などの小動物が大嫌いである。特に猫は見ただけで目まいがするほどだった。 「どうしたのじゃ? わしは猫が嫌いじゃけん、すぐ捨ててこんね」 婆さんが血相変えてお千代を睨みつけたが、お千代は剥きになって逆らった。 「嫌です。このタマ(猫)は久留米で可愛がっていたもの。私が居なくなったことを知って、体臭を頼りにやっと此処まで訪ねてきたというのに」 お千代はタマを捨てることを断固として拒否した。おしげ婆さんのところに身を寄せてから、お千代はよく働き、食い物も十分、家の中も小奇麗になった。となると、婆さんにとってお千代はなくてはならない存在になり、力関係も逆転しかかっていた。 猫が大嫌いな婆さん 「勝手にするがよか。言っておくが、わしは猫が大嫌いじゃけん、一切面倒ば見らんけんね。それから、わしの部屋に猫ば近づけんごつ、わかったね」おしげ婆さんは深い皺に隠れそうな目の玉をむき出しにしてお千代とタマを睨みつけた。お千代は、タマがおしげ婆さんにいじめられないよう、畑や山に出かけるときいつも背中の竹篭に入れていった。ところが今日に限って出かけようとしてもタマの姿が見えない。最近恋の季節を迎えてタマの奴どこかの雌猫と逢引でもしていると思い、そのまま出かけてしまった。 お千代のお陰で家の周りや部屋が綺麗になると、おしげ婆さんも箪笥の中から若い頃の着物を引っ張り出しては、人並みにお洒落をするようになった。今日もお千代の留守をいいことに、おめかしをして座敷にちょんもり座り込み、奥方気分に浸っている。少しお腹もすいたし、室(むろ)に隠しておいた魚の干物を取り出して七輪で焼き始めた。 そこに運悪くタマが戻ってきた。一晩かけて恋の相手と乱闘を繰り返したのか、全身泥だらけである。お千代ならすぐ井戸の水を汲み上げて洗ってやるところだが、生まれつき猫を触ることもできない婆さんは嫌な顔。 「しっしっ」と追い払おうとするが、恋の乱闘で腹ペコのタマは魚の臭いで動こうともしない。じわりじわりと七輪ににじり寄ってきた。 焼けた火箸で目の玉を一撃 「しっしっ」、婆さんがなおも大きな声で追い払おうとすると、今度はタマが七輪の魚を咥えて逃げ出した。「やられた」、婆さんはじだんだ踏んで悔しがった。「今度捕まえたらただではおかんからの」少々のことで婆さんの食べ物の恨みは消えそうになかった。 それから3日後、お千代が遣いに出た隙をみて、おしげ婆さんが真っ赤に燃えた火箸を持って、抜き足差し足お千代の部屋に忍び込んだ。体を洗ってもらってすっかり綺麗になった三毛のタマが気持ちよさそうに座布団の上で昼寝をしている。 「魚の恨み思い知れ!」 婆さんは持っていた火箸をタマの目の玉めがけて突き刺した。 「ぎゃーっ」 タマは悲鳴を上げながら座敷中をのた打ち回った。 「このままだとお千代の奴に怒られる」 婆さんはいたって冷静に、タマの首筋を掴んで、裏庭の井戸の中に放り込んだ。 台所で不気味な音が 「どうしたのかしらね、タマがいないのよ」お千代は我が子同然のタマの失踪に落ち着かない。 「そのうち帰ってくるくさい」 婆さんは、猫を虐殺したことなど微塵も顔に出さず、すまし顔で通した。その夜寝静まった丑三つ時。台所で「コトンコトン」と音がしておしげ婆さんが目を覚ました。今頃お千代が起きだすはずはないし、さては泥棒か。待てよ、こんな貧乏家に好んで入る泥棒もなかろう。 婆さんは、仕方なく起きだして燭台に火をつけた。どこから風がくるのか、蝋燭の火がユラユラ揺れる。婆さんは火が消えないよう片手でかばいながら、お千代の部屋を伺った。だが、中からはかすかに寝息が聞こえるだけ。やっぱりおかしい。婆さんがしのび足で台所を覗いて、びっくり仰天。 寝るときにはきれいに片付けられていたはずの鍋や釜、食器などがそこらじゅうにに散らかり放題である。いつもはごみなどが入らないように蓋を閉めている水がめがひっくり返っていて、水浸し。誰かが忍び込んだとしか思えない。婆さんが首をかしげていると、また「ゴトンゴトン」と隅のほうから生き物が何かに触っているような音がする。さらに忍び足で近づいて、音のほうに燭台をかざした。 なんとそこには、井戸の中で死んでいるはずの猫のタマが、両の目から真っ赤な血潮を噴出させながら何かを舐めている。目を皿にしてよく見ると、タマが舐めているのは棚の上に置いていた壺がひっくり返ってそのへんに流れ出した菜種油だった。「シャッポ、シャッポ」、おいしそうに舐めていたタマが振り返った。そこで・・・。 猫にうなされて婆さんも井戸に 「うーん、うーん」すごいうなり声で目を覚ましたお千代が、あわてて台所に向かった。四方に散らかった台所に人の気配はない。まさかと思いながら裏庭に出た。井戸の前に襦袢姿のおしげ婆さんが突っ立っていた。 「猫が、猫が・・・」 婆さんはうなされたように同じことを繰り返した。どんなに呼んでも返事しようとしない。顔は完全に血の気が失せていて真っ青だ。 「どうしましたか? タマが戻ってきたんですか? 大丈夫、お婆さんのそばには近寄らないように言って聞かせますから」と、とりなしても、何の反応も返ってこなかった。 婆さんは、夢遊病者のように一歩、二歩と井戸に近づいていき、あっという間に飛び込んでしまった。 何がどうなっているのかさっぱりわからず、お千代は一晩中井戸の脇に立ちすくんでいた。 「お嬢さま、こんなところで何をしているのです?」 うしろで中間の儀一の声がして我に返った。 赤坂一帯で怪しげな事件相次ぐ お千代は、実は久留米藩の上級侍橘家の一人娘であった。親が押し付ける男との結婚が嫌で、婚儀の席から逃げ出してきたのだった。逃げる手助けをしたのが儀一であり、ここ赤坂に落ち着いた後もお金や着る物など密かに屋敷から運び出して届けていた。お千代は昨夜の一件を儀一に話した。タマとおしげ婆さんが居なくなったあと、赤坂周辺では不思議な事件が相次いだ。猫に噛み付かれて子供が即死、豚のような図体の猫に追いかけられた大人が、溝に落ちて行方知れず・・・。儀一からの報せで奉行所は、藩主名で村中にお触れを掲げた。「化け猫よ、いたずらをやめよ。さもないと獣類をすべて殺す」と。役人の命令により、村中から駆り出された若者が、動物という動物すべてを捕らえて殺したが、タマの祟りはいっこうにおさまらなかった。 井戸の中からおしげ婆さんの遺体を引き上げて役人が絶句した。死体の首筋が獣に噛み千切られたように裂けていて、ほとぼしった血が襦袢全体をどす黒く染めていた。さらに井戸の中を捜索すると、両の目を失ったタマの死骸が。 お千代から事情を聴取した藩奉行は、藩主の指示に従って高良山の高僧にタマの霊を慰めるよう祈祷を頼んだ。お祈りは五日間休みなしに続けられた。以後化け猫騒動もおさまり、赤坂に再び平和が訪れた。近年まで「獣類捕獲のこと」と書かれた当時の高札が残っていたという。 お千代はというと、世間体を気にする橘家の当主(父)によって勘当され、一生を終えるまで赤坂の地で寂しく暮らしたとのこと。 筑後市赤坂は、久留米市中心街から国道209号を約6キロ南に下ったあたり。だらだらと続く坂を登りきると、新興宗教の本山が。中学生のころ、マラソンの練習では坂の頂上が折り返し点だった。久しぶりに訪れたが、国道の両側は食べ物や果物などを売る店が軒を連ねていて、すっかり様子が変わっていた。 子供の頃、周囲は淋しい雑木の森ばっかりだったように記憶している。だから、化け猫の舞台としてもってこいのはずだったのだが、あまりの賑やかさに当てが外れた。何とか「化け猫退治」の高札が見つからないものかと、ウロウロしたがこれもまた駄目だった。(完) |