伝説紀行 蒲池山の龍の瀬 山川町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第097話 03年02月09日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

蒲池山、龍の瀬の怪

福岡県山川町


蒲池山

大むかし、有明海は山川町の山の裾野にまで迫っていたそうな。現在の国道443号線や九州自動車道は、海岸線にあたっていたわけ(推定)。山門郡山川町の河原内地区は、波静かな有明海の砂浜であり、すぐ東はミカンと竹の子の産地として有名な山々が連なる境目になる。

浜辺に女が漂着

「もしもし、どうなさった?」
「……」
 1500年以上もむかし。河原内の浜辺に一艘の小舟が漂着した。舟底に若い女が横たわっているのを、漁に出ようとやってきたヨシキが見つけて声をかけた。女は20歳を過ぎたくらいで、このあたりでは見かけない垢抜けした美人であった。
 ヨシキは女を舟から下ろすと、枯れ木を集めて火をつけ、びっしょり濡れた着物を乾かしてやった。体が温まって女が目を開けた。
「ここはどこです? あなたはどなた?」
 女が元気のない声でヨシキに問いかけた。
「それより、あんたこそどこの誰だい? このあたりの者じゃなかごとあるが」
 女はようやく漂着した浜で自分が助けられたことに気がついたらしく、肌着の前を繕いながら正座した。
「申訳ありません。私は大和からきたトキと申します。ある大事なものを探しに九州まで来たのですが、途中で大時化(おおしけ)にあい気を失ってしまいました」

女の入山で大嵐

「おからそこに行って探し物をしてこいと…。教えてください。このあたりに蒲池という名前の山はありませんか?」
「ああ、蒲池山なら、ほらあそこに見える先の尖った山がそうばってん」
「ありがとうございました。」
 トキと名乗る女は、蒲池山までの道順を聞くと、慌てたように浜から遠ざかっていった。
「きれいなおなごじゃったな。あんなおなごば嫁さんにしたら、ますます働く気力がでるとばってんな」なんて独り言を言いながら、ヨシキは愛舟に乗って沖に出た。
 網を投げて漁をしながら、ふと東の空を見てびっくりした。蒲池山から鷹取山にかけて、それまで穏やかだった空が黒雲に覆われ、四方八方から稲光が走りまくっている。大きな雷音のたびにヨシキの舟は木の葉のように揺れた。慌てて浜に引き返すと、取るものも取らずに家に篭もった。写真は、蒲池山近くのオレンジロード
 雷は東の空で一晩中暴れまわり、朝方ようやく静まった。ヨシキが舟の安全を確めるために浜に出た。自分の舟も、女が乗ってきた舟も砂浜に非難していて無事だった。

果たして、女の正体は?

 そこに、昨日蒲池山に向かった女が疲れきった顔をして戻ってきた。女はヨシキに会釈をしただけで自分の舟に乗り込んだ。
「ちょっと待ってくれんね。いくら何でも人にものを尋ねておいて、何の挨拶もなしに帰るとは、この河原内では通用しんばい」
 ヨシキの抗議に、女は舟から降りて深々と頭を下げた。
「私は人間のなりをしていますが、実は、遠い大和の山中に棲む大蛇でございます。お頭と言うのは、私ども大蛇が尊敬してやまない竜神さまのことです。竜神さまが棲家を大和から九州に移したい故、適当な場所を探してこいと。それで…」
「九州も広かろうに、りに選って、何で蒲池山?」
「蒲池山は、背が高からず低からず。水も豊富で池や谷もたくさんあると聞いたからでございます。お頭や大蛇が生きていくためにはこれらの環境は絶対条件なのです」
「それで、無謀にも小舟でやってきたというわけか。それで、見つかったのかい、あんたのお頭が住める場所は?」
「蒲池山から鷹取山まで隈なく探し回りましたが、駄目でした。昨夜はここらの皆さまに大変ご迷惑をおかけしましたが…」
 女が去ったあと東の空が大荒れしたのは、大蛇の化身が山中を駆け回っていたからなのか。
「何が不足なんだい? 適当な山と豊富な水があるというのに、蒲池山では?」
「はい、竜神さまがお住みになるには、百の深い谷が必要なのです。皆さんをお騒がせしてまで探しましたが、蒲池山周辺には谷が一つ足りませんでした。九十九しかないのです」

女が去って

 女は、ほかを探すと言って、小舟に棹をさした。
「いいのです、…これで。お頭に叱られるかもしれませんが」
「いったいどういうことだい、これでいいというのは?」
「はい、竜神さまは、皆さまがお話に聞かれているような、人にとって良いことばかりの方ではありません。貴方のような親切なお方が住む河原内は、今までどおり静かで平和な村であって欲しいからです」
「もしや、本当は谷が百あったのに、それをわざと九十九と…? 俺たちのために」写真:蒲池山付近の池
「皆まで訊かないでください。それではさようなら、お達者で」
 女は雲仙の普賢岳を目指して、見る見る遠ざかっていった。蒲池山には「龍の瀬」という曰くありげな地名が残っているそうな。この地に2000年前まで人が活発に生活していたことを示す出土品もたくさんあると聞いた。(完)

 国道209号から入り込んだ農道の途中に蒲池山が聳えている。そこは山また山、谷また谷である。あの時、女がこの地を竜神の住処に指定していたら、今ごろどうなっていたか。山にはやっぱり魔物がいないほうがいい。ミカンの収穫を終えた山道を走りながらカーナビを覗いたら、今走っている道路のことを「オレンジロード」と記してあった。

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