伝説紀行 油屋事件 小郡市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第96話 03年02月02日版
再編:2018.06.17

プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

油屋物語

福岡県小郡市


保存されている油屋

 江戸時代、久留米から大坂(現大阪)や江戸(現東京)に向かうには、筑前街道を通って山家(現夜須町二夕)に出るのが普通だった。
 大名の参勤交代や体の弱い人などは、久留米からわずか2〜3里先の松崎宿でまず1泊する。その松崎宿に今もむかしのままの姿で保存されている一番大きな旅籠が「油屋」であった。

旅籠:旅人に食事を出してくれる宿泊所
木賃宿:食料は持参し、燃料費だけ払って宿泊できる宿屋

供侍が法度を犯した

 所変ってここは大坂(現大阪)。参勤交代の途中身分の低い侍が泊まる宿泊所でのこと。筑後の有馬の殿さまのお供を勤める中間(ちゅうげん)林雄之助が突然高熱を出して動けなくなった。大事な大名行列をたかが中間の病気ぐらいで遅らせるわけにはいかない。雄之助には熱が下がったら一人で久留米に戻るよう言い渡して一行は大坂を発った。

 雄之助の高熱は実は仮病で、お清という宿つきの遊女と離れたくなかったからの嘘であった。一週間もするとお清との逢引にも飽きて、雄之助は宿を発つことにした。だが、お清の方が雄之助の手を握って離さない。
「上役の忘れ物を江戸まで取りにいく。半月もすれば大坂に寄り、そのときお前を久留米につれて帰るから」
 口から出まかせを言ってお清の手をき、急ぎ宿をあとにした。もちろん雄之助の向かう先は江戸ではなくて筑後の久留米であった。

信じて待つ女

そんなこととは夢にも思わないお清は、遊女をやめて雄之助が迎えに来るのを待った。だが、1ヶ月たっても愛しい男は現われなかった。そのときお清は妊娠していることに気がついた。それから5年が経過した。お清は雄之助を疑わなかった。これにはきっと深い事情があるに違いない、と思うことで自分を慰めた。
 お清は、少しずつ少女の姿に成長していく娘のおみよを見るにつけ、早く親子三人がいっしょに暮らさなければと焦った。

遥か筑後路へ

 お清はおみよの手を引いて、愛する男の住む筑後を目指した。筑前街道を通って松崎宿(現小郡市)の油屋に宿をとった。


筑前・筑後の国境


 松崎の宿場町には何軒もの旅籠屋があり、大名などの一行は本陣と脇本陣に宿泊し、その他の旅人は油屋などの旅籠を利用する。油屋は「主屋」と「角座敷」からなっている。お清とおみよの母子は母屋に草鞋(わらじ)を脱いだ。
「おみよ、お父ちゃんにはここまで迎えにきてもらいましょうね。おまえの大きくなった姿を見たら、お父ちゃんもきっと大喜びするよ」
 お清は宿に頼んで久留米の林雄之助宛に文を届けてもらうことにした。

男の企み

 一方、お清からの文を受け取った雄之助は困った。お清とのことはただの遊びとしか思っていなかったからである。今では上役の紹介で嫁をとり、庄島(しょうじま)の屋敷で親子ともども平和に暮らしている。もしこのことが妻や上役に分かったら、身分もどうなることかわかったものじゃない。
 どうしたものか、雄之助は考え込んだ末、ここをうまく切り抜けるには道はただ一つしかないと結論付けた。慌てて支度をすると、宮地(現宮ノ陣)の渡し場から松崎宿へと急いだ。

哀れなるは母と子

「疲れたろう、よくぞこんなに遠いところまで来てくれた」
 雄之助がお清の苦労を労(ねぎら)った。
「大坂の旅籠を出たら、江戸に行く必要がなくなり、上役からすぐ久留米に戻れと言われた。帰国したら次から次に仕事がきて、気がついたら今になっていた。お清のことは気になっていたが、なかなか大坂まではいけなくて・・・。それにあの時子供ができたなんぞ露とも知らず」
 雄之助は、道々考えてきた言い訳を並べ立てた。
「食事の前に川岸でも散歩しないか」
 雄之助は、母子を誘って外に出た。星もない暗闇で、墓場にさしかかった。そこで草履の紐を結びなおす振りをしてしゃがみこんだ雄之助、刀の鞘を払うとお清の胸を一突き、返す刀で幼いおみよの首を刎ねた。
「あ、あんまりです。事情を言ってくださればよかったのに・・・」
 お清は息を引き取る間際に、力を振り絞って雄之助への恨みを述べた。

死んだはずの女がそばにいる

何食わぬ顔で油屋に戻った林雄之助。
「お帰りなさい、お姉ちゃん。おいしい夕食ができていますよ」
 女中の出迎えに不自然さを感じながらも、雄之助は食卓についた。
「食事はわしの分だけでよいから」
 雄之助が女中に指示した。
「馬鹿なことをおっしゃるもんじゃありませんよ、自分のものだけでいいなんて」
「????」
 何のことか分からず首をかしげている雄之助に、ご飯を盛りながら女中が言った。
「旦那さんの隣に奥さんもお嬢さんも座ってらっしゃるじゃありませんか。ご用があったら手を叩いてください、すぐ参りますから」
 女中は用事が済むとさっさと部屋から出て行った。そんなはずはない。女中の方こそ頭がどうかしている、雄之助は狐につままれた気分で早々に床に入った。冷たいはずの掛け布団が温かい。右左から抱きつかれているような圧迫感もある。
「恨みます」と、おどろおどろの女の声が天井から。「お父ちゃん、会いたかった」と幼い女の声が・・・。

 とうとう一睡もしないまま、夜が明けた。
 久留米に帰った林雄之助。夜毎怖ろしい夢にうなされ、食事も喉を通らず、仕事はミスばかり。体は日ごとに痩せていった。


高野山極楽橋

あてもなく屋敷を出た雄之助は、気がついたら遥か大坂と紀伊の境にある高野山に来ていた。行き倒れになったところを身分の高そうな僧に救われ、その後はこの地に庵を結んでお清とおみよの供養のために生涯を過ごしたとのこと。(完)

 最近松崎の宿を訪ねた。大分自動車道の小郡インターからすぐ近い場所だが、広いバイパスができたため筑前街道は裏道になっていた。写真のように、江戸時代の姿をそのまま保存してくれているのが嬉しい。玄関の鍵がかかっていて旅籠の中は見れなかったが、覗き見したところ、天井が高くて趣は十分である。
 表の案内板には、あの西郷隆盛や田原坂の戦で指揮をとった有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)も泊まられたとの由。
 それにしても、この手の話では久留米の悪人がよく登場する。最近のニュースでも、保険金が欲しくて子供を殺したなど久留米人の多いこと。同郷人としては怒りを通り越して真に恥ずかしい限りである。

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