伝説紀行 龍門の滝 九重町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第088話 2002年12月01日版
再編:2017.05.11
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

言い伝えを馬鹿にした報い

龍門の滝由来

大分県九重町


絶景! 竜門の滝

 夏休みになると大賑わいする龍門の滝(九重町)。流れ落ちる水がそのまま滑り台になるのだから、子供たちにはたまらない遊び場だ。
 龍門の滝は国道210号線から松木川を遡ったところにある名瀑である。温泉やみやげ物売り場を縫うと、梅林の向こうから豪快な滝の音が聞こえてきた。

 鎌倉時代、宋の国からやってきた蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんじ)という人が、この滝を見て「河南府の龍門の滝」によく似ていると言った。それで「龍門の滝」と名前がついた。

滝壺に龍が棲む?

 260年以上もむかしの享保年間。豊前中津藩士たちが、宴会の席で妙な論争をぱじめた。
「豊後の龍門の滝には、本当に龍がおるげな」
 ある武士が言い出したから、そうじゃない、いや本当だ、と論争が止まらなくなった。
「見た奴がおるげなばい」
「いーや、俺は姿は見んじゃったが、唸り声は確かに聞いた」
 喧喧ごうごう、おさまるところを知らない。
「それは、おそらく風の音じゃろたい」
 科学しか信じない丸山三平が、沸騰する話題に水をさした。
「そんなら、試してみるか」ということで、話は決まった。江戸時代の武士は、それほどまでに暇人が多かったのだろう。

肯定派と否定派が見分

 科学信奉派の丸山三平と、言い伝えを信じる内田碌郎、それに中間派(どうでもよい派)の麻生為蔵が「龍の存在確認」のため代表選手となって、勇躍龍門の滝に出向いた。


夏休み、涼を求めて賑わう親子連れ

 当時の滝周辺は原始林が生い茂る淋しいところだった。雑木や雑草を掻き分けてたどり着いた3人は、早速褌(ふんどし)一つになり、長刀を背中に縛り付けて滝壷に飛び込んだ。息をこらえて潜ること2度3度、それらしい怪物には出会わない。
「わしが言うとおりじゃけん。今の世に龍なんちゃおるもんか」
 焚き火を囲みながら三平が鼻っぱしらを掌でこすった。
「それにしても、久しぶりの潜りで疲れたのう」
 三平は、側らに横たわっている流木の端に腰を掛けた。

龍が怒った

 ところが、三平が腰掛けた大木が動きだした。慌てて立ち上がった三平。「出た!」と叫ぶや否や背中の長刀を抜いて“大木”めがけて斬りつけた。
 それぐらいではびくともしない大木はゆっくり動き出し、やがて体全体が滝壷の中に沈んでしまった。そのときである。静かだった水面が大きく波打った。時を合わせるようにして、それまでの青空が一転黒雲に覆われ、四方八方から稲妻が走りまくった。
 三平と碌郎、為蔵の3人は何が起こったのかわけも分からずへたり込んだまま。滝壷はさらに激しく騒ぎ、やがて水面に現れた怪物。顔は馬のように長く、2本の鋭く尖ったと金色の両眼、どんなものでも一咬みで砕いてしまいそうな牙をむき出しにしている。それはまさしく龍であった。龍は大きく空中に体を浮かせると、下りてきた黒雲に乗り移った。雷鳴はさらに激しく、火災が発生して立ち木が燃え盛った。

逆らった奴の最後は

 夢を見ている気分の3人は、やっと我に返り、恐ろしさのあまり取る物もとらず駆け出した。近くに繋いであった馬に飛び乗って駆けること駆けること。ようやく三角形の小倉山が見えたところで一安心。そこにまたもや稲妻が襲いかかった。あっという間のできごとだった。丸山三平は雷に打たれて即死。だが不思議なことに残りの2人は傷一つ負わずに無事だった。
「守り神に斬りつけたお侍さんだけが雷に打たれて死んだそうな」の噂はあっという間に近隣に広がった。

「むかしからの言い伝えばあんまり馬鹿にしちゃいかんと言うことたい」
 それからというもの、村の人たちは神の怒りに触れないよう滝壷のそばに龍神を祭った。お陰で、その後このあたりには温泉も出て、たいそう豊かになったということ。(完)

 竜門の滝を訪ねたのは2002年の滝壷周辺に広がる梅畑の収穫の時期だった。夏休みには間があって、いまだ賑やかな子供の声は聞こえなかったが、目の前に覆い被さる壁から落ちる滝を眺めながら食べた握り飯のうまかったこと。
滝壺を管理するお寺の住職さんには、滝の歴史や今日の観光地としての賑わいについて、いろいろ聞かせていただきました。

 それから3年後、鹿児島を訪れた時に、偶然「龍門の滝」の案内板を見つけた。滝の形は大分・九重とよく似ている。蘭渓道隆禅師の話とも、ピッタシカンカンだ。さて、どちらに軍配を上げようかと迷っていたら、「キサマ!、お前も中津武士のように雷に打たれたいのか!と、後方から野太い妖怪の声が聞こえた。ような気がした。


上:九重町の龍門の滝と説明するご住職
下:鹿児島県加治木町の龍門の滝と筆者



読者から貴重なお便り

「竜門の滝」を読んでくださった東京の読者から、「龍門」と「蘭渓道隆禅師」について貴重なお便りをいただきましたので紹介します。地元の方に是非読んで欲しいと思います。ありがとうございました。

本場の龍門は、5世紀の石窟寺院でたいへん有名なところです。黄河がイスイ盆地を出て華北平原へと流れ下りる箇所にある大変な難所で、コイさえも上ることができず、上りきった魚は龍になる、という伝説がいわれています。龍が住んでいるかどうかは知りません。
 大出世のきっかけを「登竜の門」というのはこれに由来します。蘭渓道隆は、北条時頼の招きで来日した超大物で、鎌倉の建長寺の始祖とされる人物です。

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