伝説紀行 薬師の池 久留米市三潴町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第086話 02年11月17日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

親孝行の代償 薬師の池

福岡県久留米市三潴町


薬師堂

 久留米から柳川に通じる通称「柳川街道」と西鉄大牟田線に挟まれたところに小犬塚という古い地名が残っている。このあたり江戸時代までは「筑後の国三潴郡(みずまぐん)小犬塚村」といったそうだが、現在では三潴郡三潴町玉満。柳川街道から一歩離れるとそこは雑木林、そして八女方面から流れ来る山ノ井川の水を活かした水田が広がる。その小犬塚の農家の庭先に薬師堂が建っていた。

死の床にあっても我が儘な母

 江戸時代の春まだ浅い頃、田んぼの中の一軒家に、母親と青年期を迎えた半太郎が住んでいた。半太郎は近所でも評判の孝行息子で、寝たきりの母のことが心配で眠れない夜が続いている。お医者さんから、あと幾ばくもない命だと宣告されていた。
 田んぼから帰った半太郎を母親が枕元に呼んだ。
「あのくさい、死ぬ前にもういっぺんレンコンの煮付けば食べたか」
 さあ困った。レンコンは、秋になると葉が萎(しぼ)み、稲の収穫が終わる頃から水が凍りつく頃堀の水を抜いて根を掘り出す。
 保存技術など皆無の時代、今ごろレンコンを食べたいなど言い出すのは、ないものねだりの子守唄だった。
「母ちゃん、心配するな。必ずレンコンば探してくるけん」
 それでも半太郎は、自分を産んでくれた母親のために何とかしなければと心に決めるのだった。

時期はずれの蓮根探し

 夏にはあれほど広がっていた蓮根畑も、今では寒々と波打つ水面しか見えない。どこかに切れ端でも落ちていないかと探したが無駄骨だった。このまま帰れば母親は悲しそうな顔をするに違いない。
 そこであることを考えついた。
子供の頃、肝試しに行ったことのある薬師の池は一面蓮根畑だった。年寄りの話だと、あそこの蓮は池辺の薬師さまが観賞されるためのもので、根を掘ってはならないとの掟がある。
「どうしよう、あと何日も生きられない母の願いは叶えてやりたいし、御仏に逆らうわけにもいかないし」

 考え抜いたすえ、姿も見えない仏より、生きている母親の願いを優先することにした。夜中にこっそり家を出て、人に見られないように竹藪を抜け薬師堂にたどり着いた。足を水につけたらそれは冷たいこと。

蓮根畑にお化けが出た

「あった」
 手に触ったものが目指す蓮の根であることを知って思わず歓声を上げた。そのときである。頭まで沈没しそうな高波が押し寄せてきた。思わず背を伸ばして池の中央に目をやったら、そこに恐ろしい化け物が突っ立ってこちらを睨んでいる。半太郎は手にした蓮の根の1本だけを握り締めて駆け出した。
「母ちゃん、レンコンば貰おてきたけんね」
「うまかー、これでいつ死んでもよか」
 母親は半太郎が心をこめて煮付けてくれたレンコンを口に入れた。そして二口目を頬張ったところで事切れた。

満足して死ぬ母、だが…

 満足そうな母の死に顔を見て半太郎は嬉しかった。だがその瞬間、ものすごい悪寒が体中を襲った。足をひきずりながら一丁ほど離れた爺さまの家に助けを求めた。
「おまえは、何かよからぬこつ(悪いこと)ばしたとばいね?」
 爺さまの眼力には勝てず、半太郎は一部始終を白状した。爺さまは、土地に伝わる話を語り始めた。
「おまえが薬師の池で見たお化けとは、薬師の池に棲む大蛇のこつたい。大蛇は池の中からお薬師さまばお守りしとると。じゃけん、池の蓮ば盗んだおまえにったとたい」
「そいばってん、親孝行のためには仕方なかったとですよ。こうなったら、母ちゃんば地獄にだけは行かせんごつ何とかならんもんでっしょか?」
 半太郎は必死で爺さまの知恵を欲しがった。
「そんなら、あした夜が明けたらいっしょにお薬師さまにお詫びしよう」

翌朝、半太郎は言われるままにお供えする花と酒樽を持って爺さまのあとに着いていった。
「お薬師さまに逆らった私が悪うございました。俺の身はどげんなってもよかけん、どうか母ちゃんば極楽浄土にお導きください」
 手を合わせること数時間、眠気が襲ってきてつい頭を地面にこすりつけてしまった。そこに現れた薬師如来。
「よく聞け、半太郎。例え親孝行であってもやってよいことと悪いことがある。悪いことをしたらそれなりの罰を受けなければならぬ。二度と薬師の池の蓮を盗まぬことを約束するか。それに、これからは池が汚れたら文句を言わずに掃除をせよ。よいかわかったか」
「はい、これからは御仏さまの言い付けを守ります」
 半太郎が目を覚ましたとき、薬師如来も爺さまの姿もそばにはなかった。そして、あれほど苦しかった息づかいも楽になった。〔完〕

薬師の池は大正時代に埋められてしまい、今では見渡す限り水田ばかり。岸辺の薬師堂も、そのときに現在地に移されてしまったのだそうな。ところで、池を埋めるとき、いたはずのうわばみはどこにいったか。古老に訊いたが、そこのところだけははっきり答えてくれなかった。

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