伝説紀行 石の糞 小国地方


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第073話 02年08月18日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

石が糞ひる

熊本県小国町


内牧温泉遠景

怪しげなキツネの行動

 むかし、筑後川の源流である小国郷は、阿蘇外輪山など周囲の火山群に囲まれた淋しい里であった。人々はわずかばかりの傾斜地にも石垣を築いて、野菜や米を植えるために耕した。鍬を入れても出てくるのは石ころばかり。石ころを一つ一つ取り除いて畑の脇に積み上げた。やっと耕しても土地が痩せていて作物はなかなか育たない。積み上げた石ころを眺めながら、あれが「肥しだったらなあ」と、出るはため息ばかり。ようやく耕した畑にトウモロコシを植え付けたのだが、果たして芽が出てくれるものやら、イノシシや野ウサギに掘り返されはしまいかと心配の種は尽きない。
 上田(かみた)村の弥三郎が畑の見回りにやってきた。すると、畑に誰やら侵入している。よく見ると、大きなキツネが、積みあげた石を片っ端から畑に投げ込んでいるではないか。これでは苦労も水の泡になってしまう。

「このキツネ野郎…」と怒鳴りかけた弥三郎、ぐっとこらえた。「そうだ」、あのときのキツネだ。それならば…。

町娘を馬に乗せる

「あのときの…」とは。
 弥三郎は農業の傍ら、農耕馬を売り買いしてマージンを稼ぐ馬喰(ばくろう)もやっている。10日前だったか、小国で買い付けた上等の雌馬をひいて内牧の競り市場に出向いた。しこたま儲けて、今夜はたっぷりご馳走を食べ、ついでに大金を使って廓(くるわ)遊びをと考えている。人っ子一人通らない険しい山道を外輪山の頂上目指して登っていった。(弥三郎と雌キツネが出くわした現そば街道)

 雑木林を登っていくと、「このあたりにはよくキツネが出て、人間を騙すそうな」と村の古老が言っていたことを思い出した。
 案の定、100メートル向こうにそれらしき獣が見えた。気付かれないように馬を遠くに繋いで近寄ると、キツネは八手(やつで)の葉を頭に被せて何やらブツブツ唱えながら一回転した。すると、たちまち黄八丈を身にまとったきれいな町娘に。
「どうしたらよいものか?」。思案の末に弥三郎、馬の手綱を引いて娘の前に進み出た。
「そこにおられる別嬪(べっぴん)さん、どちらまで?」
「父の使いで、あの山越えて内牧まで」
「丁度よかあんばいたい。俺も内牧まで行くところ。よかったら馬に乗っていかんね。…うんにゃ、金なんぞいらんけん」
 なんてことになって、“二人”は仲良く峠に向かった。

キツネの身売り

 娘を馬の背に乗せて外輪山の峠にさしかかった。いつの間にか雑木林は途切れて、見渡す限りのすすきの原である。峠から見下ろした町並みが内牧だと弥三郎が娘にガイドした。その向こうに連なる山々が阿蘇五岳で、まん中で煙を吐いているのが中岳だと。
 山を下りきって街中に出ると、弥三郎は売り物の馬を知り合いに預け、娘の手を引いて大きなお店の裏口から入っていった。主人に頼んで娘だけを別室に案内させると、たいそうなご馳走とお酒を運ばせた。弥三郎はというと、主人と特別な商談。
「連れてきたあの美人ば引き取って(買う)くれんね」
「なんぼ?」
 女がすこぶる美人だったこともあって話はすぐにまとまった。大金を懐に入れた弥三郎、馬を売ることも廓遊びも後日にまわして、スタコラ小国郷に帰ってきた。

通説「騙すのはキツネ」

「あのときのキツネだ。殺されずに戻ってきたんだ、俺に仕返しをするために」
 弥三郎は、畑に石ころを投げ入れているキツネの正体をはっきりと思い出した。一方、雌キツネの心境はというと…、
「だいたい、騙すのがキツネで、騙されるのは人間だと相場が決まっているのに。あの意地汚い弥三郎め。あたしを女郎に売り飛ばそうなんて人間の風上にも置けないひどい奴だ。あたしゃ人間の娘に化けて、少しばかりのご馳走にありつこうと思っただけなのに…。早めに気がついたからよいようなものの、少しでも遅かったら殺されて襟巻きにされるところだったわ」
 なかなか怒りがおさまらない雌キツネは、手当たり次第に石ころを畑に放り込んだ。写真は、小国地方の山村風景
「…よーし、これだけ石だらけになれば野菜の芽も全滅でしょう」
 キツネとしては、弥三郎が一番困ることを考えて仕返しをしたつもりだった。

三年に一度の糞ひり

 キツネが帰りかけたところで、遠くから男の叫び声。
「ありゃりゃ、こりゃどうしたこつかいの?」
 振り向くキツネ。
「うわーっ、こりゃどうしたこつか。石ばこぎゃんいっぴゃし入れちもろて(いっぱい入れてもらって)。ありがちこっちゃ(ありがたいことだ)石肥(いしごえ)三年ち言うばってん、石は三年に一度糞ばひる(たれる)げな。こりゃ、ありがたかあ」

 農作物への肥料に困る農民にとって、牛や馬の排泄物が何よりの頼りであった時代。弥三郎は石も糞をたれるから、手もかけずに肥料ができたと喜んで見せたのだった。 これを物陰で聞いていたキツネ。
「しもうた。石が糞ばひる(たれる)ちゃ知らんじゃった。馬の糞より石の糞のほうがよかちゅうなら、石はやめて馬にしよう」
 そこでキツネ、そこいら中を這いずり回って馬の糞を掻き集め、石ころを片付け終わった弥三郎の畑に隙間なく敷き詰めた。
「これで、石の糞はなうなった。馬の糞を見たあいつの泣き顔が目に浮かぶ」
 ピョンコ、ピョンコ跳ねながら、キツネは森の中に消えていった、とさ。

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