伝説紀行 ウブメの幽霊 東峰村(宝珠山)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第071話 02年08月04日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

姑獲鳥(うぶめからの授かりもの

福岡県東峰村(旧宝珠山村)


宝珠山村大行司を流れる大肥川

 今回は、彼岸から戻ってきた女が、現世に幼子を託す幽霊の話。舞台は福岡県の(へそ)と言われる朝倉郡旧宝珠山村。淋しい村だから、むかしは病気になっても医者にかかることすら困難だった。せっかく生まれた子供も死んだり、子は育っても母親の命が駄目だったりした。

赤ん坊を預けられ

 江戸の世。筑前の国は福井村(現東峰村大行司)でのこと。姑に追い出されて赤谷(現朝倉市杷木町)の実家に帰る途中のおよし、大肥川沿いを歩いていた。
「…そこのお方」
 大行司社そばの土橋ので乳飲み子を抱いた女に呼び止められた。30歳を越えたくらいだろうか、透き通ったように色白の女であった。
「何かあたしに用かい?」
「はい、私は近くに住むものです。ちょっとそこまで用足しにまいりますが、その間この子を見ていてくれませんか」
 どうせ急ぐ旅でもないし、気持ちのどこかに追いかけてくる夫の庄助を待っているところもあったので、「少しの間」ならと赤ん坊を預かることにした。赤ん坊は生後半年足らずで、瞳の可愛い男の子であった。女はあっという間に闇の中に消えた。

出るわけない乳房を含ませ

 およしは赤ん坊の寝顔を穴があくほど眺めた。ときどき小さな口をモグモグさせる。規則正しい寝息も疲れた心を癒してくれた。目を醒ますと、力いっぱい背伸びをし、およしの胸に顔を押し付けてくる。それがまたかわゆくて飽きることはなかった。
 夜も更けて、(ふくろう)鳴き声が暗闇の樹の上から降る。気持ち悪く、だんだん心細くなってきた。ときどき立ち上がって橋の彼方を眺めてみるが、母親は帰ってこない。そのうち、お腹をすかした赤ん坊が、火のついたように泣きだした。子育ての経験を持たないおよしにはどうしていいかわからず、ただウロウロするばかり。
「どこさん(どこへ)行ったつかね、坊やのおっかちゃんは」
 赤ん坊をあやしながら自分の乳房を含ませてみるが、乳が出るわけもなく、ますます泣き声は激しくなった。

修験僧が小首をかしげ

「どうかしたのかな? わしは英彦山の修験僧だが…」
 いつの間に現われたのか行者姿の中年男が覗き込んでいた。
「はい、お腹をすかして困っているんです」
 男は困惑しきったおよしに同情して、手持ちの米で粥をつくってやった。
「これを食べたら少しは楽になるじゃろう。ところで、こんな真夜中にあんたはいったい…?」
 およしは問われるままに、姑と喧嘩して家出したこと、見ず知らずの女に出会ったことなど、きょう一日のできごとを詳しく話した。僧は首を傾げながらおよしの話を聞いていた。
「そうか、気の毒にな。人間悪いことばかりではない。早まったことを考えず、明日の良い夢見のために辛抱することだ」

死んだ母が子を浚う

僧は暇つぶしにと、村で起こった出来事を話して聞かせた。
三月(みつき)前じゃったか、近くで赤ん坊が生まれた。産後の肥立ちが悪かったのか、10日後に母親が死んだ。赤ん坊を残してな。それから4、5日して突然赤ん坊もいなくなった。家族総出で方々探したがついに行方知れず。きっと、死んでも死にきれない母親が迎えにきたのだろうと、村では噂をしていた」
「かわいそうに。生きていたらその赤ん坊もかわいい盛りでしょうに。あたしにはそのお母さんのように、子供に愛情を注ぐことなぞできんとです」
「そんなことはない。立派な母親になれるよ」
 間もなく夜もあける時刻になり、僧は急ぎ去っていった。
「すみません、遅くなって」
 気がついたら赤ん坊の母親が隣に座っていた。女は赤ん坊を引き取ると、はちきれそうな乳房を含ませた。赤ん坊はむしゃぶりつくように乳を吸った。
「ご用件は済んだの?」
「はい、この子が丈夫に育ちますように、小石原の観音さまにお願いしてきました」
「……?」
  二人で雑談しているうちに、およしは寝不足からついウトウトしてしまった。

女は消えて

 赤ん坊の泣き声でおよしは目を覚ました。一間先も見えないほどに霧が立ち込めていていた。女の姿は消え、およしは赤ん坊を抱いていた。そこに昨夜の修験僧が戻ってきた。
「途中まで行って心配になったんじゃ。このあたりに、ウブメの亡霊がさ迷っていると聞いたもんで。して、おまえが抱いているその赤子は、いったいどうしたのじゃ?」
「いやねえ、お坊さんたら。昨晩あたいが抱いていた赤ん坊だよ」
「いいや、あのときあんたは赤ん坊なんか抱いていなかった。欲しいとは言っていたが…」

母親指名

 どこまでが夢でどこからが現実なのか、およしにはわけがわからなくなってしまった。
「赤ん坊を預けた女とは、昨夜話をした女の亡霊かもしれん。母親は赤ん坊の里親になってくれるいい人を探していたんだよ。おまえのような優しい人を見つけて安心したのかもしれん」
「お母さんは成仏できますか?」
「できるだろうよ、きっと。おまえがこの子のおっかさんになってくれるなら」
 そのとき、陽が昇って霧も消え去り、あたりの田んぼや森がはっきり見えるようになった。釈迦岳から流れてきた川の水音がいほどに耳を撃った。あの暗闇の中でも川音はしていたろうに、霧が晴れてはじめて気がついた。
「坊や、きょうからあんたはあたしの大事な子供ですよ。立派に育つのよ」
写真は、福井地区に建つ豊後・筑前の国境碑
 そんなことを赤ん坊に話しかけていたら、豊後との国境から必死で駆けてくる男の姿が目に入った。夫・庄助であった。
「この人は…」
 庄助に紹介しようと隣を見たが、例の修験僧の姿は影も形もなかった。胸の赤ん坊だけがおよしの頬に手を伸ばしながら無邪気に笑いかけていた。(完)

うぶめ

@「産女」とか「孕女」と書く。「子を産んで産褥(さんじょく)にある女。産婦因みに「産褥」とは、「分娩後生殖器が常態に戻るまでの期間」だそうです。
A「姑獲鳥」と書く。出産のために死んだ女がなるという想像上の鳥。または幽霊。

 7月の終わりの昼下がり、およしが不思議な女と出会った大行司の橋の上に立った。周辺には郵便局や役場・食堂などが軒を連ねていて、当時の淋しい風景はなかった。 むかし大行事社と言った高木神社は橋のすぐ脇にあった。小石原と釈迦岳から流れてくる二つの川が合流するあたりで、境内からも瀬音がよく聞こえる。橋の下に降りたって水面を見たら、(はや)らしい小魚が盛り上がるようにして泳いでいた。岸の草陰にはエビや蟹なども隠れているに違いない。(写真は大行司の高木神社)
 

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