伝説紀行 我慢比べ 日田市天瀬


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第057話 2002年04月28日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

我慢比べ

大分県天瀬町


露天風呂が人気の天ヶ瀬温泉

 江戸時代に、幕府から「倹約令」が出た頃、農民は、食うものも食わずに朝から晩までよく働いた。それも面白おかしく、逞しく。

 江戸時代の倹約令:@1724年(享保9年)徳川吉宗により発令。A寛政年間(1794年)、老中松平定信により、大名から百姓・町人にいたるまで厳しい倹約が要求された。B天保年間(1840年頃)、老中水野忠邦により、風俗統制令とともにだされた。

倹約自慢

 江戸時代も終わりに近い頃、馬原村(まばるむら)の千兵衛と赤岩村の利平太が、天ヶ瀬温泉の露天風呂で顔を合わせた。お互いにご無沙汰を詫び、最近の天候のこと、今年の作柄、暮し向きなど一通りの挨拶に時間を費やすと、その後はお決まりの話に。
「今朝の飯は白湯(さゆ)と粟だけで済ませましてな」
 千兵衛が切り出す話は、いま流行りの節約のこと。対する利平太も負けてはいない。
「俺なんぞは、あんたの弁当ばあてにして何も持って来んじゃった。朝飯も食うとらんから、腹へって、・・・腹へって」
 2人はお互いの倹約ぶりを自慢しあって時間のたつのも忘れた。
「そんなら、いっちょう二人でどちらが倹約に我慢できるか、勝負してみらんか」
ということになった。

弁当で倹約比べ

 勝負のルールはいたって簡単。二人で英彦山神宮にお参りし、そのとき持っていった弁当のどちらが倹約型かを競おうというもの。春から夏へと季節が変わろうとする頃、天気のよい日を選んで千兵衛と利兵太が朝まだ暗いうちに家を出た。
 千兵衛は考え抜いてつくった勝負の弁当を背中にからい、草鞋の紐をしっかり結んで軽やかに。途中、玖珠川を渡ったあたりで利平太と落ちあい、筑後街道(現在の国道210号線よりずっと北側の旧街道)を夜明け前には日田の街へ。千兵衛がちょっと目を離したすきに利平太の姿が見えなくなった。

「どうせ行き先は同じじゃけん、そのうち追いかけてくるじゃろう」写真は、山国川沿いの英彦山への道

 千兵衛はかまわず、進路を英彦山方向にとった。現在の日田山国線(国道212号線)であるが、当時は舗装もトンネルもないでこぼこ道で、途中からかなりきつい上り坂を覚悟しなければならない。案の定、利兵太は息を切らせて坂道を駆け上がってきた。再び二人旅になった。守実(もりざね)で左折して、見上げる山が英彦山である。

生塩vs梅干  どちらに軍配

 英彦山への道沿いには山国川が着かず離れず。途中、猿飛千壷峡・須磨の景など渓谷が織り成す造形美に見とれる。
 昼過ぎに英彦山神宮についた二人は、早速神前で手を合わせた。
「どうか、村一番の金持ちになれますように」
「わしには、金ば一文も使わんで、毎日おいしかご飯ば作ってくるる嫁ごば授けてください」
 身勝手な願い事ではあるが、仲良し二人組にはそれがまったく不自然に映らない。参拝が終わると、景色の良い場所を選んで座り込んだ。いよいよ勝負の倹約弁当比べの時到来である。

 ご飯は二人とも麦と粟を混ぜ合わせたもので似たり寄ったり。だが、おかずの内容が違う。利平太の弁当には木の葉で包んだ一握りの塩が添えてあるだけ。一方千兵衛のはと言うと、ご飯の真中に梅干が1個埋められていた。

 勝負開始。まず、千兵衛が利平太の弁当にケチをつけた。
「塩かけたらご飯ば何杯でん食わるうが。もったいなか」

そのうち 大金持ちに

「なんの、おまえこそ。梅干ばおかずとは贅沢な」
 利平太も負けてはいない。そこで、お互い塩と梅干の種明かしとあいなった。利平太の塩は、日田の豆田を通るとき、千兵衛から離れて魚屋に寄り、塩鮭の腹に詰め込まれていた塩をタダで貰ってきたもの。
「ふーん、そげなこつ。おまえにしては芸のなか話じゃな」
 わけを聞いて千兵衛はわざとらしいうんざり顔をしてみせる。片方の千兵衛の梅干はと言うと。それが実は本物の梅ではない。木を上手に削って梅干の形を作り、紅花を塗った本物そっくりの芸術品であった。これなら生唾を飲みこみながら、何回でもおかずに使えるというわけ。
「うまか(上手)もんじゃねえ。そんなら子供ん時、学校では工作がいつもじゃったろ」なんてことは、当時言うはずもない。一本取られた利兵太は、勝負に負けた悔しさより、梅干の出来栄えに感心するばかり。千兵衛と利兵太の仲良し二人組みは徹底した節約と権現さんへのお参りが効いたのか、後にたいそうな分限者になったと付近の人が話していたそうな。
(完)

 世はバブルがはじけて12年。いまだ出口の見えない不況トンネルの中。企業倒産やリストラで失業者の山が築かれていく。銀行の貸し渋りで資金繰りがどうにもならなくなった零細企業主は一家心中も。これだけ世間をお騒がせしたバブルの仕掛人たちにはなんのお咎めもない。それどころか、政治の先生方はあのときの「活躍」を勲章とでも捉えているらしく、まだまだ血税にたかっておられる。バブルの実戦部隊であった金融機関は、不良債権とかを抱え込んで、お国に「なんとか税金でお助けを」と泣きなさる。
 バブルで商売を奪い取られ、なけなしの財産まで持っていかれた庶民は、千兵衛や利兵太と同じく、細工した梅干や生塩でも舐めて暮らさなければならないのか。

 
松平定信さん、水野忠邦さん、生き返って、あいつらをやっつけて〜

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