伝説紀行 蛇淵の美代ちゃん 日田市前津江


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第051話 2002年03月17日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

蛇淵の美代ちゃん

大分県日田市(前津江)


昼なお暗い蛇淵の瀬(高瀬川)

 日田市内の三隈川(筑後川の別名)に流れ込む中小河川の一つに高瀬川がある。折り重なる山々を避けるようにして流れ下る高瀬川には 青黒く澱んだ淵が多く、昼間でも暗い。物語の舞台になる「北川(きたごう)の蛇淵」は、そんな淵が重なる渓谷なのである。

地蔵さんの脇に赤ん坊が

 500年以上もむかしのこと。出野の一軒家に佐太郎とお重という夫婦が住んでいた。2人は既に四十路の坂を越しているが未だ子宝に恵まれない。夫婦は毎日山に入って山菜やヤマメなどを採り、遠く中川原(大山町)の街まで売りに出かけた。商いの帰りには道端のお地蔵さんに跪(ひざまず)き、子供をお授けくださいとお願いした。
 きょうも仕事終えた佐太郎が、お地蔵さんに手を合わせていると、そばの木陰から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。生い茂る草叢(くさむら)をかき分けると、生まれて間もない女の赤ん坊が泣き叫んでいた。周囲を見渡したが人の気配はまったくない。
「子供を欲しがっているわしら夫婦に、お地蔵さまがくださった贈り物かもしれない」
 そう思いなおすと佐太郎は、赤ん坊を家に連れ帰った。

とてもきれいで働き娘

 赤ん坊を抱いて帰った亭主を見て女房のお重は、飛び上がらんばかりに喜んだ。そして夫婦は赤ん坊にお美代という名をつけた。
 そのお美代ちゃん、夫婦の愛情を一身に受けてスクスクと育った。幼児から少女へ、愛くるしさを超えて、人も羨む美少女へと。そして15歳の春を迎えた。
 お美代ちゃんは、山に入って山菜を採り父母を助けた。山に行かないときは、近くの川に洗濯に下りていった。抱えきれないほどの洗濯物を、抱えて戻ってくる娘を見て、お重も満足であった。
 だが、お美代にはお重にも理解できない不思議な行動があった。川に洗濯に出かける裏口には、人が出入りできるような空間はない。そして川で洗濯をするお美代の姿を佐太郎夫婦はおろか近所の誰も見た者はいなかった。

座敷に籠もる

 18歳に成長して、お美代の美貌はますます輝いた。そんなある日、お美代が思いつめた顔つきでお重の前に正座した。
「お母さん、お願いがあります」
「わかっているって、お美代。もう縁談のことは二度と言わないから…、機嫌を直しておくれ」
「違うんです。きょうから7日間だけ座敷で考えごとをさせてください。7日目の晩まではけっして座敷にこないでください。ご飯もいりません」
 お美代は畳に頭を押し付けてお願いした。その日を境に、お美代はまったく座敷から出てこなくなった。お重が「ご飯よ」と呼んでも返事もない。大事な娘との約束である、いくら心配だからといっても、座敷のを開けるわけにはいかない。(写真は、高瀬川流域に建つ民家)
 約束の7日目を翌日に控えた晩、お重はお美代のことが心配でたまらず、そっと座敷に近づいた。部屋の中からは物音一つ聞こえない。「部屋に篭る」と宣言したあのときのお美代の真剣な顔を思い出すと、そのまま襖を開ける気にはなれず、お盆にのせたご飯を襖の外に置いて台所に引き返した。

正体を見破られ

 そしていよいよ、お美代と約束した7日目の朝がきた。お重はお美代のことが心配で、我慢できずに座敷の襖を開けた。
「あっ、あああ・・・」
 見てはならないものを見てしまい、驚きと恐怖で気を失ってその場に倒れこんだ。それから何時間たったか、お重が目を覚ましたとき、お美代は枕元に座っていた。
「お美代、おまえ・・・?」
「お母さん、もうなんにも言わないでください。私はお母さんにお願いしました。7日目の晩までは決して座敷にこないでと。でも、お母さんは私の本当の姿を見てしまいました。もう私はこの家にはひと時もおれない身です。仕事に出ているお父さんにくれぐれもよろしくお伝えください」
「そんなことを言わないでおくれ、お願いだからお美代」
「お母さん、私は私の一族がむかしからお世話になっているお地蔵さまの言いつけでこちらにまいったのです。明日が私の19歳の誕生日です。お地蔵さまからは、18歳の最後の晩に戻って来いと言いつけられています。できれば、本当の姿を見られずにおさらばをしたかったのですが…、残念です。どうか末永くお幸せに」
 お美代は一気に思いを打ち明けると、裏の竈のあたりから姿を消した。
「待って、お美代、行かないで!」
 必死に追いすがるお重を、お美代は振り向きもせずに、高瀬川の深い淵の方に駆け下りていった。

そして美代ちゃんは天国へ

座敷にいたのは我が子のお美代ではなかった。それは大蛇が座敷いっぱいに髑髏(どくろ)を巻いている姿だった。
「どうして、どうして…、お地蔵さま。そんなにまで私ら夫婦のことを気にかけてくださるなら、どうして期限をつけてお美代を寄越すんですか。あまりにも残酷過ぎます。恨みます、お地蔵さま」
 仕事を終えて帰ってきた夫の佐太郎は、お重から一部始終を聞いて、肩を抱きあって泣いた。泣き疲れた夫婦は、連れ立ってお美代が駆け下りていった高瀬川の渓谷にやってきた。そこは人を寄せ付けない絶壁であり、川べりの樫の木の根元にはお美代が履いていた草履が揃えて置かれていた。
 報せを聞いて駆けつけた村人たちも、あの美しくて気立てのよいお美代を偲んで泣いた。そして、いつの頃からか、大蛇に変身したお美代が飛び込んだところを「蛇淵」と呼ぶようになった。

 それから何年経ったろう、この地方で雨が一滴も降らず農作物が全滅寸前になったことがある。村の衆は困ってしまい、ここは一番蛇淵のお美代ちゃんに雨乞いしようということになった。村中でご馳走をつくり、お神酒を持って淵に出かけた。みんなで一生懸命お願いしていると、空は一転かき曇り、大粒の雨が降り注ぎ、間一髪農作物が生き返った。お美代は蛇淵の主になって、いつまでも村人の守り神になっていたのであった。(完)

前津江村は人口1700人で、点在する集落からなっている。村の中央部を高瀬川が流れているが、お美代ちゃんが住んだ出野地区は、ワサビなどを生産する典型的な山村である。
 僕が初めて北川蛇淵を訪ねたのは夏の初め頃だった。雑木で覆われた山が高瀬川を挟み撃ちするように迫るところが目指す蛇淵だった。しかし、断崖から淵を覗き込んでも川面はまったく見えない。崖の高さと鬱蒼と茂る大木が完全に陽光を遮っているからだ。ものすごい音を立てて跳ね返ってくる水の音だけが周囲を圧倒した。
 案内してくれた民宿の女将さんに訊いたら、立っている場所から川面まで50bはあると言う。「私も嫁に来て50年近くになりますが、まだここから下に下りたことがないんです」
 女将さんの足元には小さな石の祠があって、ワンカップ酒と野菊が供えてあった。
「このあたりの人は、大蛇になったお美代ちゃんを、いまでも農業の神さまとして大事にお祭りしているんですよ」

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