伝説紀行 湯の坂由来 久留米市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第47話 02年02月17日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

キツネの湯
原題:湯の坂由来


湯ノ坂(久留米市野中町)

福岡県久留米市湯の坂

 今回お邪魔したのは、久留米市の東部・石橋文化センター裏手の「湯ノ坂」というところ。ダラダラ続く坂の途中に久留米温泉がある。カウンターにいる女性の話だと、温泉を掘り当てたのが1980年だと言うから、わずか20年前のことではないか。正式の地名にもなるくらいだから、もっと以前から「湯ノ坂」はあったはず。「湯のない湯の坂」について物知り博士に訊いたら、これまたおもしろい由来話が返ってきた。

高良さん参り

 江戸時代の中頃だったか、久留米のはずれに住む運助という男が、月に一度の高良さん(高良神社)参りにでかけた。現在の石橋文化センターの裏あたりを通って高良川を渡ると、昼なお暗い千本杉に突入した。豊後街道(現在の国道210号線)の両側に1キロに渡って千本の杉の枝が覆い被さっているところからこんな名前がついたらしい。
「お化けでも出るんじゃなかろうか。同じお化けでもよかおなご(美人)なら大歓迎たい」なんて馬鹿なことを考えていると、本当に別嬪さんが現れた。
写真:石橋文化センター
「もし、そこのよか男っ」
「はい、はい。何じゃろか?」
「あたしゃくさい、おもんち言いますもんの。これからくさい、高良さんに参るとこばってん、ひとりじゃきしょくん悪か(気味が悪い)けん、連れていってくれんでっしょか」
 よかおなごに頼まれて断る馬鹿はいない。「よかたい(OK)、よかたい(OK)」ということで、330bの山登りを始めた。

女子の前でええかっこう

「そこんしと(そこの人)、ちょっと休んでいかんですか」
 最後の石段を前にした参道には3軒の茶店があって、若い娘が熱心に客を呼び止めている。本殿がすぐそこなのにいい気持ちになっている場面を中断したくない雲助、茶店の隅っこに陣取った。そこでお銚子3本を注文。
「あたしゃくさい、お酒はまっででけん(まるで駄目)ですもんの」とは、よかおなご。そう言う傍ら、お猪口(ちょこ)1杯が2杯に、そのうち茶碗酒になって飲むこと飲むこと。雲助どん、懐の具合が気になって仕方がない。写真は、むかし茶屋が並んでいた参道
「ちょっと、厠(かわや)へ」
 雲助がよろけた拍子に、おもんさんの着物の裾からはみ出ている尻尾を見てしまった。
「しもうた、ばれたか」
 おもんのキツネは慌てて表に駆け出そうとした。間抜けなのは雲助ばかりではない。おもんも出口の敷居に蹴躓(けつまず)いてスッテンころりん。顔や手から血を噴出して、「キャンキャン」泣きながら山の中に逃げ込んで行く始末。

竹藪から鼻歌が

 よかおなごとデートが没になって、がっくり肩を落とす雲助。神社をあとにして、ダラダラの下り坂。
 そのとき、竹薮から「いい湯だねー」とかなんとか、女の鼻歌が聞こえてきた。あの声は確かにおもんキツネだ。雲助は棒切れを握り締めると、気付かれないようにそっと竹薮をかき分けた。
 目の前には大きな水溜りが…。水溜りのなかでは、おもんが豊満な胸をこれ見よがしにして浸かっている。雲助ときたら、性懲りもなくおもんの裸身に見とれてしまった。
「アタシってそげんにきれいかと? 雲助さんもいっしょに入ろうよ。早う裸にならんの」
「もう騙されんばい」と運助。
「そげん言うばってん、あんたの下のほうが、あたしのそばに行きたかち言いいよるばい」

 おもんは言うなり、悪戯っぽく雲助に水をかけた。「ひゃー、冷たい」と言おうとして、「ああ、ぬっか(温かい)」
 それは何とも心地よい温泉だったのだ。
「あたしは、先ほどのお詫びのしるしに、雲助さんだけにここの温泉ば教えようち思うて」
 雲助は裸になると、おもんのそばにざんぶり。なんともいい気持ち。おもんの腕の中で眠り込んでしまった。何時間たったか、目を覚ましたときには彼女の姿はどこにもなかった。

湯のない温泉

 時代は明治から大正・昭和へと。その間、おもんキツネが雲助に教えた温泉のことは誰にも知られず、「湯ノ坂」という地名だけが残ってしまったというわけ。湯ノ坂記念碑
 昭和の御世も最後のころになって、久留米のある人が、「何百年も地名が語り継がれるぐらいじゃけん、ここ掘りゃ、しゃっち(必ず)温泉が湧くくさい」と、巨費を投じてボーリングをしたんだそうな。案の定、効能あふれる鉱泉が湧き出たのが、現在の湯ノ坂久留米温泉の起こりだと。(完)

 取材をかねて周囲を散策したら、表の広場に「泉源」があり、蛇口から出てくる水を大事そうにポリバケツに汲んでいるおじさんがいた。おじさん曰く、「喫茶店ばやっとるばってんが、この水でたてたコーヒーの評判が良うて」とのこと。ちなみに水はただでした。
 そのむかし竹薮ばかりの淋しい場所だった湯ノ坂も、ビルやお店がひしめいていて当時をしのぶことは難しい。温泉の入り口の石碑が、「キツネがくれた癒しの湯をユメユメ疑うな」と睨みつけているよう。ちなみに石碑には、湯ノ坂 温泉薬師如来 聖観世音菩薩 久留米温泉と刻まれてあり、僕は思わず手を合わせてしまった。

 9年ぶりに湯ノ坂を訪ねた。東方の高良山に向かうだらだら坂は以前とちっとも変らない。変わっていたのは、無料(ただ)の水くみ場がなくなっていたことだ。湧水が枯渇したのか、それとも周囲の静寂を乱す不届き者を締め出すためなのか、わけは聞けなかった。ひょっとして、「ただでくれてやるのがもったいなくなった」温泉経営者の気持ちじゃなければよいのだが。(2010年5月8日)

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