伝説紀行 清水の仁王 瀬高町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第046話 02年02月10日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

清水寺の仁王さま

福岡県みやま市(旧瀬高町)


清水寺の仁王像

 山門郡の瀬高町と山川町(現みやま市)の境界に、標高331bの清水山(きよみずやま)が居座る。筑後平野の南側から熊本の阿蘇外輪山まで延々と続く筑肥山地の北の端にあたる。「清水」の名のとおり、山全体に保水された清流が何百何千年の年輪を重ねた大木の裾を流れ、夏なお涼しいハイキングコースとして賑わっている。
 清水山の中腹には、そのむかし天台宗を開いた伝教大師(最澄)が建立したと伝えられる本吉山清水寺がある。清流に沿って参道を登っていくと五百羅漢が出迎えてくれて、そのすぐ上に仁王門が建っていた。門の中にいかめしい顔をして立っているのが、清水寺本堂にお住まいの千手観音菩薩をお守りする仁王さまである。

すごい力持ち

 もう千年以上もむかしのお話。清水山の麓の本吉という郷にユミという器量がよくて心優しい娘が住んでいた。ユミは近所に住む同じ歳のニオウのことが気になって仕方がない。
 ニオウは2メートルを超す大男でめっぽう力が強い。そこらの力持ちが束になってかかってもひとたまりもなかった。ニオウの噂を聞きつけた力持ちが日本全国からやってくるが、立ち上がったとたんに突き飛ばされてしまい、生きて帰れるだけでもうけものといった具合。
「ニオウどん、あんたと勝負できるもんは世界中どこにもおりゃあせん」
 あちこちからニオウを称える声が飛んでくる。ニオウもすっかりその気になって、誰彼かまわず喧嘩を売っては、投げ飛ばした。みんなが近づかなくなると、今度はそこらの牛の角を掴んで振り回す始末。


写真は、清水寺山門

海の向こうにはもっとすごい奴が

「なあ、ユミよ。どこかに俺と勝負できる強い奴がおらんもんかのう。俺さまに恐れをなして誰も相手になってくれんから退屈でしようがねえ」
「馬鹿ね、みんなはあんたと勝負したくないからおだててるだけよ。いくら力が強くて人気が高くても、弱い人間に痛みばかり押し付けていたらそのうちひどい仕返しを食うんだから」
「なに言ってんだ、この世は力の強い奴が偉いんだ。その証拠にみんなが俺に貢物を持ってくるじゃねえか」
「あんたより強い男をあたしは知っているよ」
「本当か? お願えだから教えてくれ。頼むからよ」
「教えてもいいけど。あんた、その人と勝負したらきっと命はないよ。それでもいいのかい?」
「かまわねえ、俺さまより強い奴に殺されるんなら本望だい。もっとも、そんな力持ちがこの世の中にいるとは思えねえが」
 ユミは、ニオウをまともな人間にするための策を考えていたのだった。
「その男はね、日本にはいないの。江浦の港から舟に乗ってずうっと西に行くと、唐という国があるわ。そこで龍王と名乗る人がいるの。その人が世界一の力持ちだそうよ」
「唐」と言われてもピンとこないニオウは、ユミの話が終わる前にもう旅支度を始めた。
「あのね、ニオウ。もしもよ、龍王と勝負して命が危なくなったら、清水山の観音さまに助けを求めるのよ、わかった」
「俺さまには神も仏も必要ねえよ。自分の力だけが頼りの人生さ」
 早速ニオウは江浦の岸に繋いであった小舟に乗り込んだ。有明海から波高き東シナ海に出て40日、なんとか大陸にたどり着くとすぐに龍王の家を訪ねた。目指す相手はよほどの有名人らしく、家もすぐにわかった。

命あってのものだね

「もーし」
 自分のボロ家と比べてなんと豪華な屋敷であることか。出てきた華奢な体つきの龍王の妻に用向きを伝えた。
「あいにく主人は出かけております。あの人も最近力比べの相手がいなくて退屈しておりますので、さぞ喜ぶことでございましょう。寒いからすぐに火を持ってまいります」
 龍王の妻女は、ニオウを奥座敷に案内したあと、直径が1bもありそうな鋼鉄でできた火鉢を軽々と抱えてきた。火鉢には豪華な龍の彫りものが施してあり、中ではアカアカと炭が燃え盛っていた。
 妻女が座敷を出て行った後、ニオウが火鉢を手元に引き寄せようとした。なんたることか、あの華奢な女が軽々と抱えてきた火鉢がびくともしない。まるで根でも生えているように。そんなはずはない。立ち上がって抱えあげようとするが、それでも動かない。ニオウの顔色が青ざめた。そして体中の震えが止まらなくなった。

「これは大変なことになった。あの物静かな妻女であの力なら、その夫たる龍王の力は…」
 勝負は始まる前に決着した。このままだときっと殺される。まだ死にたくない。どうしよう。こんなときは逃げるが勝ちと縁側から外に出て、裸足のまま駆けだした。
船着場に繋いでいた舟に乗り込むが早いか、沖に向かってを漕いだ。
「おーい、ニオウとか申されるお客人、どこへ行かれる?」
 振り向くと、中背の男が岸辺から呼んでいた。それが龍王だとすぐわかった。
「いや、きょうは体調がすぐれんのでまた出直したい」
「そんなのなしですよ。せっかく遠い大和の国からおいでなのに。戻ってきて勝負されよ」
「いやだね」ニオウは命あってのものだねと、力の限り櫓をこいだ。だが、舟は1寸も先に進もうとしない。それどころか、逆に港に引き戻されている。龍王が頑丈な鎖のついた錨を投げてニオウの舟に巻きつかせ、引き寄せていたのだった。舟はズルズルと岩壁に近づいていった。(写真は、清水寺本堂)
「どうかお助けください、観音さま」
 ニオウの口から思わず哀れな言葉が漏れた。
「神も仏も信じない」と嘯(うそぶ)いていたのに。出立の前にユミに「命が危ないようだったら、清水山の観音さまに助けを求めるのよ」と言われたことを思い出したのだった。

改心して門の中に

 絶体絶命のそのとき、波頭の向こうに後光がさし、頭を衣で覆った観音さまが立たれた。観音さまはニオウに手招きするような仕種で話しかけた。
「ニオウとやら、あなたのことは信心深いユミから聞いていますよ。あなたは自分より強いものに殺されるのなら本望だと言ったそうですね。それがなぜ今ごろ命乞いをするのです?」

「私が思い上がっていたのです。周りのみんなからおまえは強くて偉いと言われるものだから、ついその気になってしもうたのです。本当は命が惜しい弱い人間なのです」
「ニオウよ、命が助かって、その後どうするのです?」
「はい、私の力を人々の幸せのために使います。そのためには、どなたの言葉も大事に聞きます」
 そこまで言ったとき、波の向こうの観音さまの姿は消え、鎖が解けて舟は沖に向かって走り出した。
 命からがら江浦の港に着いたニオウはすぐユミを訪ねた。だがどこを捜してもユミの姿はない。ニオウは清水山を這い登って観音さまの前に額(ぬか)ずいた。観音さまは優しい眼差しでニオウを迎えられた。よくよくお顔を見ると、その姿格好や顔形が…。
「おまえ、ひょっとしてユミでは…」
 言いかけてニオウは言葉を飲み込んだ。あんなに親切に俺のことを心配してくれたユミとは、実は清水山の観音さまだったのだろうか。
 それからというもの、ニオウは心から観音さまに仕え、弱きを助け強気をくじく立派な人間になった。これが瀬高・清水寺の山門で千手観音菩薩を守る、いかめしい顔つきの仁王像の由来だそうな。(完)

瀬高町を散策していると、米の生育のいいことがまず目につく。漬物用の高菜など野菜も豊富だ。矢部川が運んでくる栄養分と、筑肥山地からの清流の恵みに改めて感謝したい。
 おもしろくないことといえば、こんなに静かな田園風景の中に新幹線の駅を作ろうとしている無粋な政治家がいることだ。ニオウが怒って暴れだすかもしれないぞ。
 清水寺への参道は、四季を通じて素晴らしい。春いっせいに芽吹く楠や銀杏などは、パソコンで疲れた目を洗い流してくれる。真夏、蝉時雨の中を歩いていても少しも暑さを感じない。大木がさしかけてくれる天然の日傘と足元の清流が涼を満喫させてくれるから。そして秋。流れ落ちる小川の両岸に密生するいく種類もの楓が次々に紅葉して、まるで錦絵の世界に紛れ込んだ感さえある。冬晴れた日に清水山の峠まで行くと、大噴火で形成された雲仙・普賢岳の奇形が眼前に迫ってくる。
 途中、本堂から聞こえた読経が耳奥に残り、日本人に生まれ、ふるさと筑後に住む幸せをつくづくかみ締めた。

ページ頭へ    目次へ    表紙へ