四十七人目の浪士の最期　　忠臣蔵異聞

寺坂吉右衛門の墓

福岡県八女市

寺坂吉右衛門の墓（一念寺）

　福岡県八女市あたりの地図を見ていたら、「寺坂吉右衛門の墓」が目に入った。寺坂吉右衛門といえば、誰もが知っている赤穂四十七士の一人ではないか。先日東京高輪の泉岳寺を見学したとき、その末座にも「寺坂吉右衛門の墓」があった。地図を頼りに八女市豊福にある一念寺を訪ねた。本堂裏の階段を登りつめると、確かに「寺坂吉右衛門の墓」が建っている。
　一念寺のご住職は、寺に伝わる「縁起」文書や浪士・吉田忠左衛門の家計図、そして吉右衛門の遺品だという槍などを見せてくれた。一念寺「縁起」を読みながら、僕の頭はこんがらがった。

東京泉岳寺の寺坂吉右衛門の墓（左）

筑後に現われた

ときは元禄時代も終わりの頃、千歳川（筑後川）の堤防に、六部姿(ろくぶすがた)の男が立っていた。
　男はしばらく大河の流れに見入った後、急ぎ久留米の城下に入った。訪ねた相手は柘植六郎左衛門定長(つげろくろうざえもんさだなが)。。
　男は寺坂吉右衛門と名乗った。名前を聞いて六郎左衛門がうろたえた。寺坂といえば、いまや全国津々浦々まで知らぬ者がいない赤穂浪士の中の一人ではないか。

仇討ちの報告に

「吉田忠左衛門に縁続きの皆さまに、浅野家の家来による吉良邸討ち入りの顛末を報告に参上いたしました」
　吉右衛門は訪問のおもむきを伝えた。応対した柘植六郎左衛門は浪士・吉田忠左衛門の妻･リンの弟である。リンの実家が当地の熊井家で、六郎左衛門は熊井家から柘植家に養子に入っている間柄であった。

吉右衛門が持参した槍など

「忠左衛門の縁者は、拙者以外にこの地にはいない。次男の伝内も、親の罪に連座して伊豆に流されたし･･･」
　吉右衛門は、自分が訪問したことを迷惑に思われているような気がした。
「ところで貴殿は、討ち入りに参加した忠左衛門や長男の澤右衛門ともども切腹を命じられたのではなかったのか？」

仕事を終えて

「私めは吉田忠左衛門さまに仕える身分低き足軽でございます。本懐後大石内蔵助さまから、『浅野は人手が足りなくて足軽まで動員したと世間から蔑(さげす)まれては不本意である故、隊列を離れるよう』命じられました」
　吉右衛門は、六郎左衛門にことの始末を報告したあと、急ぎ屋敷を後にした。これで大石内蔵助から命じられた「遺族への顛末報告」はすべて終わった。彼の足は都とは反対方向に向いていた。

吉右衛門の遺品を見せる先代住職

足軽ゆえの…

　長かった。元禄14（1701）年3月14日、主君浅野内匠頭が江戸城内で刃傷に及び、その夜のうちに切腹を命じられた。そして浅野家は取り潰し。大石内蔵助以下浪人となった家来衆は、幕府の不当な捌きを世に訴えるために決起した。翌年12月14日深夜、吉良の屋敷に討ち入った浪士たちは上野介の首級をあげ本懐を遂げた。
　翌朝吉良邸から主君・浅野内匠頭が眠る泉岳寺に向かう途中、大石内蔵助は列の最後尾にいる吉右衛門を呼び寄せた。
「速やかに隊列を離れ、主君の奥方・搖泉院(ようぜんいん)さまに仇討ちの成功を報告し、預かりし資金の残金を返却せよ。その後は同士の遺族を訪ね、ことの顛末をお知らせするように」と。

一念寺

　吉右衛門は、最後まで同士と行動をともにしたい、と哀願したが、内蔵助も主人の忠左衛門も聞き入れてはくれなかった。
「そなたが身分低き足軽ゆえに、この役目はそなたにしかできないのじゃ。わかってくれ」と、内蔵助は刺すような目で吉右衛門をにらみつけて言いつけた。

本所吉良上野邸跡

　隊を離れたあと京に飛んで搖泉院に報告を終えると、全国に点在する同士の遺族を廻る旅が続いた。大名の屋敷に預けられた46人が切腹したことを風の噂で聞いたときは、心底から自分もその場にいて腹を切りたいと泣き叫んだものだ。

卑怯者の汚名を背負って

　往還を南下した吉右衛門は、久留米から２里離れた上妻郡忠見村（現八女市）にたどり着いた。足元の小川の水を掌ですくって口に運んだ。こんなにおいしい水を飲んだのはいつ以来のことか。今で言う山ノ井川の源流近くであった。

八女市内を流れる山野井川

「ご家老、そしてご主人さま。私は言いつけどおり、同士の皆さまのご遺族にことの顛末を報告し終えました。日本国中を歩いていて、『隊から逃げ出した卑怯者』と罵(ののし)られたことも幾度となくありました。ご家老さまの言われた、『身分低きが故におまえにしかできない』という意味がいまやっとわかりました。身分の低い私だからこそ、必要以上の追手もなく役目が遂行できたのでございます」
　寺坂吉右衛門は、周囲の枯草を土手の上に敷き詰めて正座すると、おもむろに懐剣を抜いた。

四十七士の供養は誰がする

「待ちなされ、早まるでない！」
　気付かぬうちに後ろに２人の男が立っていた。吉右衛門の切腹を止めたのは、柘植六郎左衛門の言いつけで跡を追ってきた下男の治助と、治助から事情を聞いた寺の和尚であった。
「止めてくださるな。私は信念に基づいて死ぬのでござる」
「そなたにはもう一つ重大な仕事が残っておるはず」
「ご家老から言いつけられたことはすべて果たしました。あとは一刻も早く、無念の最期をとげられた殿さまと、殿さまのそばで眠る同士のもとに馳せ参じるまででござる」
「いいや、そなたには吉良邸討ち入りが世間にどう影響するか、もっともっと見極める責任がある。それに･･･」
「それに･･･？」
「そなたが死ねば、大石殿以下亡くなった同士の供養は誰がいたすのか」
　和尚の言葉に、吉右衛門の心が動いた。そのあとの吉右衛門は、和尚と六郎左衛門の計らいで立山(たちやま)の懐に庵を結び、読経に明け暮れる毎日となった。

　一念寺縁起によれば、庵に篭った寺坂吉右衛門は、享保14（1729）年9月26日に66歳の人生の幕を閉じたと記されている。赤穂浪士が切腹してから実に28年の歳月が流れていた。吉右衛門の亡骸は一念寺が引き取り、現在のお墓となった次第。

　47人目の赤穂浪士・寺坂吉右衛門についてはいくつもの書物や資料がある。死んだ場所や年齢・墓所のありかもさまざまだ。しかし、僕は筑紫次郎。ふるさとのお寺に伝わる縁起の方に興味が傾く。師走に入ってすぐ一念寺を訪ねた。ご住職曰く、「戦前の12月14日には学校単位でお参りがあったものだ」と。いつまでも変らぬ忠臣蔵贔屓は筑後でも生きていた。
　さてさて、「一念寺縁起」を離れて、本家の高輪泉岳寺では寺坂吉右衛門のその後をどう説明しているのか。
「一党中寺坂吉右衛門は、討入の後、大石の命を受け瑶泉院（長矩公夫人）及び一党の遺族等に復讐の顛末を報告して廻り、後江戸に帰って自首したが、時効を以って赦され、83才の天寿を全うした。その遺骸は麻布の曹渓寺に葬られた。（現在の）泉岳寺（にある寺坂吉右衛門）の墓は、慶応4年6月、供養のために建てられた」ものと、同寺のホームページには記してある。