伝説紀行 石櫃の湯 空也行脚 九重町宝泉寺温泉


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第034話 2001年11月18日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

石櫃の湯    〜宝泉寺温泉由来〜

大分県九重町


宝泉寺温泉の石櫃の湯

 九重町の西方を流れる町田川(筑後川の上流・玖珠川の支流)沿いに、宝泉寺温泉はある。15軒の温泉宿があり、湯煙が立ち昇っている。湯質は中性の単純温泉で、傷口を治してくれる湯として親しまれてきた。。
 温泉の名前の「宝泉寺」という寺はどこにあるのか、「ずっとむかしに、大友宗麟によって焼き討ちされ、いまは名前だけしか残っていませんが・・・」とは、旅館のマネージャーの説明であった。

小鹿を殺すな!

 10世紀(901〜1000年)に入り、京の都では市の聖(いちのひじり)と呼ばれた空也が念仏踊りを通じて仏の教えを説き、貴族や庶民の幅広い信仰を集めていた。貴族社会全盛の平安時代である。空也上人は、更に念仏仏教を広げるため、都を後にした。
 その頃、豊国(とよのくに=豊後)の串野(大分県九重町串野)というところに岩次郎という狩人が住んでいた。岩次郎は弓矢で獣を追ったり、川の魚を捕まえて生活している。性格はいたって粗野な男である。今日も草を食んでいる鹿を一撃のもとに仕留めた。死んだ母鹿の側には生まれて間もない小鹿が寄り添って泣いている。そんなことはお構いなしに、岩次郎は獲物を担いで立ち去ろうとした。
「お待ちなさい」


温泉郷を流れる町田川

 声をかけられて振り返ると、30歳半ばの旅の僧がこちらを睨みつけていた。
「お坊さんよ、俺は忙しいんだ。邪魔をしないでくれよな」
 岩次郎も負けずに旅の僧を睨み返した。

情けに人と獣の隔てなし

「あなたは、お母さんを追ってくるあの小鹿のことが気にならないのですか?」
「そんなの関係ないよ。あんなに小さくっちゃ、売り物にもならないしよ。そのうちどこかで野垂れ死にするだろうよ」
 岩次郎は、お坊さんと関わっている時間がもったいないと言うように口を尖らせた。
「親子の情というものは、人も獣も変わりないのです。人間のほうが外の生き物より偉いと思うあなたの思い上がりが情けない」
「何で見ず知らずのお坊さんに、そんなお説教をいただかなきゃいかんのですかね」
 旅僧と岩次郎のやりとりがしばらく続いた。
「よく聞きなされや。この世に生を受けたもの、すべてが生きるために一生懸命です。親は子を育て、子供は親を乗り越えて立派な大人になろうとする。これ、人も獣も野に生えた木や草だって同じこと」
「わからねえな。あの杉の木と人間が同じって言うんですかい」
「私の言うことを信じないようだな。よろしいか、この杖は杉でできている。とっくに枯れたものだが、それでも命の水を与えれば生き返る」
「・・・・・・?」
「この杖を大地に刺して命の水を与えるのじゃ。この杖から新しい芽が出たら私の言うことの意味がわかるはず。さらば」
 僧は、笠を目深に被り、薄墨の衣を翻して九重の山を登っていった。

平原山宝泉寺

「何が仏だ、枯れ木が生き返るわけがない」
 しばらくたって、それでも心に引っかかるものがあり、岩次郎が旅僧と会っ山に出かけて驚いた。僧が突き刺した杖から、杉の若葉が噴出している。
「何てことだ、俺が今まで生きてきたこととは、いったい何だったのだ」
 岩次郎は、その場に泣き崩れた。やがて髪を剃り落とし、名を「改心」として、町田川のほとりに粗末な庵を結び、念仏三昧に明け暮れるようになった。大友宗麟に焼き討ちされるまで、この地方の人々の心の支えであった平原山宝泉寺のこれが最初である。
 天禄3(972)年、町田地方を襲った大地震で、民家も畑も壊滅状態になった。岩次郎の改心は、生きる術をなくした里人たちに食べ物を与え、励ましの言葉を送り続けた。それでも怪我人の治癒はままならず、改心は師と仰ぐいつかのお坊さんの教えを請いに、生き返らせた杉の木の場所にやってきた。
 杉は天をもつく勢いで空に伸びており、根元からはコンコンと湯が噴出していた。まさかと思いながら怪我人を湯に浸すと、間もなく傷口はふさがり快方の方向に向かった。まさしく「宝の泉の湯」であった。

空也上人が恵んだ湯

 時を経て、安土桃山の時代。日田に住む豪商・平右衛門が、ちょっとした怪我が悪化して苦しんでいた。旅の薬売りから、上流の町田川沿いに、それはもう効き目十分の温泉があると聞き、供のものを連れて出かけた。
 湯治を始めて10日もたった頃、あれだけ痛んだ傷口が塞がった。信じられない平右衛門は、近くの宝泉寺を訪ね、住職に温泉の由来を訊いた。


宝泉寺温泉街

「この寺の開祖は改心という。改心を無謀な性格から救ってくれたのは、誰あろう念仏和讃を広めた空也上人です。上人は光勝という本名で全国を行脚される途中この町田の里にも立ち寄られた。そのとき恵んでくださったのがここの温泉なのです」
 住職の話を聞いて平右衛門は、傷を治してくれた恵みの湯が、末永く大切に守られるようにとの願いをこめて石の湯船を寄贈した。それが今も温泉街に残る「石櫃の湯」である。(完)

 小川のせせらぎを聞きながら、石櫃の湯に浸かっていると、サラサラの湯が内臓までも温めてくれる。極楽とはこういう気持ちをいうのだろうか。千年前の空也上人の功徳は、間違いなく現代人にも伝わっていますよ。

※空也念仏…空也が弟子の定盛に伝えたという念仏。瓢箪や鉢を叩き、笙をならして和讃を唱え、歓喜雀躍(小躍りしながら死後の往生をあらかじめ喜ぶこと)の精を表して踊る。空也踊り、踊り念仏、鉢叩きともいう。
※和讃…仏、菩薩、教法、先徳などを和語で讃嘆(深く感心して褒めること)した歌。讃嘆に始まり平安時代から江戸時代にかけて行われ、七五調風に句を重ね、親鸞は「四句一章」にした。源信の「極楽六時讃」「来迎讃」などが有名。

宝泉寺温泉紹介(2002年4月27日広告)

泉質:無色透明で無味無臭の単純泉。塩化物泉。
    泉温:43度〜96度
    感触:さらさら
    効能:胃腸病・慢性婦人病・関節リューマチ・神経痛・神経炎・疲労回復など。
    宿泊:15軒

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