伝説紀行 高橋神社のカッパ相撲 うきは市吉井


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第025話 2001年09月16日版
         
再編集:2016年09月18日
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

カッパと神さまの相撲大会
高橋神社の子供相撲由来

福岡県うきは市吉井町


高橋神社のカッパ相撲大会(2016/9/10撮影)

 9月に入ってもくそ暑い日が続く第2土曜日の午後。筑後川の支流・巨瀬川のほとりで大歓声があがった。川岸の神社いっぱいに人が集まっていて、子供相撲の真っ最中。ちびっ子力士の背中には、青いインクで奇妙な絵が描かれている。
 大会を仕切っている長老に訊いてみた。「あれは何ですな?」。すると、「あれはカッパの甲羅ですたい」だと。「どうしてそげなもんば描いて相撲ばとらにゃならんとですな?」と再質問したら、うるさそうな目つきをして長老曰く・・・。


大人も子供も熱狂

カッパ被害を神さまに届出

 むかし、巨瀬川一帯には葦が一面に生えていて、カッパの天国だった。その頃、収獲間近なきゅうりやえんどう豆が、誰かに盗まれる事件が相次いだ。また、水遊びをする子供が溺れ死ぬ事故も多発した。
 お百姓さんたちは、「カッパの仕業たい」と怒り、お神酒を5升と肴を持って高橋神社に相談にあがった。
 応対した大明神も相手がカッパでは手ごわくて困った。でも無げに断ると、人間社会から川と農業の神さまという尊称を剥奪されかねない。そうなれば、身に余る供物も途絶えるだろうし・・・。
「何とかせねばなるまいの」と気のない返事をして帰した。
 その晩から大明神は寝ないで作戦を考えた。そしてやっとカッパをやっつける作戦が頭に浮かんだ。

大明神の大作戦

 大明神は、カッパの大将・ガッツを呼び出し、神さま連とカッパ連の相撲大会を提案された。
「神さま、そんなのやる前から勝負は決まってまさあ」
 相撲には絶対的な自信を持つガッツは、大きく胸を反らせて言い放った。
「勝負はやってみなければわからぬだろうが。わしらはこう見えても、神なるぞ」
 大明神も負けてはいない。団体戦での勝負で、負けた方が何でも言うことを聞くというのはどうかと言い出された。
「へい、何でもござれでさあ」
「それなら、お前たちカッパ連が負けたら、人間社会に二度と顔を出さぬと約束するか」


高橋神社のまわりは人人人

「よござんす。戦う前からわかっている勝負なんぞに、こんな賭け事をするなんて神さまも馬鹿だなあ」
「馬鹿とは何だ! 神に向かって失礼であろう、取り消せ!」
 プライドを傷つけられた大明神が怒ること。

不快指数「90」の中で

 真夏のよく晴れた午後、神さま連とカッパ連の相撲大会が巨瀬川の川原で挙行された。空には雲ひとつない。周囲の楠の葉も微動だにしていない。温度計はもう40度近いのではないか。お昼のニュースでは、不快指数が90を越えたと発表していた。


カッパの相撲像

 カッパ一族は、応援団を結成して川原を埋め尽くし、選ばれた力士たちは前稽古に余念がなかった。
 しかし、相撲開始の時間になっても大明神とそのご一党は現われない。ようやく神さま連の力士が褌を締めて土俵に上がったのは、2時間も遅れた午後3時だった。
「さあ、始めるぞ」
 大将の大明神に、遅刻を詫びる気配など微塵もなかった。行司が軍配を掲げて開会を宣言した。

頭の皿が乾いた

 ところが、あれほど自信たっぷりだったカッパ連の力士たち、ヘナヘナ腰で相撲にならない。行司が「はっけよい」と気合を入れても、腰が砕けてしまう。
「おかしかな。こげなはずじゃなかばってん」
 ガッツがしきりに首を捻っている。実は、このときカッパの頭のお皿の水が、照りつける太陽で蒸発してカラカラになっていたのだ。カッパにとって頭の皿が乾くと言うことは死ぬことと同意語なのだ。結局カッパ連は一番も勝てずに完敗した。これは、大明神が寝ずに考えた戦略だったのだ。
「どうじゃ、ガッツよ、カッパ連の負けを認めるか」
 大明神は、失神寸前のカッパらを見回しながら、高らかに勝利宣言を発した。
「約束だぞ、お前らは負けたのだから、これからは人間社会に顔を出さぬよう」
「わかりました。絶対に約束は守ります」

神の情け

 あまりにもしおらしげなガッツを見ていて、大明神も少しばかり作戦のやりすぎを反省された。カッパが人間と完全に縁を切ったら、明日から食うに困るだろう、ということで、定期的に巨瀬川に胡瓜を投げ込んでやると約束された。そして、人間による相撲大会を毎年開くと約束された。
「それが、今も続いている高橋神社の子供相撲大会たい」
 説明してくれた町の長老、日頃からカッパ博士を自認しているだけあって、話し出したら止まらない。
「高橋神社の大明神のお陰で、それからというもの、巨瀬川で野菜泥棒や水難がなくなった」
ともおっしゃるが、そこまでカッパのせいにしていいものかどうか。(完)

 2001年に掲載して以来の再訪問である。9月の第2土曜日。カッパの甲羅を背中に背負った子供たちが、学年別に覇を競っている。子供カッパは、商品目当てと応援団を喜ばせるほかに目的はなさそう。だが、大人は違う。

 農業の神様である高橋大明神さまに、健やかに育つ姿を見せようと、目の色を変えて応援する。大明神に、直接感想を聞いてみた。
「そりゃ、大相撲よりこっちの方がよっぽど面白いぞよ。どなたも、銭金抜きの大勝負じゃけんな。そばを流れる巨瀬川の水が、雨が少ないせいで今にも干上がりそうだし。そうなったら、カッパの頭に水をかけるのは、わししかおらぬだろうな」だって。
そうそう、本サイトの「高橋のカッパ相撲」のアクセスが、この2〜3日でうなぎ上り。大方大明神さまが、筑紫次郎の伝説紀行を読んでから見物すると、100倍面白いぞよ」と宣伝してくださったんだわ。(2016年9月10日)

 大明神がカッパのガッツに約束させた相撲大会。むかしは遠く豊後や久留米などからもたくさんの力自慢が集まってきて、数多くの名力士を世に送り出したものだ。戦後は、土俵を子供たちが奪い、「子供河童相撲」として、毎年9月の第2土曜日に、神社境内で行われるようになった。
 毎度のことだが、今回も哀れなのはカッパたち。むかしは川岸に生い茂った葦の林と適当な蛇行でできた深み(淵)と澱みがあって、カッパにとっては住み心地がよかった。それだけに、野菜泥棒や子供を溺れさすなんて濡れ衣も我慢ができた。
 それが今はどうだ。河川は公共工事でどこもかしこもセメントで固められ、餌の小魚さえ棲めなくなった。人間て奴はどこまでも図々しい。災いをすべてカッパのせいにするくせに、あるときには、基本的人権ならぬカッパの権利である肖像権までも無視して、無断で観光ポスターに使いやがる。(2001年9月16日)

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