伝説紀行 満腹長者 久留米市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第20話 2001年08月12日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

筑後川の竜王
満腹長者


337話 永田ヶ里の長者原 吉野ヶ里町

福岡県久留米市

悠々流れる筑後川(むかしの豆津橋)

 農業を営むもの、むかしから神や仏を頼りに励んできた。大水が出るたびに神の祟りだと怖れ、日照りが続くと農作物が危ないと、川や溜池におわす八大竜王さまのお怒りだと慄いた。そんなむかしの物語である。

クチナワを救う

 江戸時代のこと。肥前の国の吉野ヶ里あたりに、わずかばかりの農地を耕す茂七という働き者がいた。きょうも朝早くから田んぼに出て、水まわりを確かめたり雑草をぬいたりで忙しい。そんな茂七の楽しみは、毎年6月1日に行われる高良神社の兵児かき祭り(へこかきまつり)に出かけることだった。その日も朝から雲ひとつないよい天気。懐にお賽銭とお小遣いを入れると、足取りも軽く筑後川の土手を歩いていった。
 すると前方で、数人の子供たちが、寄ってたかってクチナワ(蛇)を小突いている。
「おまいどんな、生きもんばそげんこなしちゃ(いじめちゃ)でけん」
 茂七が止めたが、子供たちはやめようとしない。
「そんなら、おっちゃんがぜん(お金)ばやるけん、そんクチナワば売っちくれ」
 茂七は金袋の中のお賽銭と小遣いを全部渡した。


高良大社(2018年4月04日撮影)

「これからは、人間に見つからんとこで遊ばにゃよ」
 茂七は、クチナワに言って聞かせて、草むらに逃がしてやった。千栗(ちりくと呼ぶ・佐賀県みやき町)のあたりで渡し舟に乗って久留米の町へ。見上げる高良大社まで、杉並木を抜けたり急階段を登ったり、けっこう体力を要する。


高良神社への参道と本殿前から見下ろす筑後平野

 頂上から一望する筑後平野と向こうの背振の山並みは絶景である。大きな茅輪を3回潜って神前へ。
「神さん、すんまっせん。ちょっとした事情がありまして、お賽銭ば持っとらんとです。今度お参りする時に、必ず2回分持ってきますけん。どうかこらえてください(許してください)」
 茂七は言い訳をして、今来た道を帰路についた。

竜王さまから手箱

 朝行きがけにクチナワを助けた筑後川の土手に差しかかった。
「もし・・・」
 呼び止められて振り向くと、それはもうこれ以上はないと思える別嬪(べっぴん)さんが立っていた。
「私は、高良の神さまから筑後川を預かっている竜王です。今朝方あなたに援けてもらった子蛇の母親でございます。子供の命を救ってくださったお礼に、この手箱をさしあげます」
「なんですじゃろか、こりゃ?」
「これを持っているだけで幸運を呼ぶ手箱です。ただし、けっして箱の蓋を開けてはなりません」
 竜王と名乗る女性は、手箱を茂七に渡すと、葦の原に消えた。茂七は、有り難そうな手箱を神棚にお祭りして、朝な夕なに手を合わせた。
 それからというもの、茂七には不思議なくらい幸運がめぐってきた。どんなに日照りが続いても、大水が出ても、茂七の田んぼだけは被害に遭わなかった。収穫した米はどこよりも高く売れて、たちまち村一番の大百姓に。村人は、そんな茂七を「福を引き寄せる満福長者」と呼んで羨望した。
竜王:法華経の会座に列した護法の竜神。水の神・雨乞いの神。(広辞苑)

楽を求めて福逃げる

 今年も豊作。茂七は大勢の使用人に酒や肴を振舞ってご満悦。あまりにも幸運が続くものだから、手箱の有難さも忘れてしまった。運をくれた竜王のことも、高良神社に賽銭の借りがあることも忘却の彼方に。そんなことより、もっと金儲けをして、日本中の田んぼを独り占めにできないかと考えだした。
「それはそうと、俺の『福』は、あとどんくりぇ残っとるとじゃろか。それによっては、隣村の田んぼの買占めば急がにゃならんが」
 そう言いながら茂七が神棚の上の手箱を取り出して、蓋を開けようとした。
「待たんの、あんた。その箱は絶対に開けちゃでけんち、竜王さまに言われとったろうが」
 嫁のお種が必死に止めた。
「かまうもんか。竜王さまの力がほんなもんかどうか、この箱ば開けりゃすぐわかるこつたい」
 茂七は嫁の手を払いのけて、手箱の蓋を開けた。その途端、中から強烈な炎が噴出して、屋敷から田んぼへと拡がり、一面火の海と化した。そして茂七夫婦は、もとの貧しい暮らしに戻った。
 
東脊振村の中の原というところには、茂七の長者屋敷らしい場所が残っているという。そこでは、それらしい礎石や焼き米が発掘されたというから説得力がある。 中の原という場所を地図で調べたら、そこは有名な吉野ヶ里遺跡と隣り合わせにあった。(完)

 浦島太郎の玉手箱に似たこのお話、筑紫平野でも健在だった。神埼あたりでは最近、夜中にスコップを持って行って、宝物探しをした人がいるとか。働いても働いても楽にならない現代の世相の一断面を見るような気がしてならない。
 茂七が竜王に出会った筑後川周辺は、すっかり様相が変わってしまった。久留米市街の下流には久留米大堰ができて、魚の行き来も容易ではなくなった。これでは、竜王さまの住処だって安泰ではなかろうに。

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