まぼろしの久留米縞を追って
(前文)

 新聞の1面上欄外に印刷されている数字を「紙齢(しれい)」と呼ぶそうです。その新聞が創刊されて、今日まで継続されてきた「号数」のことです。
 本誌「まぼろしの久留米縞(くるめじま) 小川トク伝」は、福岡日日新聞(現西日本新聞)の紙齢第9574号から第9577号に連載された「小川トク子去る」の記事から掘り起こしました。発行日で示せば、「明治43(1910)年8月21日から24日まで」の4日間ということになります。おおよそ105年前(平成27年現在)の新聞です。


 主人公小川トクが生涯をかけて創り上げた「久留米縞(くるめじま)」は、明治期に筑後の一大特産品として全国にその名を知られました。一時期年産40万反を記録した織物です。久留米絣と競いながら発展した久留米縞(くるめじま)が現在どうなっているか、関係先にお尋ねすると、「久留米絣の中の一部」としてささやかに織られているそうです。
 農家や商家の女性が愛用した小川トクの久留米縞。彼女が創織した久留米縞のルーツをたどることで、100年以上むかしの庶民の暮らしと、商都久留米を下支えしたあきんど群の実態を見詰めようとするのが執筆の目的です。
 トク女史は、幕末期に現在のさいたま市見沼区に生まれています。二十歳(はたち)を過ぎて江戸に出て、その後何のゆかりもなかった筑後の地に降り立ちました。彼女が久留米で創出した縞織物(双子織(ふたごおり))と織機(周辺道具を含め)が、それまでどちらかといえば閉鎖的だった地元の織物産業を、一気に躍動させたのでした。
 私が小川トクに興味を抱いたのは、十数年前です。郷土史研究家の故古賀幸雄先生や、埼玉地方で二タ子織(双子織)や小川トクの研究を積まれた潮地ルミ先生(埼玉県蕨市在住)など、多くの方々のご指導を仰ぎながら執筆しました。
 そんな私でも、明治期から大正期にかけて小川トクの影響を受けたという「商標付きの久留米縞」を、未だこの目で確かめていません。小川トクの真髄探しにはまだまだ時間がかかりそうです。
「くるめんあきんど」シリーズは、ムーンスター創業者の倉田雲平、久留米絣の創始者井上伝に続いて、今回の小川トク伝が3作目となります。本誌は、限定出版(非売品)のため、みなさまのお手元にお届けすることが出来ません。下記の「古賀 勝のホームページ(筑紫次郎の世界)」に全文を掲載していますので、ぜひそちらをお読みください。
 みなさまからの率直なご感想・ご批判をお待ちいたします。
 なお、本誌は国会図書館・福岡県立図書館・福岡市立総合図書館・久留米市立図書館など主だった公共閲覧施設、並びに著者の母校である久留米商業高校や久留米市など関係諸機関とマスコミ各社に寄贈させていただきます。
2015年4月
                                                 古賀 勝


凡例
  年月日表示: 明治6年以前は旧暦で、同年以降は新暦で。
  年齢:     原則として数え年で。
  写真・     イラストはすべて「イメージ」として挿入しています。


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