伝説紀行 朝倉のカッパ 朝倉市朝倉


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第019話 2001年08月05日版
再編集: 2011年07月03日 2016年9月25日
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

水車の郷のカッパ祭り
三連水車のカッパ

福岡県朝倉市(朝倉町)


菱野の三連水車

 今回は、全国的に有名な三連水車あたりに棲むカッパのお話をしよう。
 環境に優しいエネルギーという言葉をよく耳にするが、水車ほどに環境に優しい機械はなかろう。自然に流れる水の力をいただいて水車が回る。水車が汲み上げた水が35fもの田んぼを潤わせる。お話は、今のような便利な水車ができるもう少し前のこと。
本流の筑後川では、カッパが仰山おった。ここ菱野村でも、カッパのたたりを恐れて、今でも「カッパ祭」が行われているという。

カッパがアオのワッカにひかっかった

 朝倉の暑い夏の午後。菱野村(現朝倉町菱野)近くの筑後川で、ちょっと変った事件が勃発した。働き者で知られる作兵衛が、愛馬アオの背中を洗ってやっているときのことだ。「ヒヒーン」、何に驚いたのかアオがけたたましい鳴き声をあげて陸に上がり、全速力で走り出した。作兵衛もアオの後を追った。
 家に戻って馬小屋を覗くと、アオが怯えたように小屋の中をウロウロしている。よくよく見ると、全身濃い緑色の皮膚をした生き物がアオのワサ(手綱を繋ぐワッカ)に手を突っ込んでもがいている。そのうちに、近所の者たちが集まってきた。


三連水車の堀川への取水口

「カッパだ」
「こげな妖怪は、見世物に売り飛ばせ」
 村の者が口々にわめいて、カッパを足蹴にしたり、叩いたり。
「許してください。命だけはお助けください」

 カッパは、 必死に命乞いをした。そのうち、この手の話しには必ず登場する村の物知り爺さまが進み出た。
「生き物ばこなしちゃ(いじめちゃ)でけん」

爺さまの説得を聞く羽目に

「そげん言うたっちゃ、こんカッパは、子供ば水に沈めたり、畑の野菜ば盗ったり、悪かこつばっかりするけん」
 爺さまの説得にもなかなか応じようとしない村人たち。
「そんならたい、こんカッパに、今後は人間に悪さばせんち約させまっしょ」
「カッパが、そげな約束ばしましょうか?」
 爺さまは、カッパを諭した。
「そげん命が惜しかなら、助けてやらんこつもなか。ばってんが、これからわしが言うことば守るちいう条件ば聞くか」
 こんこんと諭す爺さまの言葉に、ころりとまいったカッパ。
「命ば助けてくるるなら、何でも聞きますけん」
「そんなら、これからは水泳ぎ中に溺れよる子供がおったら必ず助けること。もう一つ、時々田んぼば見回って、水が切れて稲が枯るるごたったら、掘川の水ば汲み上ぐること。よかか、わかったか」
「よくわかりました。そんくらいなことで命ば助けて貰らゆるならお安か御用ですたい」

“改心”したら「よかカッパ」

 カッパは、爺さまとの約束が済むと釈放され、筑後川に帰っていった。カッパがいなくなると、集まっていた村の者もいつの間にか誰もいなくなった。後に取り残された作兵衛がアオの(たてがみ)を撫でながら、深いため息を吐いた。
「よく考ゆると、あんカッパは何も悪かこつばしとらんよな。たまたまお前のワサに手ばつこんだばっかりに、あげなめに遭うて、かわいそうに」
 いつの時代もそうなんだ、人間って奴は。災難や不幸があるとすぐカッパのせいにしてしまう。日照り続きも大水も、子供の事故も野菜泥棒も、みんなカッパの仕業になるもんな。それでいて、自分たちで解決できん難問にぶつかると、カッパに助けてもらおうとする。人間てどこまで勝手なんだ」
 かく呟く作兵衛も、立派な人間の端くれなのだが。それはそれとして、その後菱野村では子供が溺れ死ぬ事故が壊滅したそうな。百姓がちょっと油断して足踏み水車を回すのをさぼっても、いつも田んぼには満々と水が貼られていたそうな。



6年ぶりに新装した三島の二連水車

「こりゃ、あん時のカッパのお陰ばい」
 村の者はそう信じて、毎年収獲の頃になると堀川に甘酒を捧げて感謝するようになった。それが今日も続く、「三連水車のカッパ祭り」の始まりだとか。(完)

 気温が35度を超える真夏の昼すぎ、生まれて間もない孫を連れて三連水車を見に行った。近くの蜂蜜屋さんに車を止めて歩くこと3分。ずっと前にお邪魔した時は、岸辺に雑草が繁る素朴な川と水車の取り合わせが疲れを癒してくれたものだ。それが今ではどうだ。川辺はすべてセメントで固められ、周りは手馴れた土産物屋が軒を連ねるようになっている。
「孫よ、水車がそんなに珍しいか? 汲み上げている水がご飯になる米を育てているんだよ。そのうち、人に見せるだけのための水車にならなければよいが・・・」

 抱っこして言い聞かせていたら、もみじのような手で指差して、「あれ買って」と、アイスクリームをねだられた。(01年8月5日)

 あれから6年、孫も来年は小学校に上がる。案の定、朝倉の水車は見世物に変身していた。といっても、元の水車は依然として周囲の田んぼの命綱なのだが、すぐ近くに、そっくりの水車を展示して「水車の郷公園」が出現したのだ。建物の中では、水車の歴史や仕組みが丁寧に語られている。人寄せだけの目的でないのが、我が郷土の誇れるところかもしれないな。(07年07月30日)

 初稿から10年が経過した。毎年訪れる菱野の三連は、今年も力強かった。何とかその躍動感をリアルにと、最近購入した一眼レフで狙うのだが、まだまだ。
行けば必ず立ち寄る水車そばの売店では、いつものお爺さんがニコニコ顔で迎えてくれた。最近少しばかり耳が遠くなった以外は元気そのもの。店先の瓢箪つくりの話が止まらない。(2011年7月2日)

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