伝説 一夜川 榧の木物語 筑後川


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第003話 2001年04月15日版
再編:2017年08月27日
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

一夜川

【榧の木物語】

福岡県久留米市・大分県日田市


高良山から見下ろす筑後川(遠方が日田方面)

 このお話、上流の日田市では「日下部(くさかべ)の長者」名で伝えられ、中流域の久留米では「榧(かや)の木物語」として語り継がれてきた。大雨が降ると一夜にして流れを変えるほどの暴れぶりだったことから、筑後川には、一夜川(ひとよがわ)の名前がつけられたという。
 この度の九州北部豪雨2017による、赤谷川の変わりようと同じである。

迷い込んで日田の山奥に

 1300年以上もむかしのこと。陽も西の山に落ちて、あたりはすっかり漆黒の闇に包まれた。串川(くしかわ=日田の三隈川に流れ込む支流)の山中を、3匹の猟犬を連れた若者が通りかかった。若者の名前は、草野太郎常門(くさのたろうつねかど)。耳納山麓の山本郷(現久留米市)の豪族である。常門は、耳納の山に狩りに出て獲物を追っているうちに、はるか上流(草野から40`)まで来てしまった。夜更けに草野の屋敷まで帰るのは難儀なことであり、どこか一夜の宿を頼もうとあたりを探しているところだった。
 その時、初老の男が常門に近づいてきて、手を合わせた。
「私はすぐ向こうの日下部(くさかべ)の長者に使われているものでございます。どうかお助けください」
 涙ながらに訴えるので何事かと質すと、男は主人とその家族に降りかかる不幸を語った。
「昨年主人が他界してからというもの、館に毎晩鬼が現れて、家族を一人ずつ浚っていくのでございます。今夜は、最後に残された末娘の玉姫さまの番でございます。どうか、お助けください」
 聞き捨てならぬ話である。罪もない家族を浚っていく鬼の正体を突き止めんものと、常門は男に案内させて日下部の館に向かった。

美しい娘が一人

 連れてこられた館は、常門の屋敷よりはるかに大きく華やかな建物であった。頑丈な扉を潜ると、庭中に松明が焚かれていて、まるで戦場のようだ。
「姫さま、鬼を退治してくださる、頼もしいお方をお連れしました」
 男が館の中に向かって声をかけると、障子が開いて美しい娘が顔を出した。
「私が長者の娘玉でございます。亡くなった父は、天子さまから『(はる)の長者』の称号までいただいた日下部の春里でございます。今宵私が鬼に浚われるのかと思うと怖ろしくて・・・」
 玉姫は、ずっと体を震わせどおしだった。写真は、長者一族の墓と伝えられる「穴観音」
「あなたのような美しいお方をむざむざと鬼に浚わせるわけにはまいりません。安心してお任せあれ」
 常門は、震える玉姫の肩を抱きながら、鬼退治を誓った。

大木のごとき鬼が

「お前たち、頼むぞ」 常門は3匹の愛犬の頭を撫でながら、決戦の時を待った。夜も更けて、一陣の風が館の中を舞った。すると、愛犬3匹がいっせいに吠え立てた。写真は、絹本著色観興寺縁起「日下部長者の館」より。(久留米市史第5巻)
「鬼め、来たな」
 常門は玉姫を奥の座敷に隠すと、庭石に腰をかけたまま鬼の出現を待った。地響きを立てて怪物が館の中に入り、吠え立てる犬を邪魔そうに睨みつけた。頃あいを見て、常門は弓の弦を絞り、鬼の目に向けて矢を放った。
「がは〜つ」
 鬼は、闇夜を劈くような悲鳴を上げて、館から遠ざかっていった。

鬼の正体は

 夜が明けて、常門は庭に点々と散らばるどす黒い血痕を見つけた。美しい玉姫の家族を浚った鬼の正体を確かめるべく、血痕をたどって串川を遡っていった。山を登りつめた頂には、榧の大木が横たわっていた。木の幹には昨夜常門が放った矢が突き刺さっている。
「さては、あの鬼の正体は榧の木であったのか。なぜ?」
 そのとき人の気配がして振り向くと、白装束で白髪の老人が立っている。
「草野常門とやら、よく聞け。この榧の木はご霊木である。日下部の春里は、生前このご霊木で観音像を彫り、供養すると約束した。大事な約束を反故にした春里は罰を受けて死んだ。行き場を失ったご霊木は、鬼と化して春里の一族を滅ぼさんとなされたのじゃ。よいか、常門。ご霊木との約束を破った春里も、ご霊木に矢を放ったそなたも同罪である」
 夢心地で聞いていた常門が、ふと我に返ったとき、もう老人の姿はそこになかった。
「あなたに矢を放った私の罪をお許しあれ。日下部の春里殿に代わって、この常門めが千手観音像を彫りますゆえ。ですが、日田の山奥からこのような大木を、どうして筑後の草野まで運べましょうや。どうぞご自力で草野までお越しくださいませ」

大木が龍になって

 常門は独りぼっちになった玉姫を妻にして、草野の屋敷に帰ってきた。それから五日もたった頃、筑後川一帯は大雨に見舞われた。雨は三日三晩降り続き、大川の水は赤く濁って堤防を越えてきた。
「旦那さま、濁流の中を龍が下ってまいりました。龍の背中には矢が刺さっておりまする」
 玉姫といっしょに連れてきた春里の館の男が駆け込んできた。まさかとは思うが、常門は神代(くましろ)(久留米市)まで駆けた。
「おお、よくぞまいられた。勿体なや、勿体なや」
 目の前に横たわる榧の木は、確かに串川山で会ったご霊木である。木は、一夜にして、自力で筑後の里まで泳いできたのだった。


一夜川の終着点・旧神代橋

 常門は身を清めて、流れ着いた榧の木で千手観音を彫り、お堂も建ててお祭りしたという。(完)

 久留米市善導寺の国道沿いに「勿体島」なるバス停があるが、物語の榧の霊木が流れ着いた場所だと言い伝えられている。むかしの筑後川は、ここまで蛇行していたということか。また、山本町の観興寺には、常門が榧の霊木で彫った千手観音像が秘仏として祭られているという。
 日田市の石井地区で、「穴観音」と呼ばれる装飾古墳を見つけた。この古墳、原の長者と一族の墓だとも言われている。古墳の説明書きには、「七世紀はじめに築造された円墳」とあり、日下部の春里(原の長者)が生きた時代と合致する。伝説もここまで来ると妙に生々しく感じるものだ。
 この度日田−朝倉地方を襲った九州北部豪雨2017も、この時の様子によく似ている。常門が招き寄せた榧の霊木が、日田の山奥から駆け下りて、濁流渦巻く筑後川を泳ぐ様がである。
 それにしても、筑後川の性格を表わすのに恰好のお話ではないか。

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