現在最も再評価されている監督、それがジャック・ヒルである。クエンティン・タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』は、ヒルに捧げられたと云っても過言ではない。大衆娯楽映画の王道を行き、いくつものプロトタイプを確立した男、ジャック・ヒル。その軌跡を辿ってみよう。
UCLAで映画を学び、フランシス・F・コッポラの右腕として活躍したジャック・ヒルは、65年『スパイダー・ベイビー』で監督デビューを果たす。しかし、この気狂い殺人ファミリーを描いたブラックコメディは金銭的トラブルに巻き込まれてオクラ入り。ヒルは早々につまずくこととなる。
仕方なくメキシコに渡ったヒルは、フランケンシュタイン役者として有名なボリス・カーロフ主演で数本の怪奇映画を撮り、再びアメリカに戻って、B級映画の帝王ロジャー・コーマンの配下に。そして、71年、女囚映画の原型となる『残酷女刑務所』を撮る。前半は残酷且つエロチックな拷問やリンチの数々。後半は女囚たちの叛乱と脱獄を描いた本作は、大衆に支持されて大ヒットを記録。気をよくしたコーマンの命を受けて、翌年には亜流作『ビッグ・バード・ケイジ』を撮らされる。
ここでヒルは一人の逸材と出会う。パム・グリアである。ミス・コロラド出身で、歌が歌えてアクションもできる彼女は、『残酷女刑務所』では助演だったが『ビッグ・バード・ケイジ』では主役級に昇格。そして、次作では遂に一人立ちする。『コフィー』である。
『コフィー』は後に『エイリアン』や『ターミネーター2』で確立される「戦う強いおねえさん」の先駆となる作品であった。妹をヤク中にされ、恋人を片輪にされた女が挑む復讐劇。麻薬組織に潜入し、頭脳と度胸、そして美貌を用いて一人、また一人と抹殺していく様は痛快で、まさにパムの当り役であった。
翌年には、さらに強くなったパムが活躍する『フォクシー・ブラウン』が製作されるが、ヒルとパムの蜜月はこれで打ち止め。パムは以後、『シーバ・ベイビー』『フライデー・フォスター』という亜流の駄作に出演。自らの首を絞めることになる。
かたや、ヒルはというと、これまでのロジャー・コーマン=AIPとは袂を分ち、独立プロで意欲的に製作を始める。(おそらく、ヒットが出ると亜流品を続けて作らされるコーマン=AIP方式に嫌気がさしたのであろう)。第1弾はコリーン・キャンプ主演の『スインギング・チアリーダース』。この映画は観ていないので論評できないが、なかなかの快作であるらしい。そこそこに当りもした。そして、いよいよ満を持して放たれたのが『スイッチブレード・シスターズ』。大衆娯楽映画に要求されるすべてがブチ込まれた本作は、間違いなくヒルの最高傑作である。
一言で云えばスケバン映画。しかし、その中には友情もあれば裏切りもあり、セックスもあればアクションもある。とにかく、ポスターを見た大衆が胸に抱いたものすべて、否、それ以上のものがここにはある。
「娯楽映画はこう作れッ」
と叫ぶヒルの顔が浮かんでくるようである。何千万ドルもかけてそこそこに面白い映画しか作れないバカが多い中で、ヒルはその100分の1の予算でべらぼうに面白い映画を作れるのである。これは本当に凄いことだ。
しかし、ヒルの悲劇はここから始まる。こんなにも面白い本作の興行が大失敗したのだ。その原因については、タランティーノが自らのレーベルから出したビデオの解説で熱っぽく語っているが、要するに、本作の面白さはユニーク過ぎて大衆に受け入れられるまでは時間がかかるが、インディペンデントの興行ではその時間を待つことが出来なかったのである。
つまり、ヒルは自由な作品を作るために独立したが、そのために失敗してしまったのだ。
以後、彼は満足な作品を撮っていない。噂ではメキシコ映画『ザ・キラー・ビーズ』や、カナダ映画『シティ・オン・ファイア』『ゴースト/血のシャワー』がヒルの作品らしいが、クレジットはされていないし、いずれもロクな映画ではない。
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