数年前、『Vampyros Lesbos』のサウンドトラックが「オシャレな渋谷系」として持て囃されたのには驚かされたが、やはり監督の方にまではスポットが当たらなかった。監督はオシャレとは無縁だからね。
監督の名はジェス・フランコ。実に20以上の変名を持ち、これまでに200本以上のホラーやポルノを世に送り出している物凄いお方だ。
彼を評して曰く、
「役者を歩かせて映画を1本、帰ってくるところでもう1本、その2つを編集して3本目の映画を作る男」。
その投げやりな映画作りの姿勢には、感動さえ覚える。
例えば、悪名高き『三大怪人・史上最大の決戦』。イメージ映像を適当に繋いで、その合間に物語をモノローグで語るという噴飯物だ。この手法を応用すれば、1本の映画から2本でも3本でも作ることができる。
もっとも、そんなフランコも当初は、手堅くまとめる職人監督だった。彼が独自性を発揮し出したのは60年代後半のこと。エロティシズムを全面に押し出した、虚実の判別のつかないシュールな作風にシフトし始めたのだ。その代表作が前述の『Vampyros Lesbos』である。
彼のこうしたシフトチェンジには、当時の愛人兼主演女優ソリダート・ミランダの影響が大きい。しかし、『Vampyros Lesbos』の直後、彼女はあっさりと交通事故で死んでしまう。
フランコが投げやりになったのは、これ以降のことである。
投げやりになったのは作風だけではない。人生そのものに投げやりになった。例えば『バージン・ゾンビ』の時には撮影中に失踪。後始末はジャン・ローリンが引き受け、『ナチス・ゾンビ』の時には撮影前に失踪。またしてもジャン・ローリンが引き受けることになる。
そんな彼が、どうしてこれまで監督を続けることが出来たのか?。不思議でならない。
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