ウィリアム・キャッスル 《監督》 《製作》 |
私が彼を初めて認識したのは「ヒッチコックのニセ者」としてだった。映画の冒頭で葉巻を燻らせながら口上を述べる彼の姿は、あからさまに『ヒッチコック劇場』でのヒッチコックのそれであり、彼もそれを意識し、パロディを演じているかのようだった。ヒッチコックがスター化した最初の監督ならば、彼はそれの追随者、悪く云えば模倣者だったのだ。作品的にもヒッチコックの模倣が多く、今日評価されているものは少ない。彼に唯一、ヒッチコックを越えているものがあるとすれば、それはギミック(仕掛け)においてだろう。 キャッスルが最初にギミックを用いたのは『マカブル』だったと云われている。彼はここで観客全員に死亡保険をかけたのだ。すなわち、この映画を見ている最中に観客が死亡したら1000ドルが支払われるとしたのである。つまり、それほど怖い映画だという宣伝であり、これが奏功して『マカブル』は大ヒットした。 代表作の一つ『ティングラー』ではもっと過激なことをした。客席のいくつかに微電流が流れる装置を仕掛け、ティングラーという寄生虫が劇場に逃げ込むシーンで電流を流したのである。劇場内はパニックに見舞われたという。 『第三の犯罪』はヒッチコックの『サイコ』の模倣作。ストーリーはガチャガチャだが、ラストには観客をアッと云わせるオチが待っている(これには私もだまされた)。キャッスルはラストの衝撃にダメ押しする。種明かしの直前に上映を中断して、自らによるこんな口上を劇場に流したのだ。 『ミスター・サルドニカス』では今日的なこんな面白い仕掛けを施した。オチを2通り用意し、ラストの寸前で投票を行い、主人公であるサルドニカス氏の命運を観客に委ねたのである。 『血だらけの惨劇』は『サイコ』の原作者であるロバート・ブロックを脚本に招いた、キャッスルの最高傑作であるが、これ以降からギミックは用いられていない。観客がギャーギャー叫びながら楽しむ時代が終わったということだろうか。 製作者としての彼の仕事は、オーソン・ウェルズの『上海から来た女』と、ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』の2本に尽きる。この2本の審美眼からすれば、彼はプロデューサーに徹していれば、より多くの傑作を世に送り出すことが出来たことだろう。しかし、彼は自ら監督し、自ら出演して口上を述べ、自らギミックを考えることを選んだ。根っからの興行師だったのだ。晩年に書かれた自伝のタイトルは『さあ、寄ってらっしゃい!』である。 |
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