1849年2月5日、18歳のサラ・トーマスは、ブリストル在住の独身女性、エリザベス・ジェフリーズ(61)の小間使いとして住み込みで働き始めた。
エリザベスは近隣では気難しいことで知られていた。これまでにも何十人もの小間使いが辞めている。
「どうせ今度の娘もすぐに辞めるでしょうね」
隣人たちは口々に噂した。
エリザベスの家からは毎日のように小間使いを罵倒する声が響き渡った。ところが、3月4日を境に全く聞こえなくなった。窓のカーテンも閉まったままだ。何かがおかしい。心配した隣人の一人が警察に通報した。
屋内に立ち入った警官は、寝室でエリザベスの遺体を発見した。彼女は就寝中に岩で頭を殴られていた。また、彼女の愛犬も殺されて、便所に遺棄されていた。
翌日、サラ・トーマスはペンズフォードの自宅で逮捕された。その所持品からはエリザベスの宝石がいくつも発見された。それでも彼女はこのように弁明した。
「殺したのは前の小間使いです。彼女はジェフリーズさんに恨みを抱いていました。私は彼女に協力しただけなんです」
しかし、その小間使いの名前を挙げることは出来なかった。
かくして、サラ・トーマスは殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告されたわけだが、その年齢と劣悪な労働条件ゆえに同情が集まり、減刑を求める3500人の署名が当局に提出された。しかし、減刑は認められなかった。かつては主人を殺した女性は軽反逆罪として火刑に処されたという伝統を重んじたのだろう。
1849年4月20日、サラ・トーマスは公開の絞首刑により処刑された。泣き叫ぶ彼女は6人の看守に引きずられて処刑台まで連れて行かれたと伝えられている。極めて後味の悪い処刑だったようだ。
ちなみに、彼女は英国で絞首刑に処された最後の未成年女性である(1865年、犯行時に16歳だったコンスタント・ケントも死刑を宣告されたが、後に終身刑に減刑されている)。
(2012年11月12日/岸田裁月)
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