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フレッド&ローズ・ウエスト
Frederick & Rosemary West (イギリス)



フレッドとローズの「死の館」

 児童虐待の噂が絶えない夫婦だった。しかし、社会福祉士も警察もなかなか尻尾をつかめないでいた。いざとなったら子供たちが証言を拒絶してしまうのだ。
 1992年5月下旬にルイーズ(13)が父親に犯された時もそうだった。クラスメイトの通報で両親は逮捕されたのだが、子供たちは手のひらを返して強姦の事実を否定した。
 その時、うちの一人が気になることをポツリと云った。
「ヘザーのように裏庭に埋められちゃうといけないから」
 ヘザーとは5年前に家出した三女のことだ。
 彼女は実は殺されて、裏庭に埋められているのではないだろうか? 子供たちは自分も殺されることを恐れて、証言を拒んでいるのではないだろうか?
 ところが、これを裏づけるだけの証拠がない。ようやく家宅捜索に踏み切ったのは1994年2月24日になってからだ。すると出て来るわ出て来るわ、計12もの遺体が続々と発掘されたのには世界中が仰天した。かくして人類史上稀にみる凶悪犯罪が遂に露見したのである。

 3月2日付の『トゥデイ』紙が事件の背景を的確に記述している。
「世間の目には、フレデリック・ウエストは10人の子供を持つ大家族の大黒柱だった。21歳の時に幼なじみのキャサリン・コステロと結婚し、2人の娘をもうけた。その結婚は失敗に終わったが、別れた際、2人の娘を引き取ったのはウエストの方だった。現在30歳になるアンとシャーメインだが、フレッドは当時その2人の娘を抱え、建設関係の仕事を探してあちこち引っ越しをしていた。
 1972年にローズマリー・レッツと再婚し、6人の子供を儲けた。メイ、スティーヴン、リアンヌ、ルイーズ、バリー、そして、殺害されたヘザーである。さらに、ローズマリーにはロクシー、ルシアーナという私生児の娘が2人いた。
 昨日、フレッドの弟ダグは次のように語った。『フレッドは蝿も殺せないほど優しい兄だった。いじめられっ子で、下の兄のジョンが守ってやらなきゃならなかった。素晴らしい父親だったよ。彼はなによりも仕事と家庭を愛していた』
 22年間クロムウェル街で隣人だったジョー・ヘフランはこう語った。『とてもいい家族だった。子供たちの学校の行き帰りに、わしはよく声をかけたもんだ。ヘザーのこともよく知っていたから、事件のことを聞いたときゃ、びっくり仰天しちまったよ。フレッドはいつも働いていた。パブにはまったく行かなかった。ひたすら働いて、あとは家族と一緒に過ごしてたよ』」

 そんな「蝿も殺せないほど優しい男」「仕事と家族を愛する素晴らしい男」の家に、どうして屍体が埋まっていなければならないのか? そもそもヘザーを除いた11の遺体はいったい誰なのか? 以下、順を追って説明する。
 とにかく、極めて複雑怪奇な事件である。



少年時代のフレッド(妹たちと共に)

 フレデリック・ウエスト、通称フレッドは1941年9月29日、ヘレフォードシャーのマッチマークルというちっぽけな村で、6人兄弟の第一子として生まれた。片田舎で農作業に従事する一家は、はたからは牧歌的に映る。ところが、その実際はどろどろだった。フレッド曰く、
「親父は俺の妹たちとやっていたんだ。風呂から出て来たところをつかまえてタオルを剥ぎ取り、『俺がお前を作ってやった。だから俺にはお前を触る権利がある』とかなんとか云いながら」
 父ウォルター・ウエストのこの言葉は後年、フレッド自身の口癖となる。この男もまた、こんな戯言を口にしながら娘を犯していたのである。
 この親にしてこの子あり。母デイジーもマトモではなかった。フレッドは12歳の時に母親から性の手ほどきを受けている。つまり、彼の初めての女は母親であり、次の女は妹だった。事実、彼は19歳の時に、13歳の妹を妊娠させたかどで告発されている。
 やれやれ。変態家族に生まれたことがすべての災いの元だったのだ。
 犯罪心理学者オリヴァー・ジェイムスは、フレッドの生い立ちについてこのように述べている。
「彼の幼少時の家庭においては逸脱したセックスが当り前だった。母親とセックスしたことが、おそらくフレッドの性癖を形成した最大の要素であろう。近親相姦で最も重要なことは、母と息子との境界を取り払ってしまうことだ。その結果、なんの規範もなくなってしまうのである」
 規範意識の欠如は、少年時代のフレッドが弟たちに獣姦の楽しさ素晴らしさをとうとうと語ったエピソードからも窺える。
 そして、18歳の時にバイク事故で頭を強打してから彼の性格は一変する。「蝿も殺せない」ような「いじめられっ子」が、突発的に癇癪を起こす激情型の人間へと変貌してしまったのである。
 性モラルの欠如と激情型の性格。この二つが事件の背景にあることは間違いない。



フレッドとキャサリン

 妹を妊娠させたかどで告発されたフレッドは、家から出ることを余儀なくされた。ほどなくキャサリン・コステロという不良娘と懇ろになり、1962年11月に結婚する。18歳の花嫁は妊娠中だった。父親はフレッドではない。どこぞのパキスタン人である。
 二人はやがてキャサリンの故郷グラスゴーの貧民窟に落ち着いた。水洗トイレがないのでゴミ箱に排便するようなところである。そこでキャサリンは春を売った。フレッドが勧めたからだ。彼は妻が他の男と寝るところを想像し、覗き見することに何よりの悦びを見いだしていたのだ。そのくせ異常に嫉妬深く、商売以外で男とちちくり合おうものなら妻は死ぬほどドツかれた。前歯が折れてしまったこともある。まったく理不尽な話である。こんな最悪の環境の中で長女シャーメインと次女アン・マリーは産声をあげる。アン・マリーがフレッドの子であることは間違いない。顔が彼にそっくりだからである。

 この頃のフレッドは移動販売のアイスクリーム屋、いわゆる「アイスクリームマン」を生業にしていた。この仕事は彼の性に合ったようだ。若い女の子に会う機会が多いからだ。アイスクリームを餌に多くの娘を喰っていたようである。
 フレッドは決して二枚目ではない。猿に似た小男である。しかし、口がうまかった。人当たりもよく、だからこそ皆が彼を信用した。「親切な男」だと思ったし「いい父親」だと思った。そして、気がついたら、彼に喰われていたのである。
 あ。ここで「喰われた」とは「やられた」の意味である。フレッドはありとあらゆる非道なことをしてきたが、食人だけはやっていない。やっていたのかも知れないが、その証拠は見つかっていない。
 とにかく、フレッドとしては、このまま妻に売春させて、自分はスケベなアイスクリーム屋稼業を続けたかったことだろう。ところが、いいことは続かなかった。屋台の車をバックさせた時に誤って幼児を轢き殺してしまったのだ。訴追こそ免れたものの、もうグラスゴーにはいられない。かくしてフレッドはグロスターに舞い戻るのである。

「広い家を見つけたよ」
 フレッドのこの言葉を信じて、キャサリンと2人の赤子、そしてベビーシッターを兼ねる彼女の友達、不良仲間のアン・マクフォールとアイザ・マクニールはグロスターを訪れて仰天した。「広い家」どころか、それは家ですらなかった。トレーラーハウスだったのだ。以前の貧民窟の方がマシだった。4人の大人と2人の赤子が暮らすにはあまりにも狭すぎた。
 加えて、フレッドのDVはますます過激になっていった。とてもじゃないが暮らせない。キャサリンとアイザは赤子のことは放ったらかして随徳寺。かねてからフレッドに岡惚れしていたアン・マクフォールが代わって愛人の座に納まる。ところが、これが更なる不幸の始まりだった。フレッドが最初に殺したのが、他ならぬアン・マクフォールだったのである。

 なお、この頃のフレッドは近くの屠殺場で働いていた。最初の殺人がそれと併行していることには因果を感じざるを得ない。思うに、歪んだ性癖のこの男は、家畜を殺すことに性的な悦びを見いだしたのではあるまいか。そして、それを人に、アン・マクフォールに向けたのではなかったか。
 いずれにしても、1967年7月某日、アン・マクフォールは殺害された。手足の指を切り落とされ、バラバラにされた彼女の遺体は、27年後の1994年6月7日に、トレーラーパークからほど近いレターボックス・フィールドの林の中から発掘された。そばには8ケ月の胎児も埋められていた。アンの死後、その腹からえぐり出されたものだ。あまりのことに言葉もない。かくしてフレッド・ウエストという猿によく似た小男は人であることをやめた。己れの快楽のために我が子さえも母胎からえぐり出す鬼畜と化したのである。

 なお、この時期のフレッドは闇で堕胎手術を請け負っていたという身の毛のよだつ話がある。テリー・クリックという男がトレーラーハウス脇のガレージに設けられた「手術室」を目撃している。
「トレイの上には酸素アセチレンバーナーや消毒瓶、ナイフや様々な器具の他に数枚のポラロイド写真があった。いずれも血みどろの女の写真だ。それを見てフレッドは興奮しているようだった」
 メアリー・バストーム(15)もひょっとしたら堕胎手術を受けた一人かも知れない。とにかく、彼女は1968年1月6日を最後に二度と目撃されていない。その遺体は遂に見つからなかったが、彼女がフレッドの2人目の犠牲者であることは今日では異論がない。



フレッドとローズ

 1968年11月29日、フレッドはチェルトナムのバス停で運命的な出会いを果たす。ローズマリー・レッツ。まだ15歳だった。彼女は「死のパートナー」との初めての出会いをこのように述懐している。
「バス停に立っていたら、あの人があたしの顔をじっと見ているのに気づいたのよ。その時は全然いいとは思わなかった。仕事着のままで薄汚れた感じだったし、年寄り臭かったから」
 バスに乗ると、男は隣に座って話しかけてきた。
「しばらく話した後、一緒にどこかに行かないかと誘ってきたの。浮浪者みたいだったから断ったわ。だけど、それで終わらなかったのよね」
 明くる日も明くる日も男はバス停で待っていた。そのたびにデートに誘われて困っちゃうわ。根負けした彼女がフレッドにからだを許すまではそう長くはかからなかった。彼女もまたフレッドと同様に性モラルが欠けた家庭で育っていたのだ。まさに割れ鍋に綴じ蓋のカップルだったのである。

 ローズマリー・レッツ、通称ローズは1953年11月29日、デヴォン北部のノーザムで、7人兄弟の5番目として生まれた。父親のビルは典型的な馬鹿親父で、稼ぎもないクセに威張り散らし、逆らおうものなら怒り狂った。妻子は殴られ、鞭で打たれる毎日だった。ところが、どういうわけか馬鹿親父はローズにだけは甘かった。何故か? 要領のいい彼女は父親にからだを許すことでDVから免れていたのである。兄弟たちは彼女が祖父とも関係していたと信じている。また、弟のグレアムは12歳の時に彼女に誘惑されている。『先天性欲情魔』というピンク映画がかつてあったが、ローズという女がまさにそれだ。フレッドと出会った15歳の時に、既に何度も売春容疑で補導されていたのだ。

 かくしてフレッドは遂に生涯の伴侶と巡り会った。「先天性欲情魔」はボンデージでもアナルでもなんでもOK。ありとあらゆる変態遊戯を受け入れてくれた。否。むしろ彼女の方から挑んでくる。やったぜベイビー、ありがたや。もう判らず屋の妻なんかいらないや。フレッドの妻、キャサリン・ウエストが殺されたのはこの頃、1969年1月であったとするのが通説である。もっと後だったとの見解もあるが、とにかく殺されて、アン・マクフォールと同じレターボックス・フィールドに埋められた。やはり手足の指を切り落とされ、バラバラに切断されていた。

 馬鹿親父との間で一悶着あったものの、ゴリ押しで「猿に似た小男」と同棲を始めた「先天性欲情魔」は、1970年10月17日に悲劇の子ヘザーを産む。それから2ケ月もしないうちにフレッドは詐欺容疑で有罪となり、ムショにぶち込まれてしまう。長女のシャーメイン(8)が殺されたのはこの頃である。手を下したのはローズに他ならない。17歳にして3人の子の母親になった彼女が育児ノイローゼに陥ったことは想像に難くない。ましてや夫は「囹圄の人」だ。独り寝の寂しさを子供にあたることで紛らわし、勢い余って殺してしまったというのが真相だろう。
 やがて出所したフレッドは、妻もまた殺人者となったことをどう思ったのだろうか? がっかりしただろうか? 否。むしろ「やったぜベイビー」だったのではないか。これで共通の秘密ができたのだ。後は夫婦仲良く、欲望の赴くままに鬼畜道を極めるばかりだ。まったく恐ろしいことである。
 なお、シャーメインの遺体は当時二人が居住していたグロスターのミッドランド・ロード25番地の床下から発見された。やはりバラバラである。フレッドという男は我が子でさえもバラバラにして弄んでいたのだ。



ローズ・ウエスト

 1972年1月29日、フレッドとローズは正式に結婚する。キャサリンとは離婚していないので重婚にあたるのだが、どういうわけか婚姻届けは受理されたようだ。そして、クロムウェル・ストリート25番地の二軒長屋に移り住む。20年後に「恐怖の館」と呼ばれることになる3階建ての家屋である。2階と3階は下宿人に貸し、地下室ではローズが売春をしていた。評判は上々である。かつての客は語る。
「あの女はすごく上手だった。彼女と会うまではあんなにいい思いをしたことはなかったね」
「ぽっちゃりしたからだつきで、おっぱいも大きいし、なにより男を興奮させるツボを心得ていた。45分10ポンドだったんだけど、1分1分を堪能したね。あれ以上のセックスをするのは人間技じゃないよ。彼女は本当にすばらしかった。最高のセックスだったよ」
「先天性欲情魔」と呼ぶにふさわしい仕事ぶりである。彼女にとって売春は天職だったようだ。それを覗き見しながら自慰に耽るフレッドが、次女アン・マリーを強姦したのはこの頃である。彼女はまだ8歳だった。

 自宅での売春、数々のスワッピング・パーティー、下宿人やベビーシッターの少女たちともヤリまくり、果てには己れの娘にまでも手を出す不埒な桃色遊戯三昧の日々も1973年1月12日に転機を迎える。キャロライン・レインという17歳の少女に対する強制猥褻容疑で有罪となり、フレッドとローズそれぞれに25ポンドの罰金刑が科されたのである。強姦罪に問われなかったのはラッキーというべきだろう。この時、二人は思った筈だ。
「あの娘は解放すべきではなかった。殺しておくべきだった。これからは殺してしまおう。殺してしまえば発覚はしない。そうだ。そうしよう。殺して埋めてしまおう」

 1973年 4月20日 リンダ・ガフ(19)
 1973年11月10日 キャロル・アン・クーパー(15)
 1973年12月27日 ルーシー・パーティントン(21)
 1974年 4月16日 テレーズ・シーゲンターラー(21)
 1974年11月14日 シャーリー・ハバート(15)
 1975年 4月12日 ジュアニータ・モット(18)

 彼女たちはいずれも、恰もミイラの如く顔面にガムテープを巻かれ、手足の指を切断され、バラバラにされてクロムウェル・ストリート25番地の床下に埋められていた。子沢山の一家がまさかアウシュビッツだとは思わなかった。お茶に呼ばれた彼女たちは、地下室で犯されて、拷問されて、遂には命まで奪われたのだ。
 ジュアニータ・モット殺害の後、次の犠牲者まで3年の空白がある。床下が遺体でいっぱいになってしまったからだろうか? それとも、どこか他の場所に埋めていたのか? いずれにしても、この間の犠牲者は見つかっていない。フレッドは次の犠牲者を埋めるために、床下に代わって庭先を掘り返さなければならなかった。



フレッドとローズ

 1978年5月10日に殺害されたシャーリー・アン・ロビンソン(18)は、一連の犠牲者とは一線を画する。彼女はウエスト家の下宿人で、フレッドの愛人だった。当初はフレッドもご満悦で、客に対して、
「これが俺の女房。そして、こっちが俺の恋人」
 などと紹介していたという。そんな彼女が妊娠し、ローズと別れて結婚してよとフレッドに迫った。そのために彼女は殺された。フレッドにとってローズは掛け替えのない「殺しのパートナー」だ。そう易々と別れられるものではない。愚か者め。
 ちなみに、シャーリーが懐胎していた8ケ月の胎児も死後に抉り出されていた。フレッドという男は、堕胎手術を請け負っていたことからも判る通り、母体に異常な興味を抱いていたようだ。息子のスティーヴンは語る。
「父は女性のからだに取り憑かれていた。女性のあそこに夢中だったんだ。おそらく、中に入りたかったんだよ。僕は父が小さなペンシル型のカメラを欲しがっていたのを知っている。医者が妊娠した女性を診察する時に使うやつさ。父はそれで子宮の中を観察したかったんだ」

 1979年8月5日にアリソン・チェンバース(16)が殺された頃には、ウエスト家は大所帯になっていた。次女のアン・マリー、三女のヘザー、四女のメイ、長男のスティーヴン、五女のルイーズ。この他にもフレッドがどこぞの女に産ませたスティーヴと、明らかに黒人との混血のリアンヌがいた。ローズは黒人と寝ることを好み、以後も2人の混血を産み落としている。
 彼らの親がそうだったように、彼らも子供たちを性的に虐待した。アン・マリーは売春を強要された。継母のローズからはクンニリングスを強いられたこともあった。そして、15歳の時に父の子を子宮外妊娠している。メイも8歳の時に客の一人に犯された。「男を知れば彼女も父親にからだを許す」との思惑の下にフレッドがそう仕向けたのだ。ヘザー(16)もまた父に犯されて家出した…かに思われた。が、実は殺されて庭先に埋められていたのだ。家庭の事情をバラされることを恐れたためだ。1987年6月のことである。
 そして、1992年5月になってルイーズの強姦騒動が持ち上がり、ヘザー殺しの容疑で挙げられたのを機に、これまでの悪行の数々が露見したというわけだ。


 1995年1月11日、フレッド・ウエストはバーミンガムのウィルソン・グリーン拘置所で首を吊って自殺した。この卑劣な男は法の裁きから逃げ出したのだ。
 一方、ローズはシャーメイン、ヘザー、そしてシャーリー・アン・ロビンソンの3人の殺害についてのみ有罪となり、終身刑を宣告された。ダーラム刑務所に服役中の彼女は、2002年に獄中で死亡したマイラ・ヒンドレーと交遊があったと伝えられている。英国を代表する最も冷血な女性殺人者がいったいどのような会話を交わしていたのか、興味深いところではある。

(2008年9月5日/岸田裁月)


参考資料

『「死体の庭」あるいは「恐怖の館」殺人事件』コリン・ウィルソン著(ぶんか社)
『児童虐待全書』マルタン・モネスティエ(原書房)
週刊マーダー・ケースブック32(ディアゴスティーニ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Fred_West
http://en.wikipedia.org/wiki/Rosemary_West
http://murderpedia.org/male.W/w/west-frederick.htm


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