フレッド&ローズ・ウエスト |
フレッドとローズの「死の館」 |
児童虐待の噂が絶えない夫婦だった。しかし、社会福祉士も警察もなかなか尻尾をつかめないでいた。いざとなったら子供たちが証言を拒絶してしまうのだ。 |
少年時代のフレッド(妹たちと共に) |
フレデリック・ウエスト、通称フレッドは1941年9月29日、ヘレフォードシャーのマッチマークルというちっぽけな村で、6人兄弟の第一子として生まれた。片田舎で農作業に従事する一家は、はたからは牧歌的に映る。ところが、その実際はどろどろだった。フレッド曰く、 |
フレッドとキャサリン |
妹を妊娠させたかどで告発されたフレッドは、家から出ることを余儀なくされた。ほどなくキャサリン・コステロという不良娘と懇ろになり、1962年11月に結婚する。18歳の花嫁は妊娠中だった。父親はフレッドではない。どこぞのパキスタン人である。 |
フレッドとローズ |
1968年11月29日、フレッドはチェルトナムのバス停で運命的な出会いを果たす。ローズマリー・レッツ。まだ15歳だった。彼女は「死のパートナー」との初めての出会いをこのように述懐している。 |
ローズ・ウエスト |
1972年1月29日、フレッドとローズは正式に結婚する。キャサリンとは離婚していないので重婚にあたるのだが、どういうわけか婚姻届けは受理されたようだ。そして、クロムウェル・ストリート25番地の二軒長屋に移り住む。20年後に「恐怖の館」と呼ばれることになる3階建ての家屋である。2階と3階は下宿人に貸し、地下室ではローズが売春をしていた。評判は上々である。かつての客は語る。 |
フレッドとローズ |
1978年5月10日に殺害されたシャーリー・アン・ロビンソン(18)は、一連の犠牲者とは一線を画する。彼女はウエスト家の下宿人で、フレッドの愛人だった。当初はフレッドもご満悦で、客に対して、 (2008年9月5日/岸田裁月) |
参考資料 | 『「死体の庭」あるいは「恐怖の館」殺人事件』コリン・ウィルソン著(ぶんか社) |