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D・C・スティーヴンソン
David Curtiss Stephenson (アメリカ)



奇妙な果実

 白人至上主義のボンクラ集団、クー・クラックス・クラン(略称KKK)の起源は南北戦争終結直後の1865年12月24日に遡る。敗北した南軍将校を中心にテネシー州プラスキにて結成された。白い頭巾を被って身元を隠し、解放された黒人や北部住人に対して洒落にならない嫌がらせ(殺人を含む)を繰り返していたことは御案内の通りである。そのあまりの狼藉に、1871年には法律で活動を禁じられた。1000人以上が逮捕されるに至り、KKKは事実上解散とあいなる。しかし、その根が断たれたわけではなかった。

 南部の木には奇妙な果実がなる
 葉には血が、根にも血を滴たらせ
 南部の風に揺らいでいる黒い死体
 ポプラの木に吊るされている奇妙な果実
 美しい南部の田園に
 飛び出した眼、苦痛に歪む口
 マグノリアの甘く新鮮な香りが
 突然肉の焼け焦げた臭いに変わる
 烏に啄まれ
 雨に打たれ、風に弄ばれ
 太陽に朽ちて、落ちていく果実
 奇妙で悲惨な収穫

(『奇妙な果実』エイベル・ミーアポル)



奇妙な果実(レオ・フランク)

 KKK復活の切っ掛けとなったのが、1915年8月16日に起きたレオ・フランクの事件である。彼を木に吊るしたボンクラども、自称「メアリー・フェイガンの騎士」の設立申請に基づき、ジョージア州が認可したことによりKKKは復活したのだ。同年12月4日のことである。

 また、同年1月8日に封切られた映画『國民の創生』もKKK復活の片棒を担いだことを忘れてはならない。南軍将校の息子であるD・W・グリフィスはKKKを英雄的に描いた。社会問題となったことは云うまでもないが、それがかえって話題となって興行は大当たり。南部のボンクラどもが「俺たちは英雄なんだ!」と大いに勇気づけられたことは想像に難くない。『國民の創生』がなければレオ・フランクも吊るされなかったかも知れない。その意味でも極めて罪作りな映画である。「アメリカ映画の父」として崇められるグリフィスのことを私がどうしても好きになれない理由がここにある。

 10年後の1925年にはKKKは急成長を遂げていた。メンバーは600万人にまで膨れ上がり、いくつもの南部の州に議員や知事を送り出していた。このままでは再び南北戦争に突入する勢いだ。そんな折りに彼らの出鼻をくじいたのが、本項の主題たるD・C・スティーヴンソンの事件なのである。



D・C・スティーヴンソン

 D・C・スティーヴンソンはKKKの幹部である。かなりの大物だった。手元の資料には「グランド・ドラゴンの地位にまで昇りつめた」とあるが「グランド・ドラゴン」って何じゃらほい。調べてみると「state leader」のことらしい。新規会員を30万人も集めたことでインディアナ州の頭目に成り上がったのだ。もともとはセールスマンだったというから勧誘上手だったのだろう。そして1924年、手下どもの組織票により共和党のエド・ジャクソンを州知事に送り出した。その権力たるや知事に次ぐ、否、知事以上のものだった。会員の会費をちょろまかして蓄財していた彼は舞い上がっていた。権力と金を手にした男が次に向かうのは女。そして、そのためにすべてを失うこととなる。

 それは1925年3月15日のことである。スティーヴンソンは予てから岡惚れしていた女教師のマッジ・オーベルホルツァー(28)を言葉巧みに誘い出し、シカゴ行きの専用車両に連れ込んだ。もちろん、ちょめちょめするためである。酒を飲ませて抱きついたものの肘鉄を喰らう。これに腹を立てたエロ親父は力づくで手篭めにし、どういうわけか彼女の全身を噛みまくった。後に治療に当たった医師は「あたかも人喰い人種にかじられたかのようだった」と供述している。よほど酷い傷だったのだろう。

 オハイオ州ハミルトンで下車したスティーヴンソンは、2人の手下に手伝わせて気絶しているマッジをホテルへと運んだ。やがて意識を取り戻した彼女は激痛を訴え、手下の1人に頼んでドラッグストアまで案内させた。そこで彼女は昇汞(塩化水銀)を購入。劇薬である。そして、ホテルに戻るや否や、これを6錠も飲み下した。こんなエロ親父に貞操を奪われたことが悔しくてたまらなかったのだ。
 立ち所に重態に陥ったマッジを前にしてエロ親父は慌てた慌てた。医者を呼べば己れの悪事が露見する。かといってこのまま死なれたらもっと困る。考え抜いた挙げ句、インディアナポリスまで連れ戻し、「娘さんが自動車事故に遭いました」と嘘をついて実家に帰したのである。ひどい男である。治療が早ければ彼女は死なずに済んだかも知れない。しかし、容態は悪化の一途を辿り、4月15日に腎不全で死亡した。

「必ずあなたに法の裁きが下るでしょう」
 生前の彼女のこの言葉に対して、スティーヴンソンは笑いながらこう答えたと伝えられている。
「何を云ってるんだ。インディアナでは私が法なんだよ」
 とんだ思い上がりである。彼は法ではないし、自分で思っているほど大物でもない。彼が大物でいられるのは、あくまで法を遵守していることが大前提なのだ。検察はただちにスティーヴンソンを強姦と殺人の容疑で起訴した。これに対してスティーヴンソンは、強姦については渋々ながらも認めたものの、殺人については否定した。ありゃ自殺だったんだよ、と。
 たしかに、自殺ではある。しかし、塩化水銀服用後の彼の行動は「お咎めなし」とするには問題がある。保護責任者遺棄に該当するだろうし、不作為による殺人と考えることも出来るだろう。
 この点、検察はこのように主張した。
「被告人のあの破廉恥極まりない行為は、彼女の脈打つ心臓に短剣を突き刺したのと変わるところはない」
 この一言が陪審員のハートに響いたようだ。第二級謀殺罪と認定されて、終身刑を宣告された。ちょっと重い気がしないでもない。この評決には政治的な陰謀(例えばKKK内部での紛争とか)があるのかも知れない。

 スティーヴンソンは自らのおかげで当選できたジャクソン知事の特赦を期待していたようだが、イメージダウンを恐れた知事はこれを拒否。怒り狂ったエロ親父は「KKKから賄賂を受け取っているボンクラ政治家全リスト」を大暴露。死なば諸ともといった感じである。おかげでKKKの支持者は激減。ごく一部のボンクラしか残らなかったので結果オーライである。

(2007年8月15日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
週刊マーダー・ケースブック56(ディアゴスティーニ)


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