D・C・スティーヴンソン |
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白人至上主義のボンクラ集団、クー・クラックス・クラン(略称KKK)の起源は南北戦争終結直後の1865年12月24日に遡る。敗北した南軍将校を中心にテネシー州プラスキにて結成された。白い頭巾を被って身元を隠し、解放された黒人や北部住人に対して洒落にならない嫌がらせ(殺人を含む)を繰り返していたことは御案内の通りである。そのあまりの狼藉に、1871年には法律で活動を禁じられた。1000人以上が逮捕されるに至り、KKKは事実上解散とあいなる。しかし、その根が断たれたわけではなかった。 |
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KKK復活の切っ掛けとなったのが、1915年8月16日に起きたレオ・フランクの事件である。彼を木に吊るしたボンクラども、自称「メアリー・フェイガンの騎士」の設立申請に基づき、ジョージア州が認可したことによりKKKは復活したのだ。同年12月4日のことである。 |
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D・C・スティーヴンソンはKKKの幹部である。かなりの大物だった。手元の資料には「グランド・ドラゴンの地位にまで昇りつめた」とあるが「グランド・ドラゴン」って何じゃらほい。調べてみると「state leader」のことらしい。新規会員を30万人も集めたことでインディアナ州の頭目に成り上がったのだ。もともとはセールスマンだったというから勧誘上手だったのだろう。そして1924年、手下どもの組織票により共和党のエド・ジャクソンを州知事に送り出した。その権力たるや知事に次ぐ、否、知事以上のものだった。会員の会費をちょろまかして蓄財していた彼は舞い上がっていた。権力と金を手にした男が次に向かうのは女。そして、そのためにすべてを失うこととなる。 (2007年8月15日/岸田裁月) |
参考文献 |
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社) |