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ラ・ヴォワザン
La Voisin (フランス)



ラ・ヴォワザン

 ブランヴィリエ侯爵夫人の処刑を見物していたセヴィニエ夫人は、娘に宛てた手紙の中でこのように記している。
「彼女の死体は処刑の後、燃え盛る炎の中に投げ込まれ、その灰は空中に撒き散らされました。だから、私たちは彼女の灰を息と一緒に吸い込んでいるのです。このことが私たちに大変な害悪を齎すかも知れません」
 なにやら『バタリアン』みたいな話だが、彼女の危惧はやがて現実のものとなる。侯爵夫人の事件が世間に広く流布したおかげで、巷で毒殺が大流行し始めたのである。それはあのルイ14世さえも脅かす勢いだった。

 1679年1月、ある弁護士がヴィグルー夫人に招かれて会食していた。その折りにボス夫人がワインで酔った勢いで、今流行の毒殺の仕事をしていることを自慢げに話しているのを耳にした。いくら酒の席での話とはいえ、これはちょっと放っておけない。弁護士は警察に通報した。
 警察は囮捜査をすることにした。ボス夫人の店を訪れて、妻の浮気に困っている、なんとか厄介払いする方法はないだろうかと金貨をちらつかせた。ボス夫人は黙って毒薬1瓶を差し出した。
 翌日、夫人は逮捕された。彼女が手助けをしたいくつもの毒殺事件が発覚したばかりでなく、パリ市内にはこうした店がいくつもあることが明らかになった。看板にはタロット占いやら水晶占いやらを掲げているが、その実は堕胎や毒薬の販売を生業としていたのである。
 その実態にたまげたルイ14世は「火刑裁判所」なる強権的な機関を設置した。国王直轄の裁判所で、控訴は一切認められない。犯人と認められれば、直ちに火刑に処すことができた。

 この裁判所が火炙りにした最大の大物はカトリーヌ・モーヴォワザン、犯罪年鑑には単に「ラ・ヴォワザン」と記されることになる女である。黒ミサを取り仕切るこの「魔女」は、毒薬の製造、販売、更には輸出に至るまで手広く営んでいた。
 この頃には毒薬業者が互いに競い合うことにより技術を向上させていた。投与の方法にも色々あり、例えば、相手の衣服を砒素入りの石鹸で洗うとか、あらかじめ毒を配合した銀の皿を使うとか、ペットに毒をふりかけておくとか、風邪薬を大量に飲ませるとか(←これは違う)。また、効き目についても、即死、一週間後、1ケ月後、1年後と客の要望に応じることが出来たというから驚きだ。
 捜査が進むにつれて、かなり名のある貴族が毒薬ブームに関わっていることが発覚した。ルイ14世のお妾の1人、モンテスパン侯爵夫人までもが「ラ・ヴォワザン」の顧客だった。最近つれない国王の寵愛を繋ぎ止めるための媚薬を購入していたのだが、国王暗殺のお先棒を担がされていた可能性も否定できない。いずれにしても、この件で彼女は国王の寵愛を完全に失ったことだけは確かである。

 1680年2月20日、「ラ・ヴォワザン」は火刑に処された。
「火刑裁判所」もルイ14世の号令により閉鎖され、すべての書類が焼却された。己れの妾の不祥事を闇へと葬り去ったのである。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『世界悪女物語』澁澤龍彦著(河出書房新社)
『毒薬の手帖』澁澤龍彦著(河出書房新社)


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