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H・H・ホームズ
H. H. Holmes
a.k.a. Herman Webster Mudgett
(アメリカ)



H・H・ホームズ


ホームズの「恐怖の城」


「恐怖の城」の見取り図

「殺人ホテル」というと何やらB級ホラー映画の匂いがするが、現実に存在していたのだから驚きだ。その経営者であるH・H・ホームズについて、フランスの作家アラン・モネスティエは『世界犯罪者列伝』の中でこのように述べている。

「後世の評価というのは当てにならない。ホームズという稀に見る大犯罪者がフランス人は疎かアメリカ人にもほとんど知られていないというのはどうしたわけだろう。犯罪を企業化したこの人物に比べれば、フランスのランドリュープショーにしろ、たわいもない職人、愛すべき犯罪愛好家に過ぎない」

 H・H・ホームズこと本名ハーマン・ウェブスター・マジェットは1860年、ニューハンプシャー州に生まれた。18歳の時にクララ・ルーリングという資産家の娘と結婚。その財力のおかげで医師の資格を取得すると、あっさりと彼女を捨ててニューヨークで開業医を始めた。しかし、保険金詐欺が発覚してシカゴに逐電、以後「H・H・ホームズ」の偽名を用いるようになる。
 二枚目の彼は数々の結婚詐欺を働くうちに薬局の未亡人と懇ろになる。まんまと共同経営者に収まった途端に当の彼女は行方知れず。おそらく「始末」されたのだろう。この頃に彼と関わった多くの女性も謎の失踪を遂げている。

 当時のシカゴは1893年に催されるシカゴ万博の準備で沸いていた。かなりの集客が見込まれる中、ホームズもホテル事業に乗り出した。持ち前の詐欺師としての腕前を駆使して63番街の角地を手に入れると、部屋数が100はあろうかという3階建てのホテルを建築。これが効率的に設計された「殺人ホテル」だった。全ての部屋が迷路のような秘密の通路で繋がれており、覗き穴はもちろん、スライドする扉が壁に仕掛けられていた。ガス栓も備えられ、客を中毒死させることもボタン一つのワンタッチだ。屍体はリフトで地下にある硫酸槽に運ばれた。アスベストで防音された窓一つない部屋は「独房」と呼ばれ、中には様々な拷問用具と外科手術用具一式が揃えられていた。
 ちょっとした「ひとりナチス」である。
 彼はこの「恐怖の城」を建築するにあたって、いくつもの業者に発注した。代金を支払わないので工事は中断。すると別の業者に発注する。この繰り返しのおかげで、ロハで建築できただけではなく、誰からも疑われずに「殺人ホテル」を完成させることができたのだ。その正確な間取りはホームズしか知らなかった。
「殺人ホテル」は1892年に完成し、翌年5月1日からシカゴ万博が開催された。その6ケ月間は宿泊客は絶えなかったが、ホームズは獲物を入念に選別した。まず金があること。美人であること。遠方からの客であること。いったいどれだけの女性が餌食になったのか、正確な数は判っていない。当人は27人と告白しているが、遺品の数から200人に及ぶのではないかと見られている。

 そんな「アメリカ史上空前の大量殺人者」が逮捕されたのは「殺人ホテル」とは別の事件においてだった。万博が終わって客が激減すると、ホームズは再び元の詐欺師稼業を始めた。そして、ホテルの共同経営者ベンジャミン・ピッツェル(ホテルの設計は彼の手によるものらしい)と2人の子供を殺害して保険金を詐取しようとした件で御用となり、すべてが露見したのである。
 ホームズは1896年5月7日、絞首刑に処された。35歳だった。

 なお、本件をモチーフにしたと思われるのが、デヴィッド・シュモーラー監督、クラウス・キンスキー主演の映画『クロールスペース』である。設定はホテルではなくアパートになっているが、迷路のような秘密の通路を行き来して獲物を物色するさまは本件にそっくりだ。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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