移転しました。https://www.madisons.jp/murder/text/beck&fernandez.html

 

マーサ・ベック
レイモンド・フェルナンデス

Martha Beck & Raymond Fernandez (アメリカ)



レイモンド・フェルナンデスとマーサ・ベック

 別々に生きていたならば平穏に暮らしたであろう2人が出会うことにより殺人へと走るケースがしばしば観察される。コリン・ウィルソンはこれを「触媒効果」と呼び、その典型例としてブレイディーとヒンドレー、そして、フェルナンデスとベックを挙げる。しかし、後者の場合はそう云い切れるか疑問である。共にかなりの異常者で、出会わなかったとしてもそれぞれが殺人に走ったであろうことは想像できるし、フェルナンデスにおいては出会いの以前に殺しの疑惑がある。ただ、これだけは云える。出会っていなければ、ここまで殺すことはなかっただろう。

 まず、男の方の話をしよう。
 レイモンド・フェルナンデスは1914年12月17日、ハワイで生まれた。両親はスペイン人である。その後、一家はコネティカット州に移住し、小さな農場を経営して暮らしていた。
 虚弱体質だった彼は父親に可愛がられなかった。農場でも一番辛い仕事をさせられた。学校での成績は悪くなかったが、進学は許されなかった。決定的なのは16歳の時のこと。友達とニワトリを盗んだ彼の身元引き受けを父親は拒んだのだ。そのために彼だけが少年院で2ケ月も暮らす羽目となった。このような「愛情不足」が後の非情な犯行に影響を与えたことは間違いない。

 やがて大恐慌を機に一家は南スペインに移住。20歳になったフェルナンデスはエンカルナシオンという娘と結婚し、英国の情報部のために働いた。かなり優秀だったらしい。そして1945年、西インド諸島へと向かう船上で、倒れたハッチが頭を強打し、頭蓋骨が陥没するほどの重症を負う。これが彼の精神にどれほどの障害を齎したのかは不明だが、とにかくこの事故以降、フェルナンデスの人格は崩壊した。

 事故後、フェルナンデスは過剰な性衝動に悩まされるようになった。女性ならば若かろうが高齢だろうが、美人であろうが醜女であろうが関係なかった。とにかくヤレればよかったのである。
 1946年3月15日、フェルナンデスは珍奇な窃盗で逮捕された。アラバマ州モービルで、汚れたシーツの入った包みを盗んだのである。どうしてそんなものを盗んだのだろうか? 当人曰く「自分でもさっぱり判りません」。やはりクルクルパーになっている。この時に治療を受けていれば、後の犯行は起こらなかったかも知れない。
 しかし、治療を受けることなく、フロリダ州タラハシーの刑務所に入れられてしまった。ここの受刑者の大半は西インド諸島出身のブードゥー教信者だった。
 クルクルパー・ミーツ・黒魔術。
 出所したフェルナンデスは、自分には他人を意のままに操る魔力が備わっていると信じるようになっていた。そして、女とヤリたくてヤリたくてたまらない。そんな男にとって、結婚詐欺師ぐらいふさわしい職業はない。

 かくして「ロンリー・ハーツ・クラブ」を拠点に、フェルナンデスは商売を始める。2年間に100人を越えるオールドミスの貞操と財産を奪い取り、同時に10人以上のお相手をしていたこともあるというから恐れ入る。

 1947年10月、ルシラ・トンプソンという教師と関係を持ったフェルナンデスは、何を思ったのか、彼女をジブラルタルの「自宅」へと招いた。妻のエンカルナシオンと4人の子供が暮らす木賃宿の一室にである。当然ながら本妻との間に気まずい空気が漂う。11月7日、遂にキレたルシラは1人で帰ると云い出した。彼女が冷たくなって発見されたのはその翌朝のことである。地元の医師は「胃腸炎に基づく心不全」と診断したが、誰がどう考えてもフェルナンデスの仕業だ。彼が2日前にジギタリス製剤1瓶を買っていることが後に判明している。
 やがてニューヨークに舞い戻ったフェルナンデスは、ルシラ・トンプソンのアパートを訪れ、同居する彼女の母親に、自分がルシラの相続人である旨の書類を見せた。それはもちろん偽造だったが、悲嘆に暮れる老婆は争う気も起こらない。かくして故人のアパートにフェルナンデスは住み着くことになる。そして、新たな獲物を物色するうち、26歳の看護婦長に眼が止まる。マーサ・ベック。運命の出会いの瞬間である。



レイモンド・フェルナンデスとマーサ・ベック

 マーサ・ベックは1920年5月6日、フロリダ州ミルトンでシーブルック家の末っ子として生まれた。父親のウィリアム・シーブルックは、マーサが10歳の時に家出した。以後は禁欲的な母に育てられた。
 マーサは9歳で初潮を迎えた。内分泌腺に異常があったようだ。乳房が膨らむだけでなく、体重も異常に増加した。そして、激しい性欲に苛まれるようになった。しかし、母の監視は厳しかった。マーサがある男の子と映画館に入るのを目撃すると、その子に傘で殴りかかることもあった。マーサの欲求不満は募っていった。

 やがて看護師試験に合格した彼女は、ノイローゼ寸前の欲求不満を解消するべく、単身でカリフォルニアに移住した。男漁りの毎日だったが、まもなく妊娠、相手の男が自殺未遂騒ぎを起こし、自身も神経衰弱を起こして帰郷した。
 子供は産んだ。ご近所さん
には「海軍将校と結婚したけど戦死した」などと嘘をついて誤摩化した。そして、出産した病院で働き始めたのだが、数ケ月で解雇された。職員との「不謹慎な交際」が理由だった。
 ほどなくバス運転手のアルフレッド・ベックと結婚。2人目の子供をもうけたが、結婚生活はわずか半年で破綻した。
 数行で彼女の青春を綴ってみたが、問題だらけの女性である。性欲が強すぎるのだ。性欲が彼女の生活のすべてを台無しにしている。
 1946年、彼女は身障児施設で働き始め、すぐに婦長に昇進した。その一方で、次第に酒に溺れるようになった。そんな或る日、同僚の男がからかい半分で、彼女の名前で手紙を出した。宛先はニューヨークの「ロンリー・ハーツ・クラブ」。入会申込書を申請したのである。

「ロンリー・ハーツ・クラブ」を通じてマーサと出会ったフェルナンデスはさすがに仰天した。太り過ぎである。いくらなんでもこりゃないぜベイベー。でもまあ仕事なので任務は果たす。ベッドでのマーサのご乱交ぶりは、それは凄まじいものであったという。
 やがてマーサが金を持っていないことが判明する。そうと判れば用はない。熱烈な愛の囁き(というか絶叫)を尻目に逐電。ところが、連日のようにラブレターが舞い込む。こりゃアカン。商売に差し障る。フェルナンデスは引導を渡す。
「あなたは私の気持ちを誤解している。あなたを尊敬してはいるけれど、情熱は感じない。もう二度と会わない方がいいと思う」
 ところが、マーサの方が一枚上手だった。フェルナンデスからの手紙を受け取るや、オーブンに頭を突っ込んでガス自殺を図ったのである。これが狂言か否かは不明だが、とにかく、その知らせは数日後、フェルナンデスの耳に届いた。警察沙汰になることを怖れたのだろう。フェルナンデスは「気分転換にこちらに来てみてはどうか」と彼女を誘った。待ってましたとばかりに、マーサはフェルナンデスのアパートに転がり込むのであった。やれやれ。

 さて、ここで我々は最大の疑問に直面する。
 当初はここまで嫌っていたのに、どうしてフェルナンデスはマーサとチームを組む気になったのか? 警察沙汰になることを怖れたのか? 否。それだけではないだろう。それだけなら、彼の性格からして、彼女を殺してしまった筈である。詐欺の相棒としてはあまりにも未熟で、足を引っ張ってばかりのマーサを殺さなかったのは、やはり愛が芽生えたからなのだろう。少年期の「愛情不足」がマーサの母性によって満たされたのかも知れない。
 とにかく、逮捕される頃には2人はラブラブだったことは確かである。



レイモンド・フェルナンデスとマーサ・ベック

 自殺未遂のスキャンダルで施設からは解雇され、地元にいられなくなってしまったマーサは、2人の子供を連れてアパートのドアを叩いた。
「おいおい、子供はダメだよ、子供は」
 ここで初めて、マーサは愛しい人の本業を知らされることになる。しかし、マーサの決意は揺るぎなかった。わたしはこの人と添い遂げるんだ。子供は実家の母に預けて、同居していた故ルシラの母親を追い出してしまう。パンパンと手を叩くと、
「さあ、あんた。次の仕事は誰?」
 これにはさすがのフェルナンデスもタジタジである。他人を意のままに操る力があるどころか、今や完全にマーサの尻に敷かれてしまった。

 次の仕事はペンシルバニア州に住む未亡人、エスター・ヘナだった。
「マーサ、お前は留守番だ」
「イヤだ。あたしも行く!」
 女と2人っきりにさせてたまるか。そんな女心の赤坂見附。仕方がないのでフェルナンデスは義理の妹だと紹介した。
 間もなく、エスターはフェルナンデスと結婚し、ニューヨークのアパートで暮らし始めたが、次第に不審に思い始めた。後にこのように語っている。
「フェルナンデスはなんだか苛立っていました。私が生命保険と年金の受取人を彼の名義にする書類にサインしないと、口汚く罵り始めたんです」
 アパートの住人たちから故ルシラの変死の噂を聞かされた彼女は、一目散に逃げ出した。
「ここはもうヤバい」
 アパートを売り払ったフェルナンデスとマーサの2人組は、カモを求めて渡り歩く「その日暮し」の旅に出た。それはまさに殺人行脚と呼ぶにふさわしいものだった。犠牲者は21名にのぼると見られているが、ここでは彼らが罪を認めたケースのみを紹介しよう。

 1948年8月14日、フェルナンデスはアーカンソー州グリーンフォレストに住むマートル・ヤングと結婚した。ハネムーンの間、マートルは次第に欲求不満を募らせていった。義理の妹と称するデブが邪魔をするために、いつまで経っても初夜が果たせなかったのだ。ここぞという時になるとデブがギャーギャー騒ぎ始める。もう我慢できない。
「マーサが出て行かないなら私が出て行くわ!」
 まあまあまあと宥めて、2人は彼女に睡眠薬を飲ませた。本当は何を飲ませたのかは判らない。とにかく、4000ドルを巻き上げた今はもう彼女に用はない。意識朦朧とした彼女をバスに乗せるや逐電。マートルはそのまま息を引き取る。

 年が開けて1949年1月1日、ニューヨーク州オールバニーに住む66歳の未亡人、ジャネット・フェイは嬉しい訪問客を迎えた。かねてからの文通相手「チャールズ・マーティン」とその「妹」である。彼女は男前の「チャールズ」にたちまち心を奪われてしまった。翌日にも結婚に同意し、口座から2500ドルを引き出している。
 ロング・アイランドの新居(新しく借りたアパート)に着くや、すぐまた2枚の小切手を切り、合計3500ドルが「チャールズ」の手に渡った。
 その夜、ジャネットは不安になり始めた。
「よく知りもしない人に大金を預けてよかったんだろうか?」
 いいわけないぜ、ばあさん。
 ばあさんは夜中であるにも拘わらず、小切手がどうとか騒ぎ始めた。それをマーサが宥めると、
「あんた、ほんとに妹なの!? 私たちが結婚したら、あんたと同居なんかしてやらないわ! 誰がするもんですか! あんたみたいな厚かましい女、見たことないわ!」
 激昂したばあさんは寝室から飛び出し、フェルナンデスに不平不満を捲し立てた。
 ごん。
 ばあさんはどおっと崩れ落ちた。マーサが後ろからハンマーの一撃を喰らわせたのである。
 嫉妬心だ。マーサの嫉妬心がばあさんの寿命を縮めたのだ。

 41歳の未亡人デルフィーン・ダウリングは、2歳になる娘レイネルとミシガン州グランドラピッズで倹しく暮らしていた。「チャールズ・マーティン」と「妹」の訪問を受けた彼女は、1949年2月27日、マーサに睡眠薬を飲まされて、フェルナンデスに頭を撃ち抜かれた。
「娘はどうするの?」
「俺を愛しているなら、お前が殺れ」
 ひとしきり泣いた後、マーサはレイネルを溺死させた。
 大小2つの死体を地下室に埋めるや否や、呼び鈴が鳴った。ドアを開けると警官が立っていた。銃声を聞いた隣人が通報したのである。もはやこれまで。かくして殺人カップルは逮捕された。

 ミシガン州には死刑がなかった。そのために2人はニューヨーク州に引き渡された。
 マーサは2人が如何に愛しあっていたかをマスコミに書き綴った。この狂気の沙汰のラブストーリーはセンセーションを巻き起こした。
 1951年3月8日、電気椅子に座る2時間前、フェルナンデスはマーサに手紙を送った。
「俺が愛した女は、お前だけだった」
 マーサは顔を輝かせて云った。
「これで私も、喜んで死ぬことができます」
 感動的だが、感動してはいけない。こいつらは人殺しだ。

 この事件を映画化したのが、近年我が国でも公開されたカルトムービー『ハネムーン・キラーズ』である。殺人へと至るマーサの嫉妬心が丁寧に描かれており、本件に興味を持たれた方は御覧になることをお勧めする。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック38『狂気の殺人カップル』(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


counter

BACK