i-mode版
お笑いずっこけ体験辞典 さ行
LAST UPDATE 2004-02-16
すべてウソ偽りのない実話です。
あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの
はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わをん TOP


 し@ しA しB す@ すA せ@ せA 


さ 坊ちゃん刈り
▼幼稚園の時、髪屋のおじさんがあんまり上手だったので、家に帰って早速、真似をしたら、坊ちゃん刈りのはずが、前髪に真ん中そり込みが入ってしまった。(2000-12-21筆)

し@ 彼女と同じ高校へ行きたい
▼中3の時、つきあっていた女の子と同じ高校に進学しようと、密かに心に決めていたが、12月の担任との面談で、そのことを宣言すると、担任が笑いやがる。「ボクは本気です!」と訴えると、先生いわく、「そこは子校!」(2000-12-21筆)

しA ココア事件
▼昨夜ココアを作って飲みました。以前に開けた箱入りココアでしたが、賞味期限はまだまだ先です。箱から直接目分量でコップに入れました。ポットのお湯をいれればいいのに、水を入れて電子レンジで「チン」なんぞして、さあ飲むと、非常に苦い!我慢して少しずつすすっていたのですが、苦いどころか余りにまずい。そんなわけで、スティックシュガーを探したんですが、なかなか見つからず、料理用の砂糖を少々入れました。ついでにスプーンでかき混ぜたら、い糸くずのようなものがいくつも浮いてきました。でも糸くずにしては太すぎます。すくい上げてびっくり。虫の幼虫でした。その時点で飲むのをやめて、流しに流しましたが、排水口の金網に十匹ほど引っかかっています。透明の砂糖壺をよく調べましたが、虫なんかいません。結局ココアが犯人でした。箱の中に残っていた幼虫はまだ動いていました。ちなみにkurochanは昨日の朝から下痢気味で、虫の影響がでているのかどうかは不明です。◆食事前にお読みになった方に、お詫び申し上げます。あ〜、でもまだ気持ち悪い!(2001/10/22掲示板へ投稿)

しB サンタのおじいさん
▼身内3家族合同でクリスマスパーティーを開いた。1歳・2歳の子どもたちの前にサンタクロースが登場したのだ!最初は驚いた子どもたちも、サンタさんだと分かって大喜び。義父にお願いして扮してもらったサンタさんの熱演も終わり、部屋からサンタさんが出ていった後、2歳の我が子に「今の誰?」と聞いてみた。元気よく「サンタさん!」と答えると思いきや、「いちゃん」。これには一同爆笑。(2003-1-10筆)

す@ すべり台の恐怖
▼近所の総合プールがまだ工事中の時、深夜友達と忍び込んで、巨大なべり台を丸裸で滑ったら、お尻と手のひらをやけどしてしまった。やめとけと叫んだのに、友達も滑り降りてきて、2人でプールでもがいた。悔しいので、工事道具のバケツを見つけてきて、プールの水をくんで、階段上って、今度こそと思ったら、水が途中で切れて、またやけどして、おまけにバケツに入っていたコンクリートのかけらでざらざらのすべり台を、2度目のやけど途中の素肌のお尻で、こすりつけた。やめとけと叫んだのに、友達も滑り降りてきて、2人でプールでずうっともがいていた。そのプールには、OPEN以来行ったことがない。(2000-12-21筆)
 ※高校時代の悪戯です。危険な行為でもあるので、マネしないように。


すA ズック靴
▼まだ幼稚園にも通わぬ幼い頃のこと、クリスマスの日の朝、目覚めると、サンタさんからのプレゼントがない!そばにいた母に聞くと、「そこの箱に入っている」という。いつもは別室にあった見慣れた空き箱に真新しいック靴が入っていた。そこで僕は、泣きべそをかきながら、「せっかくサンタクロースが僕にくれたプレゼントを、何で勝手に箱に入れたんや!」(2003-1-10筆)

せ@ タスキが無い!
▼奈良県南部のある有名なKという駅伝大会で、高校の陸上部OBチームで出場していたときのこと。ある年、1区5.2kmを任されたのだが、もうすでに「引退」して何年もたっている上、前夜は大酒を飲んでしまっていた。夕方6時から、年度途中の同僚の送別会、2次会・3次会が終わった頃は明け方4時近くになっていた記憶がある。一人暮らしのアパートに帰れば、当然駅伝に寝坊するのは目に見えているので、一緒に飲んでいたKという連れと職場に行き、少し仮眠して、二日酔いだかなんだか、わからん状態で駅伝会場に向かった。そんなこともあろうかと、マラソンシューズをはき、Tシャツを下に着ていたので、そのまま私服姿でウォーミングアップ。懐かしの顔ぶれが「おうクロチャン!何ちゅう格好でウォーミングアップしてんねん?}と寄ってくるや、「酒臭い!」。アルコールの発汗ランニングなのであった。ハイになっていた俺は、スタートラインにつくや、いけるとこまで飛ばしてやると先頭集団に着く。ところが、酔っぱらっていて、よう分からん。で、結果は、あの添上高校の選手を抑え、智弁高校の選手に次ぐ、快走であった。5キロ16分ちょうどのペースは、当時の俺には考えられないものであった。あれはやはりドーピングなのであろうか。さて、その翌年だか翌々年だか忘れたが、同じ駅伝大会で、やはり1区を任されたが、さすがに日頃一切走っていないし、歳はとってきたしで、無理せず大きな先頭集団に後ろから着いていった。だが、得意の上り坂で、往年の努力がまだ役立ったようで、どんどん抜いていったのである。「こりゃ、一切練習してないので、疲れが全くたまってないのだ」と妙に納得して、走っていると、おかしなことに気がついた。みんな何かを首からかけているのだ。「あっ!タスキ忘れた!」。タスキは、スタート地点の俺のジャージのポケットの中。もう1区も半ばを過ぎ、せっかく上った坂道を引き返すわけにもいかない。ところが、身体は絶好調。そろそろラストスパートだ。ますます身体は絶好調。ぐんぐん加速する。ところが、気持ちは大不調だ。タスキがない。このチームは西は九州から東は関東まで、はるばる新幹線で帰ってきた選手たちのチームである。失格になったら、俺がみんなの分の新幹線代を出さないといけない。そこで、俺は一か八かの作戦に出たのだが、ッケンの安全ピンを少しはずし、中継地点の審判員が俺のゼッケンを確認して2区の走者を呼び出すのを待って、ピンをすべてはずして、2区のランナーにゼッケンを「サッ」と渡す事だった。うまくいった。なぜだか知らぬが、6区までそれでリレーできたから不思議である。途中気がついた審判がいて、「何でゼッケンないんや!」「1区からなかったみたいです」「何だと!1区は誰や」「××さんです」「××!?....××やったらしゃあないな。ワハハハ」何ということだ。俺の名前がでたら、笑いで解決するんかいな!でもさすが、観衆が見守るゴールで、タスキが無ければやっぱり失格になる。俺は、6区の選手がゴールする手前の、応援する人々が少ない通りを見つけて、6区を走る彼にタスキを渡したね。無事ゴール。50回記念大会は、こうして、第2部一般の部で我がチームが3位入賞を果たしたのであった。
 ※完全なルール違反です。関係各位にお詫びします。(2001-1-9筆)


せA 補習のレギュラー
▼何を隠そうkurochanは、高校時代は英語や数学の補習の常連メンバー。いわばレギュラーだった。ある時、いつものように定期考査後に再編されたメンバーで英語の補習が始まった。いつもは補習をさぼってクラブに行くkurochanだが、最初の時間だけは参加していたので、その日も補習に出席した。出欠確認をし忘れた教員が、時間の終わりに点呼する。kurochanの名がない。「生、俺の名前呼んでへんで!」「そやな。。。。あれ?お前の名前無いぞ!」何と、kurochanは珍しくも補習を免れていたのだ。お互いに、kurochanはレギュラーだと思いこんでいたのだった。何のためにクラブを休んだんだろうか?(2003-2-16筆)

そ 爆笑、大原美術館
▼倉敷の大原美術館はその日、大勢の人で、列になって流れるように、作品から作品へ、部屋から部屋へと歩き進んでいた。ボクのすぐ前を歩いていた、夫婦と小さい女の子の3人家族の話し声に、周囲の人々は聞き耳をたてていた。ある絵の前で、女の子が「お父さん、この絵は誰が描いたの?}、お父さんはゆっくりと優しい声で{お父さんだよ」、お母さんは慌てた小声で「そんなの描くわけないでしょ!」。笑いをこらえて、次の絵に進んだとき、女の子が「お父さん、この絵もお父さんが描いたの?」、お父さんはまた優しい声で「そうだよ」、お母さんは今度は大声で「んなん描けるわけないでしょ!!」。一気に列が乱れ、周囲は騒然とし、ボクは部屋の隅にしゃがみ込み、しばらく息もするのも苦しかった。(2001-1-10筆)