ゆう星☆独白
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−心の変遷(人生のターニングポイントを越えて)−

こんなことを全世界にオープンにしてしまっていいものか.そう思ったけれど...
私の背景を知っていただくことも,ここに来てくださったみなさまと,これからお話していく上では必要なことかと思い公開します!でも,こんなもの読んだって長いだけで,なんにもおもしろくないですよ.

 まずは,幼少時代のお話から..
 両親の職業柄なのだろう,私は教条主義典型の中で育った.「試験で負けてはいけない」「祭りの夜店で買い食いしてはいけない」...「○○してはいけない」「××するべきだ」.親からは「神経質な子」と言われ,人に会えば十中八九 「青白い顔してるね,大丈夫?」.「ぼくは大丈夫だよ,全然どこも悪くなんかない!この顔色は生まれつきなんだ!」..心の中で,いつも,そう反論していたものだ.しかし,そういわれ続けた私自身「身体が弱い」というイメージを持っていたのは確かである.それに幼稚園に入るまでに,いろいろ病気をした事実はあるらしい.「自家中毒」の病名で入院したこともあるし,小学生の時には,心臓ドキドキ,呼吸ハアハア,息絶え絶えで,近所の診療所に連れて行かれたこともある.いわゆる「心臓神経症」,いまでいう「パニック症候群」だが,その時は,いまにも自分は死ぬのではないか,そういう不安で一杯だったことを覚えている...これが私の「自律神経失調症」の始まりだったのかも...
 その頃の私は,学級や児童会の委員として,学校の「ルールを守らねばいけない」,「自分が模範とならねばいけない」,そんな価値観でがんじがらめになっていた.いつも他人と比較され,自分が勝っていないといけないのだ...中学になっても同じような生活が続き,2年生ではとうとう,担任の授業(音楽の時間)になると必ず腹痛を起こし,トイレに駆け込む始末.「過敏性腸症候群」である.そんな自分が情けなく,いつも心の中で恥じていた.
 ところが高校へ進学してから,1つの変化が起こった.進学校だったため,「トップをとらないといけない」,そんな強迫は脆くも崩れ去った.いくら頑張っても上には上がいるのだ.それが幸いしたのか,勉強より部活(体育系)に明け暮れる毎日となり,3年生の秋まで熱中した.受験勉強と称し,みんなが辞めて行く中でもやり続け,風邪1つひかない健康青年となった.そこまでやり切ったためか,後輩からも慕われ,とても満たされた気持ちで,高校生活の後半を過ごした.これが本当の自分じゃないのか?青白い顔?..冗談じゃない..それまでの価値観が,1つ崩れた時代だ.
 幸い大学にも浪人することなく入学でき,高校の延長線上で健康な日々を過ごした.親を見て育ち,漠然と同じ職業にあこがれてはいたが,資格等の問題で断念.大学は工学部,当時は自動車産業全盛期.が,ひねくれものの私は,「会社の歯車にはなりたくない」と,いまの会社に就職した.
 ところがだ...
 社会に出てみると,それまでの甘っちょろい考えは通用しない.就職してすぐに,様々な課題難題をいただいたが,誰も助けてはくれない.親に相談しても答えはない.そういう社会が分からないのだ..ここでそれまでの価値観の大きな崩壊が起こった.そして「自律神経失調症」「十二指腸潰瘍」「咽頭異常感症」「過敏性腸症候群」...さまざまな病名をつけられ,何年も苦しむハメになる...
 はじめの数年はSE(システムエンジニア)という仕事に就いた.それまでコンピュータの経験など皆無に近い状況で,しかも,まだ世にパソコンというものが出たばかり,社内ノウハウなど,なにもない時代であった.もちろん研修もない.仕事はどんどん入ってくる.にもかかわらず私の代替はいない..夜中に帰って3,4時間後にまた出社.そんな生活が日常茶飯事となり,枕元には紙と鉛筆.ひらめきを書き留めるためだ.あまりにハードな状況を極め,とうとう食欲がなくなり,食事を摂っても気持ちが悪く,すぐ吐く始末.「心因性嘔吐症」だ.四六時中腹部の違和感や腹痛を感じ,時には,ノドの奥に飴玉様の詰まりを感じた..いったい,いつまでこんな症状が続くのか...
 そんな中,なんとかせねばと,テニスやスキーもやってみた.しかし...改善されるはずもない.毎日のように潰瘍治療の注射に通い,自律訓練法,森田療法,バイオフィードバック,ストレスとは...いろんな本を読み漁り,自己流ながらも,いろんなことを試してみた.少しは症状はとれたけれども完治はしない.その時の私の気持ちは,「なぜ誰も助けてくれない?」「なぜ上司はこんな状況を改善してくれない?」「私だけ,なぜこんなにも働かされるんだ?」...
 しかし,悪いことばかりではない.潰瘍と戦いながらも,パソコンLAN(Local Area Network)システム開発の先駆を走り,メーカ,業界からはかなりの評価をいただいた.おかげでか,社内の評価は悪くなく,1年間,医学の研修にも行かせていただいた.身体には不安が残ったが,よし,やってやるぞ!そういう気持ちでいっぱいだった.その後の数年は大学医学部の研究員として,循環器の研究もした.
 ところがである.その後,上司が変わり,「方針が変わった」という,それだけの理由で,仕事を失い(いわゆる窓際族というやつ)人間不信に陥る.実は研究員時代にも上司が替わり,SEの仕事はなくなってしまっていたので,2度めの方針変更である.それまでに経験のない課題を与えられ,なにも指導はない.入社以来同じ仕事だけを続けている後輩と比較され無能呼ばわり.朝,誰よりも早く出社し,玄関周辺と全員の机を掃除しろと命じられ...なぜ?なぜ?なぜ?..私のプライドは,大きく傷つけられた.たった5人の新規部署.もう私の言うことなど,誰も聞いてはくれないのだ...「なんなんだ!世の中間違っていないか?もう誰も信じることができないよ.なにをやっていいのかもわからない...」.仕事のない毎日を,上司,後輩に陰口叩かれ会社の中で過ごす,これは辛かった.忙しかった時より何倍も..
 そんな状態が1年近く続いていたある日のこと.私の話を聴いてくれる人が現われた.元いた部署の後輩たちだ.心が歓喜にあふれ,身体が震えた.ほんとうにブルブル震えたのである.これはまずい,このままでは,....そう思う毎日.私は真剣に辞職を考えた.けれど...
 その後,そんな私を救ってくれたのが人との出会いだ.著名な神経内科医と心療内科の若手ドクター.でも治療を受けたわけではない.当時,私の関わっていた循環器,自律神経や精神性発汗に関する研究での,仕事上での一場面.この出会いがなければ,いまの私はないといっても過言ではない.
 心療内科医とは,とある会食の席でのこと.仕事の雑談をしている途中,ストレス関連での自分の仕事に対する思いを話した時だ.なぜそんな話をしていたかって?それは自律神経とストレスが,切っても切れない関係があるからで,心臓にも手のひらの汗にも影響を及ぼすから.そうしたらね,「あなた,とてもよいお仕事されているじゃないですか.これからは心の時代.いまはつらいかもしれないけれど,貴方の経験はきっとこの後,役に立つ」と...どうにも落ち込んでいた私は,そのひと言に,どんなに勇気付けられたことか.まったく自信を喪失していた時に,私を肯定してくれた.そのことでとても嬉しくなった.
 その後に,神経内科医との運命的な出会い...上司に同行した場面で事件は起こった.実は,それ以前に一度だけ,私は先方の都合で朝一番の新幹線に乗り,本の原稿をいただくだけに片道2時間かけて伺ったことがあった.その時はただ事務的に原稿を受け取っただけで何もなかったのだが...その私の仕事がどう目にとまったのか,「お宅の会社には,貴重な方がおられるじゃないか.私の都合なのに,嫌な顔1つせず..」.そう,進言いただいた.その事で,それまで閉ざされていた私の仕事環境は一変した.私には,それほどのこととの自覚はなかったが,そのドクターは,うちの会社では畏れられていたらしく,その影響力の絶大さを後から知った.「おまえがなんであの先生に気に入られるんだ?おまえに何かあるのか?」以来,上司が私の話を聞いてくれるようになった.そして自分の提案で仕事ができるように変わった.
 神経ブルブル,最悪状態の時に,後輩たちから,いろいろなことも教わった.それまで「雑用」と思っていたことも,なんの苦もなく,すすんでできるようになった.表街道を歩いているだけでは決して分からない縁の下の力持ちの存在,陰で支えている人たちのおかげで自分の仕事が成り立つんだということ.業界で評価された,そのことだけをとると確かに自分の実績かもしれない.しかし,それ以外のことを,実はみんなはやってくれていたんだという事実.それに気づいた時,「私は生かされているんだ」と...私は実績出している,じゃあ本業は,お前らできるのかよ,だから雑用なんてやってる暇なんかない...大きな間違いだ!!
 私はやっている.一体なにを?お互いさまじゃないのかよ...自分だけ...そんなことは決してない!みんな,みんな頑張っているんだよ.自分の見えないところで,みんないろいろやってるんだよ...みんなが私を見てくれなかった?冗談じゃない.自分でみんなを入れなくしてたんじゃないのかよ.自分の心を読まれるのが嫌で,責められるのが恐くて,心の周りに,ガチガチにバリア張り巡らして...なにが,誰も話を聞いてくれないだよ.みんな自分がしてたことじゃないか...そんな自分を,その後とても恥ずかしく思い一時は責めた.責めて責めて責め続けた..人間不信のあとの自暴自棄..しばらくして,そのことを,洗いざらい昔の仲間に告げた.傲慢だった自分を謝り,ありがとう,心から感謝した.
 気がつくと,それまで悩まされ続けた症状は,なくなっていた.
 食事がおいしい.もう腹も痛くない.吐き気もまったくない...そして,からだが震えることもなくなった.まさに「脱皮」「生還」の瞬間.いまから10年も前のことだ.以来,潰瘍の再発も全くなし.そんな経験のおかげで,いろいろな人の気持ちが,痛いほどよくわかるようになった.今こんなこと言ったら,彼ならこう思うだろう.彼女は今こんなことに困ってんだろうな...表情1つで,その痛みが手にとるように伝わってくる.そしてそれまで,肩肘張って生きていた自分がバカバカしくなり,プライドもなにもなくなった.人との接触の中で,飾らない素の自分を出せるようになった.そうしながら,人とつきあっていくと,不思議なもので,相手もどんどん「素」を出してくれる(もちろん,そうでない人も一杯いるわけだが..).そうなると,まったくもって,おもしろいつきあいが成り立っていくのである.いま,こんな楽しい人生ってあったのかと,人づきあいを楽しんでいる.そんな自分がとても楽なのだ.
 それじゃあいま,まったく不快な症状はないのかって?落ち込むことはないのかって?いやいや,週末にはなぜか下痢に悩まされるし,ストレスかかれば胃も頭も痛くなる.だったら治ってないじゃないかよ...へっ?治る?違うよ.こんなのは情動反応として出る身体からの警告信号.前とは大きく違う.同じ目線の仲間を感じる.今は,そういう症状が出たとしても,それを忌み嫌うことなく,ムリになくそうとせず,そのまま受け取るようにもなった.あっ,ちょっとストレスかかってるな.そうやって自分の身体に耳を傾け,うまく付き合ってやると,そんな不快な症状は,あっという間に消え去っていく.嫌なことがあって落ち込んだとしても,決してそのことにとらわれることなく,次の瞬間目の前にやってきた幸せに気持ちを向け,やりたいことに思いを馳せる.ただそれだけで,私はとても幸福な気持ちになれる.
 ちっぽけな幸せなら,あたなたの周りにも,きっとある.探してみては,いかがかな.
−ゆう星☆ミドルの冬−

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