疑問を解消する

【目次】
聖書と科学の矛盾

この世の苦しみ

女性と神権

神のようになる

姿を現さない神

多妻結婚

黒人の神権

アブラハム書の真偽

エンダウメントとフリーメイソン

アメリカ大陸の馬

アメリカ大陸のセメントの建造物

紅海にそそぐ川

首無しで動く人

太陽や月に住む人

金版の重さ

聖書に追加できない

三位一体の神

異端とカルト

律法主義

バプテスマ不要論

十字架の必要性

贅沢な教会幹部

日本にキリスト教は不要

お茶は健康に良い

DNA比較

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聖書と科学の矛盾


【疑問】
聖書と科学は矛盾する。神なんているはずないのでは?

【回答】
この自然を見ていると創造者が計画して作ったとしか思えないことが多くある。

美しい花々があり、きれいな小鳥のさえずりがある。
生きていくには不利と思われる孔雀の派手すぎる羽、邪魔になるような牡鹿の大きすぎる角、無駄な労力を費やす鳥の求愛ダンス等。
これらを見ていると、これはユーモアのセンスを持った、また、芸術的な感性をもった何らかの意志ある者が造ったとしか思えない。
自然は、私達を楽しませるためにも造られているのだと感じる。
自然は計画的に造られているとしか思えない。

生命や人間が存在するために、自然の値が都合よくできている。
光の速度、重力の強さ、強い相互作用の強さ、電荷の強さ、電子の質量、地球の太陽からの距離などこれらの値が1割でも違っていたら、生命や人間が存在できる環境は無かった。
これらがすべて、ちょうどよい値になったからこそ、私達は存在できる。
このような組み合わせは単なる偶然では起きない。

進化論は定説として受け入れられているように見えるが、おかしな所が多くある。
並行進化やミッシング・リンクという進化論の問題は、いまだに解決されていない。
進化はいわゆるDNA塩基の組み合わせの変化と言われているが、DNA塩基の仕組み自体は太古から変化していない。
ほんとに進化が偶然の産物なら、この仕組み自体も変化しているはずだ。

地層の年代の問題がある。
一般に、深い層は何億年も前で、浅い層は数万年前というふうに判断して、そこに含まれる化石を見て進化の順番を決めていた。
だから、恐竜は数億年前に存在し、人類は数万年前から現れたことになっている。
しかし、この原則が当てはまらないものが多く見つかっている。
恐竜と人の足跡の交差した化石が何箇所も発見されている。
また、始祖鳥は爬虫類から鳥類への進化の中間形と思われているが、始祖鳥の見つかった地層の下の地層から現在のものとあまり変わらない鳥の化石が見つかったりしている。
従来の地層の年代測定の信頼性にも疑問が生じている。
恐竜の出た地層は数億年前のものと思われているが、炭素14法を使って測ってみると、数万年前と出てしまう。
炭素14法は最近使われる精度の高い年代測定法である。
以前はカリウム・アルゴン法というものが使われていた。
恐竜の地層が数億年前というのは、この方法によって出された数値である。
しかし、カリウム・アルゴン法は信頼性の低いものであることが、最近分かってきた。
歴史的資料から、確実に約200年前と分かっているものを、カリウム・アルゴン法で測定すると2千万年前と出てしまう。
炭素14法で測定しなおすと一番古い生物でも10万年以上前のものは見つからない。

結局のところ、儀式を通して神と聖約を交わし、聖約を守ることによって得られる神の力を経験している人にとっては、神の存在は明らかである。

以下のページを参照
神の力を得る

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この世の苦しみ

【疑問】
神がいるならなぜこの世に悪や苦しみが存在するか。

【回答】
アダムとエバが善悪を知る木の実を食べたことで、人間の体や地球環境に変化が起き、この世は悪や苦しみが生じるようになった。
人はこれらの試練を通して、学びや成長を得ることができる。

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女性と神権

【疑問】
なぜ女性に神権が与えられないのか。

【回答】
女性には、天から神の子供たちを連れてくる(子供を出産する)という大きな役割を与えられているので、神権を与えるとさらに女性の負担が大きくなるからと思う。
女性は、天から神の子供たちを連れて来て、男性は、神権を使って、天へ神の子供たちを連れ帰るという役割分担になっているのだろう。
女性に与えられないのは、神権の鍵と神権の職であって、神権の力と神権の祝福は、与えられているので問題ない。

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神のようになる

【疑問】
神になれるという教義は神を冒涜していないか。
末日聖徒イエス・キリスト教会では、神殿の儀式で神と聖約を交わし、それを守ることによって、昇栄して、天父と天母のようになれると教えている。
一方、天界ではルシフェルが天父の持つ力を得ることを望んだため、天界から追放され、地に投げ落とされた。
このように神になろうと思うことは、神を冒涜することになるのではないか。

【回答】
神の方法で昇栄する場合と、ルシフェルの場合とでは、動機が違う。
神の方法の場合では、神への従順が求められるが、ルシフェルの場合はその高慢さが神の怒りを買った。
神は、ご自身の子供たちが成長して、やがて、神のようになることを望んでいる。
私たちが昇栄を目指すのは、その期待に答えるためである。
ルシフェルの場合は、自分が神になりかわって、神の子供たちを支配し、奴隷のように扱おうとした。

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姿を現さない神

【疑問】
神は自分を信じてほしいと望んでいるのに、大ぴらに姿を現さないのか。

【回答】
神は目に見えるような形で、御自分を示す方法を取ることを望んでいない。
たとえば、出エジプト記のエジプト王や、一部のイスラエルの民のようにすごい奇跡を体験しても、神に従わない人々もいる。
神はご自身の教会に、神の力を使える方法を用意している。
神と聖約を交わし、聖約を守ることによって、神の力を得られる。
この方法で神の力を体験することによって、神の存在を確信できる。
ネルソン大管長は、私たちが神の力を使えるようになることを切に望んでいる。

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多妻結婚

【疑問】
多妻結婚がなぜ行なわれたのか。
ジョセフ・スミスには30〜40人の妻がいた。
妻の中には既婚者や14歳の少女もいた。
ジョセフ・スミスは自身の欲望を満たすために、神の名を使ったのではないか。

【回答】
多妻結婚はウッドラフ大管長の時代に廃止されることになったが、この末日には、全てのものが回復されるという点では、一度は回復されなければならなかった。
もし、多妻結婚が罪であるならば、多妻結婚を行なったアブラハムやヤコブなどの古代の偉人は罪人ということになる。
この啓示は多妻結婚は必ずしも罪ではないということを示した。
ジョセフ・スミスの時代は、多妻結婚を禁じる法律はなかった。
しかし、それでも、当時、多妻結婚をした教会員は全体の2%に過ぎなかった。
ジョセフ・スミスに多くの妻がいたというが、一緒に暮らしていたのは、エマだけであった。
ジョセフの子供たちは、ジョセフが多妻結婚をしていたことを知らなかった。
教会の教義では、昇栄するために、神殿で夫婦の結び固めをしている必要がある。
当時、教会員の男女比は男性1に女性6だった。
そこで、実際に結婚できない女性は、昇栄のためだけに、教会の指導者との夫婦の結び固めの儀式を望んだ。

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黒人の神権

【疑問】
なぜ1978年まで黒人に神権を与えなかったか。

【回答】
「黒人は前世で忠実でなかったから」とか、「黒人はノアの息子ハムの子孫なので、呪いを受けている」という誤解がある。
しかし、教会はこれを否定している。
当時、忠実な黒人の教会員は多くいた。
ジョセフ・スミスの時代には、黒人も神権を受け、エンダウメントの儀式も受けていた。
ブリガム・ヤングの時代に黒人の神権が停止された。
教会の初期では、エライジャという黒人の宣教師がいた。
エライジャが殺人をしたとして逮捕されそうになった。
ありもしない、でっち上げであった。
私個人の見解では、黒人の神権が停止されたのは、黒人の人々を守るためではないかと思う。
黒人が神権を持つと、宣教師になったり、指導者になったりする。
すると、それをよく思わない連中が彼らに迫害を加え、命などの危険にさらされる。
やがて、黒人に人権が認められる時代になって、神権が黒人に回復された。
これは、黒人の人々を守る神様の愛ではないかと思う。

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アブラハム書の真偽

【疑問】
アブラハム書の元になったパピルスを科学的に調べた結果、約2000年前のものたった。
アブラハムの時代の約4000年前と食い違う。
パピルスの内容を学者が調べたところ、「死者の書」と言われるものだった。
アブラハム書の内容とは違っていた。
ジョセフ・スミスはでたらめにアブラハム書を書いたのではないか。

【回答】
アブラハム書は約2000年前のエジプトの死者の書を元に、啓示によって、約4000年前のアブラハム書を回復したものだった。

約4000年前、アブラハムは、エジプトに滞在していたとき、アブラハム書を書いた。
これはエジプトの人々にも受け入れられた。
しかし、時代を経るにつれ、エジプトの人々は真実の神から離れ、多神教の神々を拝むように変わっていった。
その中で、アブラハム書も変質していき、約2000年前には死者の書のようなものに、なってしまった。

ジョセフ・スミスは、アブラハム書を翻訳する前に、聖書の翻訳を手掛けていた。
その成果は「高価な真珠」に「モーセ書」や「ジョセフ・スミス マタイ」として収録されている。
つまり、現在の変質してしまった聖書を元にして、時間を遡って、啓示を受けて元の形に回復したのである。
ジョセフ・スミスは同じ手法を使って、約2000年前の死者の書を元にして、更に約2000年遡って、アブラハムが記したときの状態に回復したのである。

学者たちによると、アブラハム書からの模写第一は、ミイラを作っている所であると言われる。
しかし、エジプトの絵画の伝統では、生者は2本足、死者は1本足で描く。
なので、この絵は生贄されようとしている所で、間違いない。
また、これと似たような絵が他から見つかった。そこには、アブラハムという文字が書かれていた。


アブラハム書では、カルデヤで指導者たちの礼拝していた偶像を拒絶したために、ささげ物として祭壇上に置かれた犠牲者たちがいた。
最近の研究で、アブラハムの時代にこのような罰が執行されていた事例が発見された。

アブラハム書には、聖書に出てこない「オリシェムの平野」という名称が出てくる。
20世紀まで発見も翻訳もされていなかった古代の碑文に、シリヤ北西部に位置する「ウリスム」(「オリシェム」は英語発音)と呼ばれる町のことが記されている。

アブラハム3:22−23は、当時のアメリカの文体ではなく、もっと中近東の言語の特徴を持つ詩的構成で書かれている。

模写1とアブラハム1:17は、偶像のエルケナの神について述べている。
この神は聖書には述べられていない。
しかし、近代の学者たちは、古代メソポタミヤで礼拝された神々の中にこの神の存在を確認している。

模写1の図6の4つの像は「この地球の四方を表す」と説明されてる。
同様の解釈が、その他の古代エジプトの文書内にある同一の像を研究している学者たちによって論じらた。

模写1には、「頭上の大空」と呼んだものの中を泳いでいるワニの神がある。
これは、エジプト人が天の概念を「天の海」としていたことに当てはまる。

アブラハム書は、聖書以外の古文書に見られるさまざまな事項に一致している。

アブラハム書の中で、神はアブラハムに太陽と月と星について教えている。
幾つもの古文書は、アブラハムが天に関する知識をエジプト人に与えたと繰り返し述べている。
例えば、紀元前2世紀にエジプトの統治下に住んでいたユーポレムスは、アブラハムは天文学とその他の科学をエジプトの祭司たちに教えたと記録している。

エジプトの神殿の図書館から見つかった3世紀のパピルスは、アブラハムをアブラハム書の模写1に似た絵図に関連づけている。

20世紀に発見された後年のエジプト語の文書には、パロがアブラハムを犠牲にしようとしたが天使により救い出されて犠牲にすることができなかった次第が述べられている。
その文書によれば、後にアブラハムは、パロの宮廷で天文学を教えている。

アブラハム書におけるその他の詳細は、中近東に広く存在する古代の伝承の中に見られる。
これには、アブラハムの父テラが偶像礼拝者であったこと、飢饉がアブラハムの故国を襲ったこと、アブラハムがエジプトの偶像をよく知っていたこと、アブラハムがハランを出たのが聖書の記述にあるように75歳よりも若かったことが含まれている。

これら聖書に記述のない事項は、19世紀のアメリカ人には入手できない、あるいは知られていないものだった。

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エンダウメントとフリーメイソン

【疑問】
エンダウメントの儀式はフリーメイソンの儀式に似ているところがある。
ジョセフ・スミスがフリーメイソンの儀式を元にしてエンダウメントの儀式を作ったのではないか。

【回答】
フリーメイソンはソロモン神殿を建設した石工たちの組合が元になっていると伝承されている。
フリーメイソンの儀式には、古代の神殿の儀式の痕跡が残っていたのだろう。
それは、アブラハムの聖約の儀式だったと思われる。
エンダウメントの儀式は、啓示によって、アブラハムの聖約の儀式を回復したものだった。

ジョセフ・スミスはフリーメイソンの所属していたことがあった。
そのため、フリーメイソンの儀式を知っていた。

エンダウメントの儀式とフリーメイソンの儀式が似ている点は以下の通りである。
物語を再現する演劇が行われる。手の握り、鍵となる言葉、特別な衣装を用いる。
Λ型のコンパス、V型の定規の形が用いられる。

フリーメイソンの儀式とエンダウメントでは、形式は似ているが、内容は全く違う。
たとえるなら、学校の授業では、どの教科も教師が前に立って、黒板を使って教えるという同じ形式を取っているが、英語と数学では、教える内容が違う。

フリーメイソンの儀式は自己改善、兄弟愛、慈愛、真理への忠誠を奨励するものであり、その目的は人をより良い人とし、彼らがより良い社会を作るようにすることである。
神殿の儀式では、男女が神の律法に従うという契約を交わし、その目的はイエス・キリストの贖罪を通して昇栄を得ることである。

フリーメイソンの儀式では再現劇や象徴的な動作と衣装を用い、段階を追って教えを授け、その内容はフリーメイソンの伝説に基づいている。
エンダウメントでは同様の手段を用いて教えるが、その内容の大部分はジョセフ・スミスに与えられた啓示や霊感による翻訳に基づいている。

物語を再現する演劇も、フリーメイソンでは、ソロモンからエルサレムで神殿を建てるよう命じられた人物の物語で、エンダウメントでは、創造と堕落の物語というようになっている。

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アメリカ大陸の馬

【疑問】
アメリカ大陸には馬はいなかった。
モルモン書にはアメリカ大陸に馬がいたことが書かれているが、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に来るまでは、馬はいなかった。
モルモン書はジョセフ・スミスの創作であり、彼が無知ゆえに、うっかり書いてしまったのだろう。

【回答】
アメリカ大陸で馬の化石が発見されている。

以下のページを参照


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アメリカ大陸のセメントの建造物

【疑問】
アメリカ大陸にはセメントの建造物はなかった。
モルモン書にはアメリカ大陸のセメントで作った建造物が書かれているが、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に来るまでは、セメントの建造物はなかった。
モルモン書はジョセフ・スミスの創作であり、彼が無知ゆえに、うっかり書いてしまったのだろう。

【回答】
アメリカ大陸でセメントの建造物が発見されている。

以下のページを参照
セメント

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紅海にそそぐ川

【疑問】
紅海にそそぐ川はなかった。
モルモン書には紅海にそそぐ川が書かれているが、中東地域に紅海にそそぐ川ははない。
モルモン書はジョセフ・スミスの創作であり、彼が無知ゆえに、うっかり書いてしまったのだろう。

【回答】
紅海にそそぐ川が見つかっている。

以下のページを参照
紅海に注ぐ川

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首無しで動く人

【疑問】
首を切ったのに動けるのはおかしい。
エテル15:31には「彼がシズの首を打ち落としたところ、シズは両手で身をもたげてから倒れ、息をしようともがいた後に死んだ」とある。
首がないのに動けるだろうか。

【回答】
脳が体から切り離されても、脳幹が残っていれば、体が自動的に動くことはある。
脳死した人は通常は自分で体を動かすことはできないが、腕や脚が動く可能性があり、起き上がり座った状態になる(ラザロ徴候)可能性もある。

以下のページを参照
How Could Shiz Move and Breathe After Being Beheaded?

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太陽や月に住む人

【疑問】
ジョセフ・スミスやブリガム・ヤングは太陽や月に人が住んでいると言っていた。
現在では、そういうことが無いと分かっている。
ジョセフ・スミスやブリガム・ヤングがでたらめなことを言う人間だったと分かるのではないか。

【回答】
教会幹部が語ったことであっても、個人的感想と教会の公式見解とは区別しなくてはならない。
教会の公式見解になるには、大管長会と十二使徒定員会の全員一致で承認を受けなくてはならない。
おそらく、これは個人的感想の部類の発言だったと思う。
復活して不死不滅の体を手に入れた人だったら、月にも太陽にも住めると、彼らが思ったのではないだろうか。

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金版の重さ

【疑問】
金版は重すぎて持ち運べないのではないか。
金版が純金でできているなら、伝えられているサイズでは約80kgある。
しかし、ジョセフ・スミスはクモラの丘から家に持ち帰る途中、暴漢に襲われて、金版を片手で抱え、もう片手で暴漢を殴って倒した。
こんなことができるのか。

【回答】
金版を持ったことのある人は約20kgだったと証言した。これなら片手で抱えられる。
ジョセフの弟ウィリアムは版は金と銅から成る合金でできていると推測した。

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聖書に追加できない

【疑問】
ヨハネの黙示録には、この書に付け加えてはいけないとある。(黙示録22:18-19)
だから、聖書以外のモルモン書や教義と聖約は聖典として認められないのではないか。

【回答】
これは、黙示録に限った禁止事項である。
黙示録が聖書の最後に配置されているので、聖書全体に対するものと誤解されている。
現在では、福音書の方が、黙示録よりも成立が後だと分かっている。

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三位一体の神

【疑問】
「三位一体の神」はキリスト教の基本教義である。
それを認めていない末日聖徒イエス・キリスト教会はキリスト教として認められないのではないか。

【回答】
「三位一体の神」は聖書に明確に記述されてはいない。
聖書学者たちの議論によって、決められたもので、神からの啓示によってもたらされたものではない。
ジョセフ・スミスは天父とキリストの御二方に会っているので、それぞれ別の御方であることが明確である。

三位一体説では、次のように説明している。 三位一体説を聞くと、一人の神が、ある時は、天父、ある時は、キリスト、ある時は、聖霊に姿を変えて現れているとイメージしてしまうのだが、上の説明を読むとそうではないらしい。

なぜ、こういう説が生まれたのだろうか。
事の発端はキリストは神か人かという問題からだった。
キリストが神とするならば、神が天父とキリストの2人いることになり、神の唯一性と矛盾する。
キリスト教はユダヤ教の唯一神であるエホバ(ヤハウェ)を継承している。
聖書には、神は一つであると書かれているが、一方で、キリストは神であるとも書かれている。
このことで、4世紀に大論争が起こった。教会全体が分裂しかねない状況になった。
時の大帝コンスタンティヌスはニカイアに聖職者や神学者を集めて、会議をおこなった。
キリスト教徒でないコンスタンティヌスが議長になって結論を出した。
それが、キリストは神だが、天父と同一の御方なので、神の唯一性と矛盾しないというものだった。
どちらの意見も取り入れた妙案であるが、非常に理解しがたいものになった。
これは、神からの啓示ではなく、キリスト教徒でもない人間が出した、教会分裂を避けるための妥協案だったのだ。
それが、現在まで受け継がれている。

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異端とカルト

【疑問】
この教会は異端やカルトと呼ばれることがある。
そうなのか。

【回答】
異端とカルトは別のものである。
異端とは、正統派とは教義が違っている宗派のこと。
カルトとは、反社会的な、危険で人権侵害を繰り返す集団のこと。

キリスト教でいう正統派とは、「使徒信条・ニカイア信条」と一致している教義をもつ宗派である。
この信条は神からの啓示として与えられたものではなく、聖書学者たちの議論によって、決められたものである。
使徒信条・ニカイア信条を見ると末日聖徒イエス・キリスト教会が一致していない教義は「三位一体」だけである。
この点で異端ということになる。

使徒信条

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。
わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちからよみがえり、天にのぼられました。
そして全能の父である神の右に座しておられます。
そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。
わたしは、聖霊を信じます。
きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。
アーメン

ニカイア信条(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)

わたしたちは、唯一の神、全能の父、天地とすべて見えるものと見えないものの造り主を信じます。
また、世々の先に父から生まれた独り子、主イエス・キリストを信じます。
主は神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られず、生まれ、父と一体です。
すべてのものは主によって造られました。
主はわたしたち人類のため、またわたしたちを救うために天から降り、聖霊によっておとめマリヤから肉体を受け、人となり、ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ、聖書にあるとおり三日目によみがえり、天に昇り、父の右に座しておられます。
また、生きている人と死んだ人とを審くため、栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
また、主なる聖霊を信じます。
聖霊は命の与え主、父と子から出られ、父と子とともに拝みあがめられ、預言者によって語られた主です。
また、使徒たちからの唯一の聖なる公会を信じます。
罪の赦しのための唯一の洗礼を信認し、死者のよみがえりと来世の命を待ち望みます。
アーメン

モルモン書を聖典とすることを異端とする意見があるが、これは黙示録22:18-19を誤解したものである。
異端は、どの視点を正統とするかで変わってくる。
キリスト教はユダヤ教から見ると異端になる。
プロテスタントはカトリックから見ると異端になる。
異端とは、絶対的なものではなく、相対的なものである。

カルト教団がおこなっている以下の例には当たらないので、末日聖徒イエス・キリスト教会はカルトではない。
・天国に行くためと言って集団自殺を命じる。
・教団のために殺人を命じる。
・教団のために詐欺行為を命じる。
・教団をやめると、滅ぶ、地獄に行くと脅す。
・教団を否定する人は悪魔につかれているという。
・教団に従わない子供を虐待する。
・多額の献金を求める。
・誰かに会うとき、実家に帰るとき、逐一連絡が必要。
・他の教会の人と会ってはいけない。
・テレビ、インターネットを見てはいけない。
・漫画を見てはいけない。
・教団の本以外の本を読んではいけない。
・ゲームをしてはいけない。
・賛美歌以外の歌を聞いたり、歌ったりしてはいけない。
・結婚相手を決められる。
・就職する企業や仕事内容を決められる。
・住む場所を決められる。
・信者同士の共同生活を求める。
・自動車、電気などの文明道具を用いてはいけない。
・誕生日を祝ってはいけない。
・クリスマスを祝ってはいけない。
・格闘技をしてはいけない。
・輸血してはいけない。

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律法主義

【疑問】
この教会の戒めは律法主義である。
キリストの贖いにより、モーセの律法は成就し、数々の律法は守る必要がなくなった。
律法を守ることではなく、キリストを信仰することにより、キリストの恵みにより救われる。
しかし、末日聖徒イエス・キリスト教会は、什分の一の律法、純潔の律法、知恵の言葉など多くの戒めを守ることを信者に求めている。
これは律法主義ではないか。

【回答】
ユダヤ教では、律法を守るという「おこない」が救いの条件だとしている。
プロテスタントの教会では、救いの条件はキリストへの信仰だけだとしている。
しかし、末日聖徒イエス・キリスト教会では、キリストへの信仰、悔い改め、バプテスマ、聖霊の賜物の4つが必要だとしている。
「悔い改め」という「おこない」が条件に入っている。
当教会の戒めは、正しい「おこない」ができるようになるために指針である。
しかし、自分の力だけでは、完全にはなれない。
神は最善を尽くす人に対して、足りない分に恵みを与えて、完全にしてくださる。(2ニーファイ25:23、モロナイ10:32-33)
信仰には、おこないが伴う。(ヤコブの手紙2:17-26)
バプテスマと聖霊の賜物も救いの条件である。(ヨハネ3:5)

イエス・キリストは律法は成就したとは言ったが、廃止されたとは言っていない。
「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。」(マタイ5:17)
イエス・キリストの贖いを象徴していた、動物を犠牲ささげることは、キリストご自身が犠牲をささげたので、する必要がなくなり、代わりに、キリストの贖いの犠牲を思い起こすために、聖餐の儀式が新たに定められた。
無効になったものには、動物の犠牲をささげる祭礼、豚を食べてはいけないなどの食物の規定などがある。
モーセの律法の中でも、十戒や什分の一の捧げものなど、現在でも有効なものが多く残っている。

什分の一の捧げものについては、無効になったと主張する教派がある。
しかし、モルモン書の第3ニーファイ24章で、キリストがマラキ書3章を引用し、什分の一に触れているので、現在も有効である。

十戒については、安息日を定めていない教派がある。
また、十字架のキリストや聖母マリヤの偶像を置いている教派がある。

十戒の内、殺人、姦淫、偽証については、第3ニーファイ12章で、キリストがさらに、高いレベルの話しをしているので、贖いが完成した後も、有効なことが分かる。
教義と聖約にも十戒に相当することが述べられているので、現在でも有効である。

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バプテスマ不要論

【疑問】
バプテスマなしでパラダイスに行く罪人
ルカ23:39-43では、共に十字架に付けられた一人の罪人に対して、イエスが「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」と告げた。
これは、バプテスマなしでも、キリストへの信仰だけで、救われるという証拠ではないか。

【回答】
ジョセフ・スミスはルカ23:43に出てくるパラダイスという言葉は「誤訳であり、実際には、その犯罪人も主とともに霊界にいるであろうと主は言われた」と言っている。
その犯罪人は、霊界で福音が宣べ伝えられるのを聞く。

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十字架の必要性

【疑問】
この教会は十字架を掲げていない。
十字架はキリストの贖いの象徴であり、それを掲げるのはキリストへの信仰の現れである。
末日聖徒イエス・キリスト教会が十字架を掲げないのはキリストの贖いを重要視していないからではないか。

【回答】
十字架は単なる処刑道具だった。
もし、絞首刑だったら縄、斬首刑だったら刀が、キリストの象徴になっていたかもしれない。
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、死んだキリストではなく、生きているキリストを信仰している。
十字架上の死は、イエス・キリストがしたことの一部でしかない。
贖いのほとんどは、ゲツセマネの園で行われた。
イエス・キリストがすることは、贖いの他にも、地球の創造、旧約聖書の神としてイスラエルの民の導き、イエス・キリスト教会の回復、回復された教会の導き、福千年の間の地球の統治、最後の裁きなど多くある。
世の始まりから終わりまで、多くのことの主役となっている。

以下のページを参照
末日聖徒が十字架をシンボルとして使わない理由

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贅沢な教会幹部

【疑問】
教会幹部が高級車に乗っていたり、飛行機のファーストクラスに座っているのを見たことがある。
教会幹部は信者からの献金で贅沢をしているのではないか。

【回答】
教会幹部は社会での成功者が多い。
例えば、会社の役員や、高名な医師がいる。
おそらく、自身の資産の蓄えを使って、そのような贅沢に見えることをしているのかもしれない。
しかし、すべての教会幹部が裕福だったわけではない。
教会幹部に召される前は、普通の会社員だったため、資産の蓄えがなかったり、仕事を辞めたために収入が無くなくなった人もいる。
そのような教会幹部へは、教会から生活補助が出されている。
その額は普通の会社員並みだと言われている。

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日本にキリスト教は不要

【疑問】
日本には、既に仏教があるのに、なぜキリスト教が必要なのか。

【回答】
仏教では、釈迦に頼ることによって、この世においては、心の平安を、次の世においては極楽浄土に行けると説いている。
仏教を信仰している人々にとっては、これで充分満足なので、新たな宗教を必要としない。
しかし、キリスト教では、イエス・キリストだけが、人々に真の救いをもたらすことができると説明している。
イエス・キリストの名と権能によって行わせたバプテスマ(洗礼)が救いには必須となる。
これを聞いた人は、キリスト教が排他的な宗教であると感じるかもしれない。
いろいろな宗教はあるが、野心的なものや詐欺的なものを除けば、どの宗教でも、人がこの世に来た目的(霊を成長させる)の多くは果たせる。
しかし、私たちの霊の親である神のもとに戻るには、キリストの力が必要なので、死んだ後にも、キリストの教えを聞く機会がある。
霊界では、この世のような、多種多様な教えはないので、多くの人がキリストの教えを受け入れると言われている。

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お茶は健康に良い

【疑問】
アルコールやタバコは体に悪いので、取らない理由はわかるが、お茶は健康に良いのに、なぜダメか。

【回答】
茶の成分であるカテキンは、抗菌作用があり、ビタミンCは風邪予防に役立つとされている。
一方、コーヒーと茶のカフェインは、胃や心臓に害をなすと言われている。
しかし、本質的な問題は、精神に対する悪影響である。
コーヒー、茶は神経を刺激し、依存症にさせる危険がある。
これらは、人が神様から啓示を受けるのを阻害するものである。
霊的なコミュニケーションに必要な繊細な感覚を鈍らせる。

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DNA比較

【疑問】
モルモン書の民は、中東からやって来たイスラエルの民の家族の子孫だが、現代のユダヤ人とアメリカ先住民のDNAを調べたところ関連性は見られなかった。
これは、モルモン書がジョセフ・スミスの創作であることの証拠である。

【回答】
現代のユダヤ人は、世界中に離散した影響でかなり混血しているので、2600年前のイスラエル人と同じDNAである可能性は低い。
また、現代のアメリカ先住民も、混血が進んでいるので、2600年前と同じDNAだという確証はない。
2600年前の状態を保った人々が現代にいないため、その両者を比較しても、モルモン書が間違っているという証拠にはならない。

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