シオン

シオンとは

    シオンとは心の清い状態であり、このような人の集まり、つまり民のこと
    である。

    「主はその民をシオンと呼ばれた、彼らが心を一つにし、思いを一つにし、
      義のうちに住んだからである。そして、彼らの中に貧しいものはいなか
      った。」(モーセ7:18)

    「心の清い者、これこそシオンである。」(教義と聖約97:21)

シオンという言葉には、心の清い人々が住む所という意味もある。

エノクとその民が築き、天に取り上げられた町はシオンと名付けられた。

    「エノクは、義をもって神の民に教えを説き続けた。そして、その生涯に、
      彼は一つの町を建て、それは聖なる都、すなわちシオンと呼ばれた。彼
      はまことに、時がたってシオンが天に取り上げられるのを見た。エノク
      の生涯におけるシオンの時代は、合わせて365年であった。エノクと
      そのすべての民は神とともに歩み、彼はシオンの中に住んだ。それから、
      シオンはなくなった。神が御自身の懐にそれを迎え入れられたからであ
      る。そのことから、『シオンは消え失せた』という言葉が広まった。」
    (モーセ7:19、21、68、69)

    天に取り上げられたこのシオンは、福千年の時代にこの世に戻ってくる。
    そして、やがて建てられる新エルサレムに合流する。

ニーファイ人の中にも、キリストの降臨後166年の間、シオンの時代があった。

    「彼らは互いに教え互いに仕えあった。そして、彼らはすべてのものを共
      有し、皆、互いに公正に振る舞った。」(3ニーファイ26:19)

    「(キリスト誕生から)第36年には、民はニーファイ人もレーマン人も
      ともに皆、地の全面で主に帰依した。そして、彼らの中にはまったく争
      いがなく、論争もなく、皆、互いに公正に振る舞った。また、彼らはす
      べてのものを共有したので、物持ちも貧しい者も、束縛された者も自由
      な者もなく、皆自由であり、天の賜物にあずかる者となった。ところが、
      この第201年には、高価な衣服を着て、あらゆる見事な真珠と世の美
      しいものを身に着けるなどして、高慢になった者たちが彼らの中に現わ
      れ始めた。そのときから、彼らはもはや自分たちの所有物と持ち物を共
      有しなくなった。そして、彼らは階級に分かれ始めた。また、彼らは利
      益を得ようとして自分自身のために教会を築き始め、キリストのまこと
      の教会を否定するようになった。」
      (4ニーファイ2、3、24ー26)

初期のキリスト教会でも、シオンの状態にあった。

    「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を
      売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。」
      (使徒行伝2:44、45)

    「信じたものの群れは、心を一つにし思いを一つにして、誰一人その持ち
      物を自分のものだと主張するものが無く、いっさいの物を共有にしてい
      た。」(使徒行伝4:32)

シオンは将来この地上に築かれる。

    シオンを築くということは、あらゆる時代の神の民が関心を示してきたこ
    とである。各時代の預言者たちはこの時代を予言した。しかし、彼らはそ
    れを見ることなく世を去った。わたしたちは、この時代、すなわち時の満
    ちる神権時代に生まれ、シオンを築くことに加わる。神は天と地にあるす
    べてのものを集め、ひとつにされる。神の聖徒はもろもろの国から一つに
    集められ、ユダヤ人は一ヶ所に集められ、邪悪な者も滅ぼされるために集
    められる。神のみたまは神の民の上にとどまり、ほかの国民から取り上げ
    られる。天上の神権者は地上の神権者と協力し、これらの偉大な目的を成
    就する。

    新エルサレムは福千年に備えて建設される最初のシオン共同体となる。ミ
    ズーリ州ジャクソン群インデペンデンスに建設される。新エルサレムはす
    べてのシオンを管理する中心地、首都である。新エルサレムからシオン共
    同体の建設が全世界に広がる。シオンのステークを通じてシオンの社会は
    備えられ強められる。シオンはまず南北アメリカで発展し、全世界に満ち
    る。

シオンは避け所となる。

    主の再臨の前の大きな艱難から主の民を守るために、シオンが設けられる。
    神は聖徒をシオンに集め、その後、荒廃と滅亡を起こされる。集められた
    心の清い者を除き誰もそれから逃れられない。
奉献の律法と共同制度

    奉献の律法とは、神に自分のすべて(時間、才能、財産)を捧げること
    である。

    共同制度とは、奉献の律法の実践であり、シオンのような共同社会を実
    施するための制度である。各個人が財産と利益を共有し、必要に応じて
    その中から幾分かを受け取る。

    聖典の中では以下の所に奉献の律法と共同制度について述べられている。
     (教義と聖約41:9,10)
     (教義と聖約42:30−42,53−55,70−73)
     (教義と聖約51)
     (教義と聖約72:3−18)
     (教義と聖約78:3−6)
     (教義と聖約82:17−19)
     (教義と聖約83)
     (教義と聖約104)

    教会の初期の短い期間、共同制度を実施していたときがあった。迫害を
    逃れ、人里はなれたユタの地(1847年入植)で、教会員だけの共同社会
    を築くことができた。やがて、さまざまな問題によって中止された。し
    かし、これらの経験により、外からの物資に依存しなくなり、聖徒たち
    の貧富の格差も小さくなった。倹約と勤勉の徳が育まれ、いく世代にも
    わたって、教会の祝福となった。

    共同制度は人間の貪欲と利己心のため中断され、主によって取り上げら
    れた。わたしたちの不完全さが妨げとなって、現在、奉献の律法は実施
    されていない。しかし、将来、神はみこころにかなうときに、みこころ
    にかなう方法で、預言者に霊感を与えて、この制度を導入されるだろう。

    現在、奉献の律法と共同制度の備えとして、什分の一、断食献金、福祉
    プログラムが実施されている。教会の福祉計画の基本は、人々を施しに
    頼るようにするのではなく、自立させることである。教会員の自活を促
    し、また、必要に応じて、食物、衣服、他の必需品を作る助けを与える
    ことである。貧しい人々を助けるために、教会は農場や工場を経営して
    いる。貧しい人々はそこで働き、技能と必需品を得る。

基本原則

    ・すべてのものは神のものである。(奉献)
        自分の持っているすべてのもの(財産、時間、才能)を神に捧げる。
          (教義と聖約104:14)
          (教義と聖約104:70)

    ・人は単なる管理人である。(管理)
        自分の所有しているものは、自分の物でなく、神から「管理の職」が
        与えられている(財産の管理を委任されている)と考える。
        (しかし、法律的には「管理の職」が「所有権」として機能する。)
        管理には責任が伴う。自己に属する者(家族)を世話しなければなら
        ない。
          (教義と聖約104:13)
          (教義と聖約104:56,57)

補助原則

    ・平等
        すべての人が自分と家族の生活を各自の資産でまかなえるようにする。
          (教義と聖約78:5,6)

    ・愛、分かち合いの精神、奉仕
        助けの必要な人を助ける。
          (教義と聖約82:19)
          (教義と聖約104:15−18)

    ・勤勉、労働
        怠惰であってはならない。労働によって物を得なければならない。
        自分の力で物を得られる人に対して施しをしてはならない。
          (教義と聖約42:42)

    ・自立
        自分の力によって、自分と自分の家族を養わなくてはならない。
        自分の力で物を得られない人を、自分の力で得られるように助ける。

運用システム

    ・主の役割
        主は万物を作り、わたしたちに必要なものを恵んでくださる。
      (教義と聖約104:13−15)

    ・監督の役割
        監督は自分の職業を持たず専任で共同制度全体を管理する。
        そのため、生活費としての報酬を教会から受ける。
          (教義と聖約41:9,10)
          (教義と聖約42:30−42)
          (教義と聖約42:53−55)
          (教義と聖約51:3−6)

        ・倉(教会の共有財産)
            監督が教会員達からささげられるものを受け取り、保管し、貧し
            い人に配るための施設。倉はそれぞれの状況によって規模が異な
            る。忠実な聖徒は、才能や技術、物品、金銭を、助けが必要な貧
            しい人のために監督にささげる。したがって倉は、労働奉仕や金
            銭、食料、その他の日用品などを資源として備えることができる。
            監督は倉の代理人であり、必要に応じて、また主の御霊に導かれ
            るままに様々な物品や労働奉仕を割り振る。
          (教義と聖約51:13)

        ・神聖な金庫
            聖典の出版等から得られる剰余(利益)が納められる。
          (教義と聖約104:60−66)

        ・もう一つの金庫(財産利用)
            教会の共有財産を運用して得た剰余(利益)が納められる。
          (教義と聖約104:67−71)

        ・残余 → 孤児、未亡人、貧しい人
            教会員から奉献を受けた財産から、配当をおこなったあまり(残
            余)が教会の共有財産となる。これらは貧困者のために使われる。
          (教義と聖約78:3)
          (教義と聖約83:6)

    ・教会員の役割

      −−−−− 1.財産    −−−−
      |   |−−−−−−−−>|  |
      |   | 2.配当    |  |
      |   |<−−−−−−−−|  |
      |教会員| 3.報告    |教会|
      |   |−−−−−−−−>|  |
      |   | 4.残余    |  |
      |   |−−−−−−−−>|  |
      −−−−−         −−−−

        1.財産
                教会員は自己の財産をすべて教会に奉献する。
              (教義と聖約42:30)

        2.配当
            自己の財産をすべて奉献したのち、必要に応じて配当を受ける。
              (教義と聖約51:4−6)

            ・平等
                全員一律ではなく、家族数、財政状態、乏しさ、必要に応じ
                て配分される。だから、奉献した財産より多く受ける者もあ
                れば、少なく受ける者もある。配分の量は監督が決めるので
                はなく、配当を受ける者が、必要に応じて要求する。監督が
                それに合意すれば、その人はその配当を受け取ることができ
                る。しかし、両者が合意に達しない場合、12名の大祭司か
                らなる評議会がこれを協議する。
                (教義と聖約51:3)

            ・管理の職
                配当は共有の財産ではなく、個人の財産になるが、「管理の
                職」が与えられただけと考える。しかし、これらは自由に譲
                渡、維持、売却、交換することができる。その会員が教会に
                所属するのにふさわしくないと判断された場合、この「管理
                の職」(配当)を教会に返さなくてはならない。
              (教義と聖約42:32)
              (教義と聖約104:11−12)

            ・証書
                「貸与証明書」をもって教会から管理の職(配当)を受ける。
              (教義と聖約51:4−6)

            ・ゆずり
                ある会員が夫を失った女性や、親がいない子供の場合、教会
                に所属するのにふさわしくないと判断されたときでも配当を
                教会に返さなくてもよい。
              (教義と聖約83:3)

        3.報告
            与えられた管理の職(配当)に対して、決算を報告をする。
          (教義と聖約72:3)
          (教義と聖約82:18)

        4.残余
            割り当てられた配当によって得た利益が家族に標準の生活をさせ
            る以上のものであると判断すれば、返却する。
          (教義と聖約42:34
共同制度と共産主義の違い

余剰財産を共有する点では似ている。
しかし、その依り所とする思想が違っている。

・共産主義
    ・無神論である。
    宗教は麻薬のようなものである。
    あの世で報われるので、現状を改革しなくてもよいという無気力を起
    こさせるものと考える。
  ・この社会制度の維持のために国家的暴力が用いられる。
    労働者という「自分」が資本家という「他者」から利益を奪い返すと
    いう「闘争」によって「平等」を実現すると考える。
  ・「平等」とは、だれもが同じ量の配分を受けることを言う。

・共同制度
  ・「神」を依り所とする。
    この世界のすべてのものは本来、神のものであるという考えが、人か
    ら私利私欲を消し去る。
  ・教会員の「心の清さ」(愛、分かち合いの精神)で維持される。
    生活に困っていない「自分」が生活に困っている「他者」を助けると
    いう「愛の精神」によって「平等」を実現すると考える。
  ・「平等」とは、だれもが自立している状態を言う。

共産主義の理想はすばらしいものであるが、いくら制度を整えても、その社会
を構成するメンバーが利己的で一致していなければその社会はうまくいかない。
シオンの共同制度を維持するものは、法的、政治的なものでなく、奉仕と一致
という精神的なものである。

教会の初期に実施された共同制度がうまくいかなかった原因も、教会員の霊的
な準備ができていなかったためである。以下はブリガム・ヤングが経験したこ
とである。

聖徒たちが持っている剰余の財産を調べるため、各地方をめぐることになった
が、出発の前にジョセフ兄弟に尋ねた。「何が剰余の財産かを判断するのはだ
れですか。」答えはこうであった。「会員自身に判断させなさい。」会員たち
は指示されたことを喜んでおこなうといったが、剰余の財産について尋ねると、
土地や家畜をもっている人のほとんどが次のように答えた。「広い土地があり
ますが、息子がたくさんいて、将来分け与えるので、剰余の財産ではありませ
ん。」次の家に行くと、とても使えきれないほどの土地と多くの家畜を所有し
ていた。彼らは次のように言った。「わたしたちには子供がいませんが、将来
たくさんの子供が持てると思います。だから、剰余の財産はありません。家畜
も数え切れないほどいますが、これはすべてわたしの力で手に入れたものなの
で、すべてわたしが使います。」たまに剰余と見なされる家畜があっても、け
がや病気をしていた。
(インスティトゥート生徒用資料「教義と聖約」より引用)

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