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台湾のサトウキビ鉄道を訪ねて 前書き


(台糖鉄路の東太子宮車站の駅舎付近。日本領の時代の名は「パルプ工場前駅」だったらしい

 2006年12月初旬、母の少女時代の思い出深い台湾・新營(しんえい・Sinying)市を訪れました。私の母は、日本が占領していた時代の台湾に父親の仕事(製紙会社勤務)の都合で住んでおり、第二次世界大戦が終了した翌年(1946年=昭和21年)4月に引き揚げてきました。

 さて、ここで話すのはサトウキビ鉄道のことです。母の思い出巡りがメインの旅ですから、やたらと廃線をたどったりはしませんでした。しかし母の記憶にも、台湾南部に張り巡らされたサトウキビ運搬用の軽便鉄道にまつわるものがありました。この軽便は、貨物専門ではなく、地元の人も利用していたのです。結果的には、母が利用していた駅の駅舎が当時のままらしい姿で残っているという、母にも私にもものすごい発見がありました。
 また、出かける前から調べて「スキあらば乗るぞ!」と考えていた、観光用に復活したミニ鉄道にも乗ることができました。今回は、この二つについて書いてゆきます。

・新營市について・おまけはこちら→

参考URL
台湾黄昏地帯
naruwan(台糖五分車の紹介)
台湾糖業公司(新營鐵道文化園區の紹介)中国語ページ
看橋工房(台湾の鉄道好きの個人ページ。東太子宮站の写真も)中国語ページ

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