第4章 戦時の商い

 西南の風  火の国の豪商  焼土で高級品売る  あきんどの禁じ手

西南の風を読む

 京都や大阪からの大量注文に対する手紡糸(ていと)不足は、近くでは筑前の旧秋月藩領、遠くは山口や広島地方の武家の奥方などの協力で、どうにか解消できた。だが、この調子で注文の量が伸びていけば、近いうちに必ずまた行き詰る。加えて、糸を染める玉藍(ぎょくらん)の生産も追いつかなくなる。玉藍(ぎょくらん)(藍玉ともいう)とは、藍草の葉を原料とする久留米絣に欠かせない染料のこと。

 国武商店に、突然鍋屋の増吉が現れた。増吉は入ってくるなり、喜次郎の傍に座り込んで耳打ちした。
「どげんしたとですか、そげんこまか声で」
「近江の本店から大変なことを言うてきましたんや」
「大変なことちは?」
「その大変なことを確かめるために、鹿児島に行っての帰りですねん。大きな声じゃ言えまへんが、これから起こる騒動は、今までとは比べもんにならんくらいに大きゅうなりそうでっせ」
増吉は、本店の意向を受けて、長崎から熊本、更には鹿児島へと足を運んで情報を集めたと言う。


西南戦争の発火点となった私学校跡

「西郷隆盛はんが下野して、ふるさと鹿児島に帰りはったことは知ってますやろ。西郷はんは士族の若いもんに勉強してもらおう思うて、学校をつくりはったんや(私学校)。その学校が政府に対する不平分子の拠点になってしもうて」
 私学校の生徒たちが、西郷隆盛を頭目にたてて兵を挙げたというのだ。新政府に不満をぶっつけるためである。
「そげなことになったら、政府も黙ってはおらんでしょう」
「そこでんがな。わてらあきんども、よう見ておかなあかんとこは」
「・・・・・・」
「わかりまへんか、喜次郎はん。西郷はんの兵が鹿児島を発って東京にでも向かおうものなら、政府はどないしてでも阻止しようとしますやろ」
黙り込んだ喜次郎に対して、増吉の口は滑らかになる。
「官軍が薩摩兵を迎え撃つ場所がどこになるか・・・」
「どこ・・・?」
「出発して間のない九州のどこかで」
「東京から遠か九州で?・・・どげんして薩摩を迎え撃つとですか」


消失前の熊本城

「そういう時のために、熊本に鎮台(ちんだい)を置いてますがな。鎮台(ちんだい)が敵の前に立ち塞(ふさ)がってる間に、全国から官軍の兵が熊本に集まってくるという仕組みどすわ」
「薩摩の兵の動きば、東京の政府がどげんして知るとですか」
増吉と向き合う喜次郎には、わからないことが多すぎる。
「いつまでも飛脚(ひきゃく)や早馬(はやうま)でもありまへんやろ。電報という手段があることをお忘れか」
 西郷人気の薩摩軍の兵力は、進軍するたびに倍増していくだろうとも、増吉は予測した。
「だから政府は、薩摩兵を熊本あたりから先に行かせたらあかんのどす。あきんどの魚喜はんならどう向き合いますやろ、この度の戦(いくさ)に」
 突然、難題を振り向けられて、喜次郎が困惑した。
「しっかりしなはれ。わてはおまんを、もっともっといかい(大きな)あきんどにしよう思うて、立ち寄らせてもろうたんどっせ」
「・・・・・・」
「よろしいか。この度の戦には日本政府のお偉方や軍人はん、それに日本中から兵(つわもの)どもが大勢集められますのや。そんな今こそ喜次郎はんの出番どすがな」
「かすりば売るためにですか」
「そうや。久留米絣を日本中に知らせるには、またとない機会やろ。全国各地から集まってくる兵隊はんに買うてもらえば、久留米のかすりがいっぺんに全国津々浦々まで知れ渡ることになりまへんか」
 ならば、一介の田舎商人が、どういう手段で軍部に近づけるのか。
「おまんが動かいでも、向こうから勝手に近寄って来ますがな」
 商いとは、そこまで深読みをするものかと、喜次郎は改めて鍋屋の増吉を見直すのであった。増吉は、「おまんも、早よう火の国熊本を肌で感じてきなはれ」とだけ言い残して、帰っていった。
 増吉が去って数日して、幼馴染(おさななじみ)の与平が訪ねてきた。
「蒲鉾屋(かまぼこや)のトシちゃんが、きいしゃん(喜次郎の愛称)に陸軍の偉か人ば会わせたかち・・・」
「俺に何の用じゃろか」
「久留米の木綿屋に一肌脱いで貰いたかち」
 与平に連れて行かれたのは、日吉町にある料理屋の一室であった。座敷では、床の間を背にして軍服姿の中年男が座っている。先に来ていたトシちゃんこと蒲鉾屋の利則が、「このお方は、陸軍少尉の徳永さまち言われる」と紹介した。
 陸軍の偉い人と、どう言葉を交わしたらよいものかわからず、下を向いたままである。そこで、徳永が声を張り上げた。
「単刀直入に申す。この度、薩摩の不逞(ふてい)の輩(やから)が、政府に反旗を翻(ひるがえ)しおった。我輩は薩摩兵を叩(たた)き潰すための先遣隊である。官軍本隊が間もなく到着するゆえ、その前にそなたら商人の協力を得ておきたい」
「わたしらあきんどにやれることちいうたら、そろばんば弾(はじ)くことくらいですけん。刃や鉄砲を持てち言われても無理です。いったいどげなこつば?」
「戦いの主戦場は熊本県になる。よって、ここ久留米は、重要な補給基地である」
数日前鍋屋の増吉が予言した「久留米は、官軍にとって重要な兵站基地(へいたんきち)になる」が、ずばり的中している。
「それで、俺たち、いいえ私に何ばしろと?」
「衣食すべてを必要とする戦場では、木綿屋は貴重な存在である」
 考え込む喜次郎に、徳永が一方的に言いつけた。
「我輩は数日後に、熊本県の南ノ関に移動する。そこで細かい話をするゆえ出向くよう」と。

火の国の豪商

 数日後、喜次郎は熊本に出向いて呉服問屋の市原屋を訪ねた。加藤清正が築いた名城を見上げる街中に、市原屋の豪勢な屋敷と大店(おおだな)が建っていた。


現在の熊本市内

 市原屋の主人原田寿平は、維新の頃からかすりを買い取ってくれるありがたい得意先である。
「薩摩は、まずは熊本城内の鎮台ば攻めるでっしょ」
 言葉は深刻だが、市原屋に慌てた様子は見られない。
「心配じゃなかとですか」
「何が?」
「お城が攻撃されるちいうことは、熊本の町も戦場になるとでっしょ。そげんなりゃ、お店も商売も・・・」
「お城も町も周辺の村も、目茶目茶になりますでっしょ。ばってん、こればっかりは、あきんどがどげんあがいてもどうしようもなかですよ」
「・・・・・・」
「ですがですよ、魚喜さん。ものは考えようです。店とか建物は焼けてしもうても、建て直せば済むことです。焼かれては困るもの、それは売りもんです。売りもんがなけりゃ、あきんどはどうにもならんでっしょうが。だから・・・」
 言われて店内を見渡すと、いつもは所狭しと積み上げられている反物の山が消えている。
「絶対に戦災に遭わんで、しかも誰にも見つからんとこに隠しました。私らは、どこかで首をすくめて嵐の通り過ぎるのを待っちょればよかとです」
 挨拶をして外に出かかったところで、原田寿平に呼び止められた。
「魚喜さん、この度の戦争が終わったら、あなたと大商いばやりまっしょな」
「戦が終わってから、ですか?」
「そうです。薩摩兵や官軍がみいんな熊本からおらんごとなってから」
「どげな商売を?」
 原田が考えていることを、もう一つ読めないでいる喜次郎である。
「私がどこかに隠している呉服といっしょに、魚喜さんの久留米絣も売らしてもらいますよ。特に、井上傳さんとこのかすりなら、いくらでも高く売れますけん。それから・・・、食いものから家庭用品まで、暮らしに役立つものなら何でも、持ってきてください」
 原田寿平の、商いの熱気がびんびん伝わって来る。歩きだして眺める熊本の町は、戦争前夜とはとても思えない静けさであった。

 喜次郎は、熊本からの帰り道、南ノ関(現熊本県南関町)の正勝寺に立ち寄った。官軍の大本営が置かれている寺である。日本全国から兵が送り込まれてきていて、寺の周りの田んぼや林は、野営のためのテントで原型を確かめることすら難しい。
「おお、お前か、よう来たな。早速だが・・・」
 徳永は喜次郎に、1銭とか1厘とか小銭を大量に用意するよう言いつけた。全国から集まってくる兵隊に支払う給金は、すべて5円とか10円といった高額紙幣(しへい)である。彼らに留守宅あての贈物を買わせるためにも、小銭が必要だと言う。
「もちろん、ただでとは言わぬ。両替するときは、それなりの手間賃をとればよい。ああ、それから・・・」
 徳永は、兵が欲しがるかすりも揃えておくように言いつけた。いつか鍋屋が言っていた「久留米絣を全国津々浦々まで知らせる絶好の機会」が現実となった。徳永ら将校は、生きて帰れる保証などどこにもない兵に、せめても家族への思いやりを促しているのだろうと、喜次郎は複雑な気持ちを抱いたまま久留米に戻ってきた。


官軍の大本営が置かれた正勝寺(南関町)

 掻き集めた小銭のほかに、荷車には久留米絣を満載して、再び正勝寺に引き返した。今回は久次を伴っての商いである。給金を貰った兵たちは、喜次郎と久次を取り囲んだ。
「お国はどこですか?・・・そうですか、奥州の秋田ですか。このかすりば奥さんに着せなさったら、人が変わったごと別嬪(べっぴん)さんに見えますよ」
 このところ旅が多くて、顔を合わせることの少ない久次だが、いつの間にかいっぱしのあきんどに成長している。更に久次は、「戦争で勝ってお国に帰るときには、ぜひ久留米に寄ってくださらんか。ばさらかよか品もんば揃えておきますけん。久留米で国武商店ち言うてくれなさったらすぐわかります」と話しかけながら、手際よく売捌いている。用意したかすりは、すぐに売り切れた。
 喜次郎にとって、その日得た利益より、久次の商人としての才能を見つけたことが何よりの収穫であった。

焼土で高級品売る

 多額の利益を手にした喜次郎は、久留米に戻るなり、次なる物資の購入に走った。使用人を総動員して、北部九州から山口・広島、果ては四国にまで足を伸ばした。衣類に限らず、食料から雑貨にいたるまで、ありとあらゆる生活用品が国武商店の赤レンガ倉庫内に積み上げられた。

 与平が喜次郎に話しかけた。
「ところで、きいしゃん。何やらばさらか買い込んだらしいな」
「きいしゃん」は、幼馴染同士で呼び合う時の喜次郎の愛称である。
「仕入れたこつは確かばってん、まだ倉庫の中たい」
「どげんすると?仕入れたもんは、売らんことには銭にならんめえもん」
「俺は、仕入れたもんば軍に売るつもりはなか」
「そんなら、誰に売ると?」
「早かれ遅かれ戦争は終るけん、そん時が商いの勝負どこち思うとる。それより、与平しゃん」
 喜次郎が、与平の額に自分の額をくっつけた。


現在の国武倉庫

「何な、けしょく(気色)の悪か」
「お前も、売りもんの呉服ばいっぱい仕入れとかんね」
「・・・・・・」
「戦争が終ったら、必ず売れるけん」
「ばってん、戦争はそげん早よう終らんめえもん」
 喜次郎が最も頭を使うのは、やっぱり終戦の時期である。
「俺は、案外早よう終(しま)ゆるち思うがない」

 2月22日、薩摩軍の熊本城攻撃を皮切りに、戦闘は北部の田原坂(たばるざか)(現植木町)や高瀬(現玉名市)の菊池川沿いにまで広がった。特に、3月4日から20日までの17昼夜にわたる激闘は、「田原坂の戦い」として140年後の今日まで語り継がれている。
 江戸時代さながらの、袴と武具をまとって馬上から剣を振るう薩摩兵を、洋服姿で近代的戦法の官軍が容赦なく攻め立てた。この時薩摩兵に同情した人は、後に「右手(めて)に血刀 左手(ゆんて)に手綱 馬上ゆたかに 美少年」と歌った。

 
左:薩摩兵士 右:官軍兵士

 それまで断然優位に闘っていた薩摩軍だったが、形勢は間もなく逆転する。田原坂から吉次峠までを制圧した官軍は、熊本に引き返して、熊本城を包囲している薩摩軍を追い払った。
 戦況不利とみる西郷隆盛らは、九州山地の道なき道を人吉へと敗走する。果ては、出発点である鹿児島の城山に逃げ込んだ。西郷自らが命を絶った時点で、半年にわたる西南戦争は終結した。この戦で命を落とした官軍・薩摩軍は、合わせて3万人に上った。

 久次が、店に届いた電報を持ってきた。
「市原屋さんからばいの」
 内容は、「ネガイズミノシナスグオクレ」であった。
 熊本への運搬は久次に任せた。国武の倉庫から運び出された品物は、馬車5台に積みこんで熊本に向かった。率いる久次の顔が輝いている。坊津街道(ぼうのつかいどう)を南へ、山坂を越えて20里(80㌔)の長旅であった。着いてみれば、想像していた熊本市街の面影はなく、町中焼跡の強烈な異臭に覆われていた。そんな中でも、あちこちに仮設の小屋が建てられていて、いくつもの所帯が共同で生活をしている。一度は見上げて見たかった熊本城の天守閣も消えていた。訪ねあてた市原屋は、既に店舗と家屋が焼け落ちていて見る影もない。それでも、道端に粗末な板囲いをして、むしろとござを重ねただけの売り台に、反物や雑貨が無造作に並べられていた。
「ほらほらこの反物、久留米から届いたばかりの久留米絣だよ。手にとってよく見ておくれ」
 ひと際大声を張り上げているのは、主人の原田寿平である。
「遠かとこばご苦労じゃったない。こげな時じゃから構いもでけんが、まずは体を休めなっせ。ほら、馬車曳(ばしゃひ)きどんも茶ばすすらんか」
 久次だけではなく、人夫にまで気を使う原田という人物の懐の深さを実感した。
「代金は、出来高払いちいうことで、お前んとこの大将と話しがついとるけん」
 ひと段落して、原田が久次に話しかけた。
「家を焼け出されたもんが、どうしてこげな高価な品物ば買うのか、不思議に思わんか」
 原田が、繁盛振りの裏側を披歴した。
「それはだな。家ば焼かれた者でも、銭だけは肌身離さんじゃったちいうことたい。そんな金持ちの気持ちを見越して、わしらあきんども、売りもんば山の中に隠しとった」
 言われて売り台を見ると、どれも高級品ばかりである。買い物客は、大金を払って値の張るものから順に買い求めていく。隣の雑貨屋も向いの骨董品屋も同じ。西南戦争で丸裸にされたはずの市民の購買意欲には驚かされる。
 国武喜次郎は、熊本の市原屋と組んだ商いが大当たりし、大きな利益を得た。この時手にした大金が、後に「機業王(きぎょうおう)」と呼ばれる実業家への礎(いしずえ)となる。
 この時、喜次郎は31歳であった。

あきんどの禁じ手

 西南戦争が終結し、命拾いして国元に帰る兵士たちが、次々に久留米に立ち寄った。戦場で従弟(いとこ)の久次が声を嗄(か)らして呼びかけていたこともあって、彼らは真っ先に国武商店を訪ねた。かすりを買い終わると、次は佐田与平の呉服店へ。
 店員に「これはよか品物ですけん、お国で待っとらす奥方が喜ばれること間違いなかですよ」「見てくれんですか、このかすりの柄の良さば」と言われれば、彼らは、何の疑いも持たずに我先にと買い求めた。
 国武商店だけではない。通町に軒を連ねるいずれのかすり屋もたちまち品切れ状態となった。
「倉庫には、もう売りもんは残っとらんか。この際じゃけん、みんな店に出せ」
 喜次郎が大声で店員に指示した。その倉庫も、やがて空になってしまう。織屋を急かせるにも限度がある。それでも、戦争帰りの兵たちの足が途絶える気配は見えなかった。久次が喜次郎に耳打ちをした。


現在の通町三丁目付近

「うちの倉には、1反のかすりも残っとらんのに、三益屋には、今でんどんどんかすりが運び込まれとります」
「どこから?」
「それはわかりまっせん」
 喜次郎が久留米絣の売り切れ宣言を出そうとしている矢先であった。一軒の店だけに売り物が溢(あふ)れていることが腑(ふ)に落ちない。そこに、本村商店の庄平が浮かぬ顔で現れた。
「三益屋は、俺たちの知らんとこで、何やら怪しげなこつばしとるらしか。おかしかと思うて、店のもんに調べさせたですよ。そうしたら・・・」
 庄平の口もとが、怪しく震えている。
「庄平、どうした?」
 喜次郎が、次の言葉を待った。
「原料糸がですよ、ちょっと引っ張っただけですぐ切れてしまうごとある、粗末なもんば使うとった。それに・・・」
「それに、何?」
「染めもん(染料)は、水に浸けただけで剥げてしまうもんじゃった」
「それはどげなもんか」
「おそらくベンガラあたりじゃなかろうかち、調べに行ったもんが言うとる」
ベンガラとは紅殻(べにがら)のことで、黄土を焼いて作った赤色顔料のこと。当時は主に研磨(けんま)や着色剤用に使われていた。自然に生える藍草とは本質的に異なる染料である。
 喜次郎は、とうとう頭を抱え込んでしまった。
「どげんするね。今からでん三益屋に乗り込もうか」
 庄平の形相はまさしく戦闘的である。
「待て、庄平。ここは見て見ん振りばするのも大事なことかもしれん。今三益屋に乗り込んだら、商売妨害ち言うて騒ぎたてられるに決まっとる」
「ばってん、ことが大きゅうなってしもうてからでは遅かばい」
 庄平の喜次郎に向ける目も厳しかった。

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