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新王国時代 第19王朝

メルエンプタハ

Merneptah/Merenptah

在位年代;前1213−1203年
誕生名;メルエンプタハ(プタハ神に愛されしもの)
通称;ヘテプヘルマアト(喜ばしきは真実) Hetep-hr-ma'at
即位名;バーエンラー・メリネチェル Baenre' Mery-netjeru
(ラーの魂、神々に愛でられし者)
治世;10年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷(KV8) 
出身地;テーベ

家族構成;
父/ラメセス2世 母/イシスネフェルト 妻/イシスネフェルト 姉妹/タカト
息子/セティ・メルエンプタハ、メルエンプタハ、カエムワセト

なんと第13王子。父ラメセス2世が長生きしすぎたせいで兄たちの多くがすでに世を去っており、玉つきで皇太子に任命された人。メルエンプタハ自身も即位したとき既に老齢だったため、それほど多くの事績を残したわけではない。テーベ近郊に神殿を建設。また、「海の民」との戦いと「イスラエル石碑」で知られる。


●「海の民」との関係

治世5年目にはリビア人および地中海沿岸の難民が合流したと思われる「海の民」の侵入を受け、これを撃退している。
ただし「海の民」は後世の学者が命名した名前で、実際に記録に登場するのは複数の民族名である。

今更だけど「海の民」についてちょっとだけまとめておく。これは民族名ではないですよ。


また、ヒッタイトで発生した飢饉に対する救援の要請に応じている。(これはカデシュの戦い後、ラメセス2世とヒッタイト王ムワタリの間で交わされた協定に基づくものと考えられている.)


●イスラエル碑文

この王の時代に作られた、有名なイスラエル石碑にある”イスラエルは荒廃し、その種はもはや無い。パレスチナはエジプトのために寡婦になった。”という碑文から、聖書学者は「出エジプト」時代の王はメルエンプタハだと考えていたようだが、現在ではその説は信憑性を失っている。なぜなら、カナアンへ出兵してイスラエルと呼ばれる民を敗退させたということは、彼らは既にそこにいたことになるからである。
そもそも「出エジプト」が旧約聖書にあるような大規模なレベルで行われたかどうか、現在では疑問符がついている。

エジプト・イスラエル考古学資料クロス「旧約聖書の世界」

リビア・ヌビアで反乱が起きたが、それもすぐに鎮圧されている。
王位継承の混乱と内乱による斜陽の季節が始まるのは、メルエンプタハの死後である。


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