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新王国時代 第19王朝
SetiT/SetyT
在位年代;前1290−1279年王朝の首都;テーベ 埋葬地;王家の谷 KV17 出身地;テーベ
家族構成;
父/ラメセス1世 母/サトラー 妻/トゥヤ(トゥイ) 息子/ラメセス2世 ほか
娘/ティア、ヘヌトミィラー ほか
時代によっては悪神とされるセトの名を持つ王。この時代においては、セト神は力の象徴として王権の守護者の一柱だった。
ただし、場合によっては"セト"を意味する文字が別の文字に置き換えられるなど、気を使った形跡はある。
・セティ1世の名前の「セト」神部分は、墓だとオシリスになってるという豆知識。
●主要建造物
オシリスの遺体が埋められたとされる聖地アビュドスの葬祭殿はこの王の治世下で着工。「オシレイオン」と呼ばれる地下構造も併設されている。この王は、古き時代の信仰を復活させる壮大な計画を持っていたようだ。そのため建造物の中には神話ネタも満載になっている。
アビュドスの葬祭殿の壁には、歴代王たちの名を記した王名表が作られているが、18王朝のアクエンアテンからアイに至るまでの4人の王たちの名前は「異端の王」として完全に闇へと葬り去られた。だが皮肉にも、そのことが数千年のちに彼らの名を高め、ミステリアスでドラマチックな王たちとして語り継がれるきっかけとなった。
また、前世でセティ1世の愛人だったと称するイギリス人女性が、葬祭殿の側に住んでいたことがある。
・ドロシー・イーディ/古代エジプトに生きたと信じた女性
●即位年について
マネトーの王名表では55年が割り当てられているが、長すぎると考えられており、現在では補整して12年が割り振られている。
●海外遠征
アクエンアテン時代以後に失った領土を取り戻すため、北方、南方それぞれに積極的に遠征が行われている。
治世1年目には早くもパレスティナへの軍事遠征の記録。フェニキアのティルスまでを制定したとされる。
治世8年目にはヌビアへの遠征軍を送っている。
●オーパーツ伝説
多くの建築物に手を出したが、治世が10年から15年の間で終わっているため、多くが未完成のまま残され息子の代に完成されている。そのうちの一つがアビュドスのセティ1世葬祭殿。父から子へ代替わりする際に、神殿に刻まれた王名部分が書き直されて二重になっているのだが、その部分がヘリコプターやロケットに見えるためオーパーツだ、とする説が、オカルトブームの時代には盛んに吹聴されていたが、今となっては笑い話である。
セティ一世の葬祭殿(アビドス)にあるヘリコプターの絵
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