Walther von der Vogelweide
ドイツの宮廷詩人、ミンネジンガー(恋愛詩人)の大家として、必ず名前が出てくるのが、この人物。ヴォルフラムやハルトマンと同じく13世紀初頭に生きた人である。
十字軍遠征も行われていたこの時代、かつては分権だった政治と宗教は一体化され、教皇と皇帝の、奇妙な権力争いが激化していた。少し前の時代には、有名な「カノッサ城外の屈辱」(1077年)や、「サレルノ窮死」といった歴史的事件も、起こっていた。
だが、信仰篤きはずの彼が、皇帝の側を庇護した。何故なのか。そこに、この詩人の作品を読み解く鍵があるようにも思う。
彼の暮らしぶりについての詳しい記録は残されていないが、同時代に生きたヴォルフラムは、自作「ヴィレハレム」286節で、彼の大食漢ぶりを揶揄している。その裏づけとして、ワルター自身が自作の中で、料理人たちに「肉はぶ厚く切れ」と、勧めているではないか、というのだが、タイトルなどはわからないため、私はどの作品かは確認していない。
しかし、ワルターがそれほど裕福な階級ではなかったことは事実のようで、従がって、常に本人の望む食事をすることは、不可能であったと考えられる。
残されている記録には、1203年の11月12日、ワルターがパッサウの司教から、寒風から身を守るための上着を買う金を貰った、とある。上着を買うほどの金も無かったのだろうか…。中世の家計簿で生活ぶりを探られる詩人というのも何だか哀れである。
この記録にある、パッサウという地名は、「ニーベルンゲンの歌」ファンとしては目を引くところでもある。
1203年といえば、「ニーベルンゲンの歌」が書かれたと推測されている年であり、多くの研究者の説が正しければ、パッサウの町は、作者が滞在していたか、そうでなくとも縁の深かった町だ。もしかすると、ワルターは、名も知れぬもう一人の天才詩人と、どこかですれ違っていたかもしれない。
ワルターは晩年、皇帝フリードリッヒ2世からヴュルツブルグ近傍に小さな領地をもらい、ようやく定住の地を得たという。
文学史上は偉大にしてその名を記憶に残らしめたる人物でありながら、現実には、ひどく貧しく、己の封土さえ持たなかった一人のちっぽけな男。その男こそ、現在まで残る偉大なるミンネザングを残した人物の正体なのである。
ワルターの師は、ラインマル・フォン・ハーゲナル(Reinmar von Hagenau)だが、ラインマルなどは伝統的な恋愛詩の形でだけ終わっているようから、新たな様式を作り出したところが、ワルターの巨匠と呼ばれる所以だろうか。
実際に、彼の作品をひとつ、挙げてみる。
Ich saz ûf eime steine
und dahte bein mit beine,
dar ûf sazt ich den ellenbogen;
ich hete in mîne hant gesmogen
daz kinne und ein mîn wange.
岩上に腰うちかけて、
膝と膝とを重ね、
そが上に肘つきて、
顎と顎とを
掌に支えぬ。
dô dâhte ich mir vil ange,
wio man zer werlte solte leben.
deheinen rât kond'ich gegeben,
wie man driu dine erwurbe,
der keines niht verdurbe.
かくていかにして此世に生くべきかを
思ひあぐみては憂ひに沈みつ。
いかにして朽ち腐ることなき
三つのものを手に入れるべきぞ、
思ひやめども遂にすべなし。
diu zwei sint êre und varnde guot,
daz dicke ein ander schaden tuot;
daz zweier übergulde.
die wolte ich gerne in einen schrîn.
その二つは地上の名誉と地上の財(たから)、
そは互いに傷つくることのなきにあらず、
残るはこの二つにもまさる宝にて、
神の恩寵これなり。
jâ leider des enmac niht sîn,
daz guot und werltlich êre
und gotes hulde mêre
zusamene in ein herze konomen:
untriuwe ist in der sâze,
gewalt vert ûf der strâze,
frid' unde reht sint sêre wunt:
diu driu enhabent geleites niht, diu zwei enwerden ê gesunt.
わが願いはこの三つを一つところに収め得むこと。
さはれ財宝と世の誉れと
また神の恩寵の
一つ心臓に入り来たらむことは
はや望みがたき世となりぬ。
かかる道はすべて塞がれたれば、
不信は道の辺りに窺い、
暴力は道の上に闊歩し、
平和と正義は重き傷に悩めり。
この二つのもの癒えざらむ限り、かの三つのもの道行くを得じ。
(相良守峯 訳 旧字変更)
当時の騎士たちが求めていたのは、まさに、この詩にある三つのものだった。ワルターも、例外なくこれを求めた。
しかるに、騎士道とは、いかにしてこれらを得るかというものだったと思う。世俗的な「財産」「名誉」と、対を成す「神の恩寵」、このバランスをいかに取るかについては、ヴォルフラムとハルトマンでも考え方に違いがある。人によっての「騎士道についての考え方」の違いが作品に出ているので、読み比べてみると面白い。