Crestiens de Troies
クレティアン・ド・トロワは、12世紀フランスの詩人で、生没年は、1135−1190頃、とされている。ハルトマンやヴォルフラムより少し前の時代の人である。
クレティアンという名は、「あからさまなペンネーム」なのだという。ド・トロワの「トロワ」が実在する地名だったとしても、それすら偽りである、という。Troiesという綴りから、ギリシアの伝説で有名な「トロイ」の町とかけて、「トロイ(異教世界)の中のキリスト教徒」を意味する名前とする説もあるが、定かではない。「ドイツ中世叙事詩研究」(相良守峰)によれば、「彼はシャンパーニュの人で、恐らくトルヴェール(trouvére)としてルイ七世の姫、マリーの愛顧を受けた」と、されている。
マリーこと、マリ・ド・シャンパーニュ(伯夫人)は、アリエノールとルイ七世の間に生まれた長女で、トロワの宮廷で女性文化司宰の役を果たした人だという。
他にも、作中でフランデル伯フィリップに仕え、試作の題材を下賜されたことを自ら語っている。
クレティアンの書いたアルトゥースにまつわる作品で、現在残っているものは、次の五つの作品だ。
「エレックとエニード」(1172年ごろ)
「クリジェス」(1175年ごろ)→マリのために書いた
「イヴァン」(1177年ごろ)
「ランスロ、または荷馬車の騎士」(1177年ごろ)→マリのために書いた
「ペレスヴァル、または聖杯の騎士」(未完)
島の伝説を最初にヨーロッパに持ち込み、フランス語に訳したのは宮廷詩人のワースという人物だった。
アーサー王を過去に実在した王として英雄化し、歴史に組み込もうとしたジェフリー・オヴ・モンマスの作品をワースがフランス語とし、さらにそれを「お題」として主君フィリップ公からいただいたのがクレティアンだ。
クレティアンは、アーサー王を文学上の伝説の人とした。そして、アーサー王を、ケルト神話から「宮廷」という別の世界へ組み込むことによって、その周りに騎士たちを配置したのである。
現在、よく知られているアーサー王の伝説は、ここから始まる。
もともとケルト的な物語だったアーサー王とその家臣たちの物語を、キリスト教的に、当世の宮廷風にアレンジしなおしたのが、クレティアンだった、と、いうわけである。
彼の試みはうまくいき、彼の作品は人々に大ウケする。かくて、ブリテン島の英雄王の物語は、国々に広まっていくことになる。
もしも彼がいなかったら、のちの多くの叙事詩や関連作品は、生まれなかったのかもしれない…?