Ein riter sô gelêret was daz er an den buochen las swaz er
dar an geschriben vant.
der was Hartman genant, dienstman was er Ouwe.
学識いと深く、物の本に書かれたることはすべてを読破せる騎士、
その名はハルトマンと呼び、身分はアウエの従士なりき。
「大ハイデルベルグ写本」、 いわゆる「マネッセ写本」より。 1310−30年ごろのもの。 |
ハルトマンは、自作の中であまり自分の私生活のことを書き記さなかったため、謎が多い。「アウエ」の街の位置にも幾つか説があり、今のところハルトマンはシュワーベンの人ではなかったかと考えられているが、どうもはっきりしない。 少なくとも、彼と同時代の詩人たちがこの人を多く敬い、褒め称えていたことは事実のようだ。 その作品に、騎士と聖職者の両方の考えが見出されるとおり、本人自身も、両方を体験した人であったらしい。15才の時に僧院を去り、騎士としての修行を積んだという。 また、彼自身の名乗る「従士」とは、騎士の中でも最下級に当たるはずだが、学識ありとの自負にそぐわないという見方もある。 …それ以外は、よく分かっていない。 |