Wir müezen iemer sament wesen, wir mugen uns niht gescheiden.
我ら永久に共にあらむ、相別るることなからむ
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハと同じ時代に、同じジャンルで活躍した人物。
ヴォルフラムは、このハルトマンがあまり好きではなかったようだ。自作品「パルチヴァール」の中で、何度も、ハルトマンの作品を引用しては、けなしている。
実生活でハルトマンのほうがちょっと裕福だったからかもしれないし、ハルトマン作品の登場人物たちが、あまりにお行儀よく振舞うのが気に食わなかったのかもしれない。
分かり易く言うと、清少納言と紫式部の対立。(笑)
面白いことに、現代の古ドイツ文学研究者の間でも、ヴォルフラムが好きな人とハルトマンが好きな人は分かれているようだ。
考え方も生き方も、かなり違っている、この両者を同時に好むのは、ちょっと難しいか?
実はこの人、騎士であると同時に、強い神へ信仰・憧れを持つ、かなり僧侶的で敬虔なキリスト教徒なのだ。
「哀れなハインリヒ」の冒頭で自画自賛のセリフを書き残していることからして、矜持の強い人なんじゃないか? と思ってしまうが、そうでもないらしい。それなりに控えめ。ただし、神と信仰について語るとやたらアツいという作者なのだ。
反対に、戦いの描写は、とことん苦手だ。騎士文学なのだから騎士と騎士との戦いシーンは必須なのだが、必ず「この戦いは素晴らしいものだったが、私には詳しく書くことが出来ない。」と、いった逃げ方をする。布陣も、戦いの展開も一切ナシ。分かりやすいっちゃわかりやすいが、思うに、この人、騎士だったけど実戦経験が無かった人、なのではないだかろうか…。
そんなハルトマンの中では、常に、俗世を超越した僧侶的な意識(理性的、神に対する償い)と、世俗的で騎士らしい意識(本能的、地位や名誉)とが対立していたことが伺える。
作中でとつぜん、自信満々なセリフをはいたかと思うと、突然、自分を卑下して懺悔しはじめる。
精神的に不安定な気もするが、その危うい均衡が彼の文学に輝きを与えているのかもしれない。
ヴォルフラムが、「ウチは貧しいんじゃい。人間、カスミ食って生きてるもんじゃない。綺麗事だけでは生きていけん!」と、実に逞しく、小気味良く神と人間のあり方を語るのに対し、ハルトマンは自分の中の対立を、納得のいく形では結びつけることができなかったようにも思える。作品のところどころに、割り切れないような思いが見え隠れする。
ハルトマンが生きた時代、「アーサー(アルトゥース)王伝説」は題材として人気のモチーフで、騎士文学を書く人々は、こぞってそれを取り扱った。ドイツにおける文学は、このとき一つの頂点に達する。
頂点というからには、あとは落ちていくだけなのだが、落ちるとき、「中世」「騎士」の文化も、同時に衰退していった。
歴史における「大空位時代」、皇帝なき数十年を挟んで、それ以前とそれ以後では、世の中はがらりと変わってしまったのだと、多くの研究者が語り、当時の人々も書き残す。ハルトマンが騎士道の没落を見ていたなら、それはそれは熱い語り口で世を儚み、信仰について語ってくれたであろうものだが。
ドイツ中世の作品は、騎士階級の人々によって書かれていた。しかるに、騎士文化とともに成長し、騎士文化とともに没落していったのも、当然のことなのかもしれない。
ハルトマンは、「理性によって神への道を指示するところに解決を見出す聡明にしてしかも素朴なる理想主義」の持ち主であった、と、相良守峯氏が著書の中で書いておられるが、確かにそのようで、ハルトマンの作品には、神への信仰に迷う主人公は登場しない。すでに神を信じ切ってしまっている、それほど幸福でもないが不幸でも無いありふれた階級の騎士にとって、「世俗の要求と神への信仰とのより高き調和」などは考える必要は無かったのかもしれない。
迷いなく信仰に生きる主人公たちの文学は、「水晶のごとく透明」で、あると同時に、世俗に生きる我々にとっては、少々物足りないかもしれない。キリスト教を信仰せず、絶対神を知らない多くの日本人にとっては、登場人物たちのさまざまな行為が意味する宗教的な意味あいは少し違和感を覚えるかもしれない。
彼の作品は、完璧にキリスト教的な「騎士物語」で、ある。
多分に異教的といわれた同時代の作品「ニーベルンゲンの歌」や、騎士物語でありながら世俗的な部分を含む「パルチヴァール」などと比べてみるのも、面白い。
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なお、ハルトマンが残したドイツの中世文学を製作順に並べると、次のようになっている。
・歌謡、小簡
・エーレク(アーサー王関連)
・グレゴリウス
・哀れなハインリヒ
・イーヴェイン(アーサ王関連)
歌謡、小簡
作者自身の、十字軍遠征への参加の心境を歌ったもの。具体的な資料は持っていない。
グレゴリウス 原題;Grêgorjus
「エーレク」の執筆後、五年ほどして書かれたとされるもの。1195年ごろに書かれた宗教的叙事詩で、アルトゥース伝説とは関係ない。
副題は、「der guote sündaere−善き贖罪者」。話の内容に関わるだけでなく、彼自身、先に書いたエーレクの如き作品を世に出してしまって、神様ゴメンナサイ、と、いうのである。実に信心深い。(そんなツッコミ…)
そのわりに、シグルド伝説に少し似ている気がする。
エクヴィーターニャーの伯爵家に、兄と妹がいた。この兄妹は、早くに両親を亡くしたために仲むつまじかったが、あるとき、ふとしたことから近親相姦の罪を犯てしまう。この罪の恐ろしさに、二人は父の友人であった人に罪の全てを告白し、兄は巡礼の旅に出、妹は留まって男児を産み落とす。この子は伯爵家の名誉を守るため、生まれてすぐに海に流されることになった。このとき、形見として象牙の板が一枚、入れられていた。
子供ははるか岸辺に流れ着き、猟師に拾われてグレゴリウスという洗礼名をいただく。6歳のときに僧院学校に引き取られて教育を受けるのだが、あるとき、自分が拾われた子であること、そのとき持っていた品から、自分が騎士の家系に生まれたらしいことなどを知ってしまう。
自分の胸に沸く功名心を抑えきれなくなったグレゴリウスは、騎士の服装を整えて、僧院を飛び出してしまう。やがてたどり着いたのは両親の国だったが、彼はそのことを知らない。父は、遠い異国で、巡礼の旅の途中に亡くなっている。そして母は、強制的な求婚者に迫られて窮地に立たされていた。
通りかかったグレゴリウスは、実の母とは知らず彼女の危機を救い、あろうことか、そのまま結婚してしまうのだった。
のちに、二人が実の母子であったことが判明し、グレゴリウスは海に繋がれ、辛い懺悔の時を17年過ごす。
その17年め、ローマでは教皇が崩御し、次の教皇には、海で苦行を積む贖罪者を、という神託が下された。かくしてグレゴリウスのもとには使者が送られる。最初は拒み続けていた彼も、神のご意思に添おうと、使者の申し出を承諾。のちに、母親も、教皇のもとに至り、罪の赦しを乞うて、二人とも、清い生涯を送ることが出来たのだった。
罪深きものも本気で贖罪すれば救われる、と、いう、極めて宗教的意味合いの深い作品。元になったのは、フランスの「グレゴヴァール伝」と、いうものとされている。
この物語の最後の、母と子の再会シーンがけっこう好きなので紹介してみたいと思う。
女はいふ「恵み深き主よ、彼はなほこの世にありや。」
「然り世に。」「さはれ如何に。」
「すこやかにしてこの地にあり。」
「主よ彼に逢うを得べきか。」
「然り、彼は程近きにあれば。」
「主よ、彼に逢はせたまへ。」
「女人よ、そはいとも易きことなり。
御身、そを望むとあらば片時も待つの要なし。
なつかしの母よ。われを見たまへ、
われこそ御身が子よ、御身が夫よ。」
母と子が再会する、感動のクライマックスですね。訳本が古かったので、言い回しの古臭さも良。
哀れなハインリヒ 原題;DER ARME HEINRICH
主人公ハインリヒ・フォン・アウエは、何一つ不自由なく、名誉も富も持つ騎士としてシュヴァーベンの国に住んでいた。しかし、そのために神を忘れ、天罰である病「miselsuht」(ライ病)に、罹ってしまう。
この病気にかかることは、とても不名誉なことで、汚れた体の者として人から敬遠された。
天下の寵児だったハインリヒはあっという間に村八分の身となってしまう。一縷の望みを託して訪ねたサレルノの名医によると、病は、自ら命を捧げることを決意した純潔なる処女の心臓の血をもってしか癒せない、と、いう。
絶望したハインリヒはすべて財産を処分し、小さな農場を一つ保有して、そこで、親切な自由民階級の夫婦の世話になりながら、夫婦の8歳になる幼い娘と遊び戯れる日をすごした。
3年が経った。
ハインリヒは、農民夫婦の「病しは癒せないのか」との問いかけに、自分の病を癒すには純潔なる処女の犠牲が必要だと打ち明ける。それを聞いていた夫婦の娘は、思い悩んだ末に、ならば自分の命を差し出そうと思い始める。両親も、ハインリヒも、その決意を覆すことは出来ない。
かくしてこの娘とともに医者を訪ねたハインリヒだったが、いざ、心臓を抉り出されんと手術台に上る少女を見て、その美しさといたいけさに、いてもたってもいられなくなる。深い罪の念に襲われた彼は、少女を無理やり攫い、農場へと帰ってきた。
二人の真心に打たれた神は奇跡を行い、程なくしてハインリヒの病は癒える。
名誉を取り戻した彼は、少女を妻として迎えるのだった。
※らい病について…
らい病とは、体が腐り、指や鼻など人体の末端部分が落ちてゆく病気である。当時は、この病にかかった者は隔離され、たとえ貴族であろうともすべての財産を放棄して、富める者も貧しき者も、みな一つの場所に押し込められた。家族や、その他の俗世間とも完全に隔離され、配給される食事だけで暮らしていたのである。
(その点、ハインリヒのケースは、かなりマシな部類に入る)
この病をわずらった者についての中世のリアルな描写は、小説「修道士カドフェル・シリーズ 死への婚礼」現代教養文庫に詳しい。
また、ベルールの「トリスタン物語」など、他の騎士叙事詩にも、らい病の人々が恐れられ、嫌われていたさまの描写が出てくる。