「ニーベルンゲンの歌」もそうだが、ミンネザングとは、韻を踏んで歌うようにして語られる詩である。(だから恋愛”歌”とも呼ばれる。)
もともと「ニーベルンゲンの災い」と呼ばれていたらしいものが、新しい写本では「ニーベルンゲンの歌」に変わっていたのも、この辺に理由がありそうだが、それはさておき、ミンネジンガーであるワルター・フォン・デア・フォーゲルワイデは、同時に、「政治歌謡」の作り手でもあった。
皇帝と教皇の対立を巡って、彼はこんな歌を残している。
私は聞いた、行く河のざわめきを、
私は見た、水底に泳ぐ魚を、
地上にあるすべてのもの、
野、森、葦、草をながめやった。
這いゆくもの、空に飛べるもの、
脚を地につけ歩むもの、
それらを見た上で皆さんに告げることがある。
この中にたがいに争わず生きている者はない。
野獣も爬行する者も
はげしく闘いあっている。
鳥の仲間も同じこと。
だが彼らはひとつの知恵を持っている。
仲間を力強く統率する者を選び出さねば
生きてはゆけぬと考えるらしい。
彼らは自分たちの王と掟を選び
主人としもべの区別を設けている。
ところでドイツ人よ、哀れなのはおまえだ。
おまえの国の秩序はどうなっている。
蠅でさえ王様をもっているのに
おまえの栄光がこれほど地に落ちるとは。
同心せよ、同心せよ。
並の王冠がいばりすぎている。
皇帝に従うべき諸侯がお前を苦しめている。
最高の王冠をフィリップ王に戴かしめ、出すぎものらを退かせよ。
(高津晴久 訳/引用元−中世への旅 騎士と白 白水社)
本来は韻を踏んでいるのだが、日本語に訳すると韻の力強さは失われてしまうようだ。たとえるなら、日本の短歌を英語に直すと意味がわからなくなるようなもの。
原語のリズミカルな風刺詩は、おそらく、多くの人々の口に上り、口から口へと、歌いながら伝えられていったことだろう。いうなれば、人間自身を媒体とした中世の「コマーシャル」である。
ワルターは皇帝を支持する派であった。この詩からも、「皇帝の権威が絶対のものである」との主張が、伝わってくる。
しかし、それだけではない。
ミンネジンガーであるからには、彼の作品には、素朴な恋愛詩もあるのだ。こんなふうに。
菩提樹のこかげ
あの草原は
あたしたち二人の寝床があったところ、
花も草も
すっかり折れているのが
見えるでしょう。
谷あいの森のはずれ
タンダラアイ
すてきな歌をナイチンゲールがうたいました。 …(以下略)
激しい口調で政治的批判を語りながら、同時に、若い乙女の気持ちになって無邪気な恋を歌う。
彼の口調の激しさはおそらく、貧しさゆえに社会に不満を持っていたからでは無いのだろう。まっすぐに、飾ることなく批判し、かと思えば褒め称え、ロマンも歌ってみせる。そんな彼は、はるか昔の中世の人間でありながら決して抽象的な「歴史」になることのない、今なお身近な人物として感じられるのではないだろうか。