古今東西・北欧神話
ヘルと死者の爪の船
ロキの娘、冥界の女王ヘルの住む国への入り口は、死せる乙女の守る水晶の橋。そして、死者たちはいかほどの音もたてず、この、細い髪の毛でつるされた橋を渡ってやってくる。
彼女は、世界の終焉、ラグナロクの時に備えて、ある内職をしていた。
死者の爪を切り、それで船を作るのである。
なぜ爪なのか? 北欧には木が少ない、というのもあるだろうが、おそらく呪術的な意味だろう。
彼女が船を完成させて冥界から出てくるのを少しでも遅らせようと、古代北欧には、死者の爪を必ず切るという習慣があったらしい。(死人は、死んだときの姿で冥界へ行くから)
しかし、それでも、船は完成する運命にある。いつか冥界より船は浮かび上がり、そして世界は滅ぶだろう。
…と、いう短いお話。北欧の終末思想の紹介と思われる。
ヘルは、世界の終焉の時がくること、自分が、オーディンによって投げ落とされた闇と氷の世界から出られる日がくることを、どうやら知っていたようである。巨人族の血を引くから、予言が出来たのかもしれない。
ところで、ここに二つの疑問点がある。
ひとつは、この物語が、読み方によっては「ヘルが船を完成させたときがラグナロクのはじまり」とも取れること。死者の群れが地上に現れることは、世界の終焉の始まりとなるに相応しい。
さらに、ラグナロクは、「ヘルの軍」による神々との戦いとも読める。
世界を炎に包んで滅ぼすのは炎の世界ムスッペルに住む巨人スルトだが、オーディンやトールを殺すのは、ヘルの兄弟であるフェンリスヴォルフやミドガルズオルムだし、チュールを殺すのはヘルのペットのガルム犬、ヘイムダルを殺すのは父のロキである。
そのあとスルトが出てきて、フレイを殺し世界を焼くのだが、これじゃラスボスっていうか横から勝利かっさらっただけのような気がしなくもない。
実はスルトって、あんましラグナロクに関係なかったんじゃ…とか、思ってしまう。
もうひとつ。
バルドルやヘズの死からも分かるように、神々も死んだらヘルの世界に行く。
人間にとっての天国・ヴァルハラに住んでるくせに、死んだら冥界へ行くのだ。この理屈から言うと、ラグナロクで死んだ神々も、冥界へ行くような気がする。
たとえばヘイムダルと相打ちになったロキは、娘のところへ行かなかっただろうか?
ロキが娘の作った死者の爪の船に乗って神々の世界へ攻め込むのは、ヘイムダルと相打ちになって命を落とす前か、後か?(後だったとしたら、いっかい冥界に落ちて、娘と一緒に戻ってきたことに。)
最終的に、死んでいたバルドルとヘズが冥界から戻ってくるところからして、ヘルが死んで死者を冥界につなぎとめられなくなったのだろうが、少なくとも、彼女がロキは死んでも娘にお願いしてすぐに戻ってこれた、と、思うのである。
だから、いつも命がけのイタズラをしても平気だったんじゃないだろうか…?
冥界=ヘルは、人間にとって、藁の死を遂げたもの、悪いことをしたものが行く「地獄」だと解釈できる。
完全無欠なはずのバルドルが、この地獄に下っているあたり、「実は何か悪いことしでかしたんじゃないですか?」と、思わなくも無い。
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