アーサー王伝説-Chronicle of Arthur

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アーサー王の剣とは?

<2017/5/29 修正>
最新研究の蓄積から「島のケルト」の存在が否定され、ブリテン島やアイルランドはそもそもケルトじゃなかったということが確定しつつあるため、かつてここで「ケルト神話」と表現していたものを「ブリタニアとヒベルニアの古伝承」へと置き換えました。
 ・ケルト神話→アイルランドやブリテン島に伝わる伝承を"ケルト"神話と呼ぶのは不適切となりましたので削除します
 ・ケルト語→そもそもケルト人が喋っていた言葉ではないかもしれない、と議論されていますが、とりあえず名前としてはまだ存在するので残します
[>修正に関するブログ記事  



アーサー王の剣といえば、エクスカリバーだと多くの人が答えるだろう。マンガでも、映画でも、アーサー王がそれ以外の名前の剣を持つことは、ほとんどない。映画「キング・アーサー」の中でも、アーサーが持っている剣は「エクスカリバー」と、呼ばれている。
しかし、アーサー王の剣には、実は様々な名前がつけられている。アーサー王が登場した初期のころ、剣の名はエクスカリバーではなく、じつは別の名前で呼ばれていたのだ。

▼前半では、「第一部:剣の名の変遷」として、その経緯と剣の名の変遷について追いかける。
▼後半では、「第ニ部:剣にまつわる伝説の変遷」として、エクスカリバーに纏わる神話の初出までを追う。特に「石から抜かれる」と「持ち主の死とともに水に投じられる」シーンについては、「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」で言及されたアラン人の伝承からの影響についても述べる。


第一部:剣の名の変遷


■「ex」+「カリバーン」=エクスカリバー

湖から手が。心霊現象ーアーサー王の持つ剣の名を「世に広めた」始まりの書物は、ジェフリー・オヴ・モンマス(モンマスは苗字ではなく地名。モンマスシアというところに住んでいた)の「ブリタニア列王史」。書かれたのは、12世紀の前半とされる。
書かれている名は、現代英語では「Caliburn(カリバーン)」になるが、ジェフリーはラテン語で書物を書いているので、原典に忠実に書くならラテン語名の「Caliburnus(カリブルヌス)」。-usという語尾は、ラテン語の格変化なので、カリバーンと同じものだ。(参考:フランス中世文学集:奇跡と愛と・4〜天沢退二郎)
しかし「カリバーン」や「カリブルヌス」が、どうやって、似ていないように思われる「エクスカリバー」になったのか?

…その謎は、「エクスカリバー」の綴りを見ると解ける。「Excalibur(エクスカリバー)」とは、「ex(エクス)」と「caliburn(カリバーン)」の二語から成っているのだ。

というわけで、「カリバーン」に「ex」がつくことになった経緯を、年代順に追っていきたいと思う。


■ブリタニアとヒベルニアの古伝承の中の原型候補

ブリタニアとヒベルニアの古伝承(かつて「島のケルト」と呼ばれていたもの)の中でも「アルスター神話群」と呼ばれているエピソードの中に、カリバーンによく似た名前の剣が存在する。(アルスターとは、アイルランドを治めていた5つの氏族のうちの1つ。)
その剣はアルスター神話群のひとつ「クーリーの牛争い」に登場するフェルグス・マックロイが手にしている剣で、「Caladcolg(カラドコルグ)」=意味は”固い剣”、もしくは「Caladbolg(カラドボルグ)」=意味は”固い鞘”と書かれている。おそらく、これがカリバーンの原型として推定できる、最も古い形なのだろう。

ここで一つ注意するべきなのは、ブリタニアとヒベルニアの古伝承は元々は口伝で、後から布教に行ったキリスト教の僧侶たちが現地で聞いて書き留めたものだという点。それらの原典として中心を成す「赤牛の書」や「レンスターの書」が書き記されたのは12世紀ごろとされるが、記録された時期は、その伝承が語られ始めた時期よりも後だし、記録されたのちも口伝のほうは変化していた可能性がある。つまり、記録自体の年代は12世紀でも、伝承内容自体はもっと古くから存在するのだ。

また、書き記された写本によって、綴りやエピソードの細部は異なる。ク・ホリンが登場する物語も、「赤牛の書」と呼ばれるものと「レンスターの書」と呼ばれるもので中身が多少違うようで、「レンスターの書」によれば、「カラドボルグ」は、妖精の宮殿からもたらされたもので、振り回すと虹のように長くなる剣、ということになっている。魔剣は魔剣なのだが、まだ、エクスカリバーの片鱗は見られない。


■始まりはカレトブルッフ

さて、所変わってブリテン島。11世紀後半(12世紀に入ってからとする説もある)、つまりアルスター神話群が文字にされたのと、ほぼ同時代、こちらでもウェールズ人の伝承を集めた「マビノギオン(マビノギ)」が書かれた。
…といっても、マビノギオンは本当は本のタイトルではない。「赤の本」「白の本」と呼ばれる二種類の写本に入っているエピソードをまとめて一つにしたものを便宜上そう読んでいるだけなのだが、この一群の物語の中に、アーサー王の登場する物語が幾つか、存在する。
中でも、カムリ(現在のウェールズ)に伝わっていたとされる「キルッフとオルウェン」という物語の中で、アーサー王の剣は「Caledfwlch(カレトブルッフ)」と呼ばれている。「フランス中世文学集」の注釈では、この剣は、「calet」が「賢い」を、「bwlch」がV字の刻み目を表すとしている。日本語の説明本では「硬い切っ先を意味する」と、なっていることも多いようだが、ウェールズ語ぜんぜんワカランのでここでは論じず流すことにする。
一つの説によれば、アルスターに「カレドボルグ(カラドボルグ)」という剣があることを知っていた詩人が、それにあわせて、このエピソードの中で「カレトブルッフ」という剣の名前を創造したのだとされる。だが、二つの剣の間の繋がりは今のところ定かではない。

近いのだからもちろん交流はあったのだろうが、何しろどちらが先だという証拠は存在しない。ウェールズの「マビノギオン」よりも、アイルランドのアルスター神話群のほうが古かっただろう、ということは推測されても、アーサーの最初の剣である「カレトブルッフ」がアルスター神話群の「カラドボルグ」や「カラドコルグ」を原型とするものかどうかは可能性はあるが推測に過ぎない。
何にせよ、明確に「アーサー王の剣」と呼ばれる存在は、ここで初めて確認される。


■カリバーン

そしてここから、ようやく冒頭のジェフリーに戻ってくる。
ジェフリーは12世紀の人物で、職業は「司祭」。「ガウフリドゥス・モネムテンシス(Gaufridus Monemutensis)」というラテン語名を名乗ることもあった。
彼の書いた「ブリテン列王史」は、その大半をアーサー王の生涯について記した、いわばアーサー王伝説の最大の”原典”である。体裁としては年代記だが、歴史資料としては厳密性にかける。とかく色んな資料を、事実だろうが伝説だろうが、どかんと突っ込んで一つにまとめ、自分なりの想像力で脚色を加えたものになっている。
「ブリテン列王史」の中に出てくるアーサー王の剣は、「カリブルヌス(Caliburnus)」。彼がこのように剣の名を綴ったのは、アーサー王の剣の名前が「カレトブルッフ」と呼ばれていたことを知って、ラテン語の「chalybs(カリュブス)」=鋼鉄とかけたのではないか、と推測される。厳密に言えばここも推測なのだが、持ち主が同じなので同じ剣と看做してもいいだろう。
剣だから鉄という単語を当てる、という発想はとても分かりやすいし、ラテン語で本を書くのに、似た音の、しかも意味的にも問題なそさうな単語に置き換えたというのは、ありそうな話だ。

そんなわけで、アーサー王の剣は「カリブルヌス(Caliburnus)」という名前と綴りを与えられて海を渡ることになる。

ジェフリーの書いたものは、フランス国王・ヘンリー(アンリ)二世のお抱え詩人、ロバート・ワースによって、フランス語韻文「ブリュ物語」に翻訳された。これがアーサー王の登場する最初の"文学"(歴史ではない)作品となり、大人気となる。ワースの綴りでは、フランス語風に「カリブール(Calibour)」に変化。と・言っても、綴りは、この一種類ではなく、ほかにも色々ある。手書きで本を書き写していた昔のこと、写し間違いや勘違いによって、写本の中で異種つづりが出るのは常のこと。また、日本語でも外国語をカタカナ表記するのに表記が様々生まれるように、外国の言葉を自国語に置き換える際、表記がバラけるのは仕方が無いと言える。


■エスカリブール→エクスカリバー

その後、物語は、フランスの宮廷詩人クレティアン・ド・トロワの手によって騎士文学の形に整えられていく。
クレティアンはマリ・ド・シャンパーニュ伯夫人とフランデル伯フィリップに仕えたとされる人物で、彼が書いたとされる作品は、現在、5編残っている。
これらの5編が、その後のアーサー王伝説のエピソードの大半を形成していく。
ちなみに、ランスロットと王妃グウィネヴィアの不倫など、いかにーもフランス人が好きそうな恋愛ネタは、この後のフランス文人たちによって作られ、付け足されていったエピソードである。
クレティアンは、アーサー王の剣を 「エスカリブール(Escalibor)」と、書いている。海を渡って、ようやく「ex」に似た言葉が頭にくっついたわけだ。

しかし実は、この「es」とは、意味のない単語だったりする。

写本は文字通り手書きで写すもの。印刷機の無い時代、本をまるまる人の手で書き写していたものだ。当然のことながら、写し間違いも発生する。本当はesなんか要らないのに、どこかの段階で、誰かが、「そして」や「〜と」という意味の”Et”がついた固有名詞を、EtをEsと読み違えて一語にしてしまったのが原因で、Escaliborになってしまったのでは? と、いうのが一説だ。
…つまり、Et Calibour なんたら〜 という文章で、固有名詞は「Calibour」だけだったのを、勘違いしてEsCalibour という一語の固有名詞だと思ったのではないか?と。

正確な経緯は分からないが、esがくっつていしまったことは、アーサー王の物語が再び英語に直され、海を渡って戻るとき問題になった。
英語には「es」に相当する単語が無いのだ。さあどうする。
出された解決策は、「esという単語を、見た目が似ている英単語に変換する」。代わりにくっつけられた単語は「ex」。なのでesがexに置き換えられて、ついでにカリブールの発音も英語風になって、ExCalibour(エクスカリボー)。この時点で、意味の無かったesが、意味のあるexに変換される。

こうして、アーサー王の剣はExがつけられてブリテン島に凱旋。晴れて、現在よく知られる名前となり、サー・トーマス・マロリーが書き直した有名な物語「アーサー王の死」の中では、名高く「エクスカリバー」と呼ばれることとなったのである。

ちなみに、さらっと書いているこの数百年の間は、アーサー王物語が大きく発展を遂げた時代である。
マロリーは、クレティアン・ド・トワの作品のほかにも、フランスで作られた幾つかのアーサー王伝説を元にして自分の作品を書いている。最も大きなものが、その名もズバリ、「アーサー王の死」(作者不明)。これは「フランス流布本サイクル」と呼ばれる物語群(日本では一部のみ和訳されている)に含まれ、他に「メルラン(マーリン)」、「聖杯物語」「湖のランスロ」「聖杯の探求」や「メルラン続編」がある。さらにトマやベルールによってそれぞれ作られた、「トリスタン」の各種バリエーションなども取り込まれている。

ここで、混乱が生じた。
もとは別々だった物語をマロリーが一つにつなげた時に、「石から抜く剣」と、「湖の精から貰う剣」の両方がエクスカリバーである、という、矛盾した状況が発生したのだ。言い換えれば、つながりの無い話に残されていた二種類のエクスカリバー伝説が一つになったとき、二本のエクスカリバーが誕生したことになる。


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そんなわけで、「エクスカリバーとはカリバーンがいちど折れて、ふたたび繋がれたからエクスカリバーという名前になったのだ」という説は、実は、後付けの理由ということになる。
ブリテン島に戻ってきたアーサー王の剣にexがつけられているのを見た人々は、何でそんなモノがついているのか意味が分からなかったので、「ex-」とは「〜から出た」という意味なんだから、Caliborから出た=「Calibor」という剣を元にして、新たに剣として生まれたものがエクスカリバー、というふうに考えるしかなかったのだろう。
マロリー版アーサー王伝説では、石から抜いたアーサーのもともとの剣はアーサーとペリノア王が戦った際に折れてしまうが、本来、折れる剣は石から引き抜かれるものとは別ものだったのかもしれない。

なお、ちくま文庫の和訳版では、注釈として「マロリーが剣の名前を書き間違った」と説明されており、単純にマロリーが書き間違ってたという見方も出来る。ペリノア王と戦って最初の剣が折れるエピソードの挿入は、「ex」カリバーを貰うために古い剣を失う必要がある、と考えたためで、石から抜く剣は「ex」のない「カリバー(ン)」、湖の精から貰うものが「ex」のある「エクスカリバー」だと書きたかったのに、間違えて両方ともexつけちゃったのではないか…と。
もしくは事情を知らない筆写生が勝手にex入れたとか? そこまで考え出すと、もはや証明しようがなくなってくるのだが…。

ちなみに、アーサー王が石から剣を抜くエピソードも、死んだあと剣を湖に投げて精たちに返すエピソードも、ワースやクレティアンの書いた物語には残されてはいない。これらのエピソードがアーサー王伝説に付け足されたのは、クレティアンより後の時代… 13世紀に多数のアーサー王伝説が作られる中でのことだった。言い換えれば、エクスカリバーが「アーサー王の剣」として独自の神話を伴い、重要なアイテムとなるのは、13世紀より後なのである。


以上。
大雑把に追いかけてみたアーサー王の剣に関する名前の変遷を表にしてみると、こうなる。


【アーサー王の剣・名前変遷の歴史】

◎アイルランド・アルスター神話群
「Caladcolg(カラドコルグ)」または「Caladbolg(カラドボルグ)」
*名前は似て居るが持ち主が違う
  ↓(?)
◎ブリテン島、ウェールズの伝承
「Caledvwlch(カレトブルッフ)」
*ここからアーサー王の剣として登場
  ↓(?)
◎ブリテン島、ジェフリー・オヴ・モンマス「ブリタニア列王史」
「カリブルヌス(Caliburnus)」
  ↓
◎フランス、ワースのフランス語訳「ブリュ物語」
「カリブール(Calibour)」
  ↓
◎フランス、クレティアン・ド・トロワの作品および流布本サイクル
「エスカリブール(Escalibor)」
   ↓
◎英語…何処でそうなったかは不明
「エクスカリボー(Excalibor)」
   ↓
◎ブリテン島、トマス・マロリー「アーサー王の死」
「エクスカリバー(Excalibar)」

時代にすると、年表のアタマからシッポまではわずか数百年のはずなのに、その間にずいぶんと名前が変わったものです^^;




第ニ部:剣にまつわる伝説の変遷


■歴史(?)から伝説へ… カムランの丘からジェフリーへ

アーサー王の物語は人気が高く、時代を経て、様々な国の、様々な言語で書き綴られてきた。
しかしその有名なエピソードの大半は「後付け」で、原型はいたってシンプルである。

アーサー王についての現存する最古の記録の一つは、1100年ごろに書かれた「ウェールズ年代記」だ。ただ数行だけ、"518年、バドンの戦いでアーサーが勝利" "538年 カムランの戦いでアーサーとメドラウト(モルドレットのこと)が死亡した"と記されている。ただし、この518年・538年というのが元の記載ではキリスト紀元ではなかったことに注意したい。(ウェールズ年代記には西暦は記載されていない。書かれている「第○の年〜」という記述を西暦に変換したものが”518年”や”538年”になる。この変換計算については複数の説があり、それによって年代は若干ずれる可能性がある。)

もう一つは同じ写本に収蔵された同時代の「ブリトン人の歴史」、ネンニウスという人物の手による。そこでは信仰厚きアーサー(王とは書かれていない)が、ブリテンの王たちとともに12回の戦争を行い、大きな手柄を立てて全てに勝利した、と書かれている。最後の戦いは、「ウェールズ年代記」と同じ、「バドンの丘」の戦いだったとされている。

バドンの戦いについては、6世紀前半に生きたギルダスという人物も自らの年代記の中で”私はバドンの戦いの年に生まれて44年生きた”と書いており、アーサー王が「実際に生きていた」とするならば、その推定年代は5世紀後半から6世紀初頭である。ただしギルダスはアーサーという名には触れていない。

この時代にブリテン島で何が起きていたか。一言で言うならば、ローマ抜きでの自己防衛である。
ローマが自国のゴタゴタで遥か西方のブリテン島に兵力を割けなくなり、現地にいた「ローマ化された」地元民たち=ブリテン人は自力でブリテン島の防衛をしなくてはならなくなった。だが、長らくローマの庇護下にあった彼等は戦いに不慣れだ。北からはピクト人やスコットランド人が押し寄せ、西からはアイルランド人が領土を狙い、海を渡ってゲルマン系のサクソン人も攻め寄せてくる。ローマの残していった「ハドリアヌスの壁」などの防衛設備はあっても、どうしても兵力が足りない。ピンチである。しかもブリテン島は僭主の時代、各地で王を名乗る人々が好き勝手に自治をはじめ、民族の纏まりなんてものもない。そこでブリテン人の危機を救うべく現れ勝利をおさめたのが ”アーサー”だった… というわけ。
実際、5世紀後半から6世紀頃にかけ、ブリテン島では束の間の平和の時代があったという。ただし、その平和が偉大な王のもとで築かれた平和だったのか、偶然の産物なのか、はたまた何らかの講和によるものだったかは今となっては判らない。

ギルダスについては、アーサー王が生きていたとされる、まさにその時代に生を受けている。ギルダスの書いている「バドンの戦い」、サクソン人と戦い、これを退けた(あるいは負けたかもしれないが、のちのちまで語り継がれる戦いだった)が、実際に起きたのは事実としてもいいだろう。だが「ウェールズ年代記」や「ブリトン人の歴史」は、アーサーの生きたとされる時代から遥か隔たった時代に書かれており、しかも「ブリトン人の歴史」は、ネンニウス自らが冒頭で書いているように「既にあった書物の抜粋」、つまり引用集である。「ウェールズ年代記」も「ブリトン人の歴史」も、過去に存在した同じ書物から引用して作られたものだったかもしれない。その書物がデタラメだったら、「バドンの戦い」が実際に起きたブリトン人とサクソン人の大きな戦いだったとしても、そこにアーサー(という名前の誰か/もとネタになるような誰か)が参加し、華々しい勝利を収めたのかどうかの強力な証拠とはなりえない。別々の情報源を用いたとしても、口から口へと伝わるうち、情報が不正確なものに変わった可能性はある。たとえば、アーサーという名の人物は存在したが、実際に勝利したのは別の戦いだった、というのが歴史的真相かもしれない。

しかしながら、後世の人々がアーサー王実在の証拠としたのは、まさにこれらのごく僅かな記録なのである。
剣の名前どころか、何をした人なのか、メドラウト(モルドレット)とどういう関係だったのか、どのように生きて死んだのか――何も判らない、そこから伝説は発展していくのである。


ギルダスによる一時資料、そして「ウェールズ年代記」「ブリトン人の歴史」。
さそこに記された僅かな記録が大増量されるのが、冒頭で挙げたジェフリー・オヴ・モンマスによる「ブリタニア列王史」。

ジェフリーは自著冒頭で、「ブリテン人の歴史についてブリトン語で記した古い書物をラテン語に訳す」と書いている。ネンニウスと同じく、何か元ネタがあったのかもしれない。しかし、その「古い書物」の実在の証拠も、どのような内容だったかも明らかではない。元が何であったにせよ、ジェフリーが歴史書として記したものは、かなりのファンタジー要素を含む、おおよそ歴史とは言いがたい物語になっていた。

ファンタジーの中から歴史的事実を探ることも出来なくは無いが、それは歴史として記された別の書物があって、両者を付き合わせることが出来た場合のみ可能だ。
しかし、アーサーが生きたとされる時代についても、アーサーの生涯についても、詳細に記録した別の文書は今のところ見つかっていない。
ジェフリーの著書は人気を博したが、その内容の真偽についてはジェフリーの生きていた時代から既に批判があった。真実が含まれているとしても、ごく僅かなもので、おそらく、かなりの部分がジェフリーによる創作か、歴史として接合された別個の伝説なのだろう。

ただ―― 確かなことがある。

ジェフリーはアーサー王の剣の名を「Caliburnus(カリブルヌス)」と記したが、その剣は石から抜かれることも湖に捨てられることもない。ジェフリーの物語を翻訳した「ブリュ物語」を元にして書かれたクレティアン・ド・トロワの5つの作品においても、彼に続くドイツの詩人たちによる作品においても、…同じ頃、別系統のアーサー王伝説として伝わっていたウェールズのアーサー王伝説にも、それらはまだ存在しないのである。


■アーサー王伝説の原型は、アラン人の神話? 石から抜かれる剣

「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」という本が出版され、一時期、脚光を浴びた。長らく原型不明とされてきたアーサー王伝説の二つのエピソード、「剣を石(鉄床というバージョンもあり)から抜く」「剣を水に投じる」という部分が、ナルト神話… スキタイ人の末裔である、アラン人の神話から伝わったものである、という説が載っていた。しかしこれらは、よく読んでみると大して似ていなかったりする。

石から抜く剣の神話についての比較部分を挙げよう。

アンミアヌス・マルケリヌス(31・4・2)は、アラン人の「唯一の宗教的概念は、野蛮な儀式をして抜き身の剣を地面に突き刺すことであった。彼らは大いに敬意を込めてこれを自分たちが放浪する土地を統べる神マルスとして拝む」と記している。

<中略>

確かに、アンアヌスの記述の中ではその資格のある人間が剣を突き刺すということが強調されている一方で、中世ヨーロッパのロマンスの中ではその資格のある人物が剣を引き抜くということのほうが強調されている。しかしながら、アラン人とサルマティア人の首長がいかにして選ばれるかという方法から――彼らは最良の戦士たちの中から定期的に選ばれていた―― アンミアヌスが言及している「野蛮な儀式」の中で剣を抜くという行為が大切な役割を果たしていたことを慎重にだが提案することが出来よう。

「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」 6章


地面に剣を「刺す」儀式と、石に刺さった剣を「抜く」儀式。刺すと抜くでは意味が逆だし、資格のある者が剣を刺すのと、資格を試すために剣を抜くのでもやはり意味が違う。これを類似と読んでしまうなら、王位継承に剣に関わる儀式は何でもアーサー王伝説と結びつけて語ることがアリになってしまう。

ところで、アンミアヌス・マルケリヌスは4世紀、民族大移動の始まりとなる激動の時代に生きた人物で、ローマ側の立場から、ローマを脅かした各民族についての記録を残している。世代的にはギルダスよりも前だ。「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」の著者はたびたびアンミアヌス・マルケリヌスを引用するが、何故かといえば、アーサー王伝説の起源はスキタイの末裔たるアラン人の伝承だと言いたいからである。つまり、アーサー王伝説の原型は、5世紀以前にブリテン島に入っていたことにするために、当時のアラン人の文化がアーサー王伝説に似ていることを証明しようとしているのだ。

しかしエクスカリバーの名の変遷で流したように、ジェフリー・オヴ・モンマスによる「ブリタニア列王史」でアーサー王伝説の骨格が語られるようになった時代においても、アーサー王伝説の中に、「石から剣を抜く」というエピソードは存在しない。それが最初に登場したことが確認されているのは、ロベール・ド・ボロンによる「メルラン」という作品である。もし11世紀時点でアーサー王伝説の中に「石に刺さった剣を抜く」というエピソードが既にあったなら、おおよそ現実とは思えないファンタジックな伝説も含め、ありとあらゆる要素を取り込んだジェフリーが記さないはずはないのではないか。ジェフリーの時代には、まだ剣に関する伝説が作られていなかったと考えるほうが妥当だろう。
比較している内容もかなり無理があるが、比較するべき時代も間違えているということだ。

さらに言えば、アンミアヌス・マルケリヌスがどの程度正確にアラン人の習慣を把握していたのか、それが本当にアラン人の習慣なのか(アラン人はフン族に敗北し、その配下に収まる)、その風習はいつまで続けられたのか… ヨーロッパに移住したアラン人たちは本当にその風習を維持し続けていたのか? これらを検証する必要がある。単に資料をめくってそれっぽい記述があったから「似てます」では話にならない。


■水に戻される剣

アーサー王は死に際し、自らの剣を湖に投じるよう一人の騎士に指示する。大筋はこんな感じだ。
湖に投げ込まれた剣は白い手に受け取られ、やがて手は剣とともに水の中へ消えていく。湖の姫からもたらされたエクスカリバーは、持ち主の死と共に再び湖へと戻っていく。その報告を聞いて、アーサー王は最期の時は近いと語る。

それに対する、比較すべき「ナルト神話」の対応部分はこちら。
前もって解説しておくと、ここに出てくるバトラズというのは、ナルト神話の不死の英雄である。いわば主人公。「俺より強いヤツに会いにいく!」とばかり天界に殴りこみ、神を殺そうとするがさすがに神は無理、しかし天使と精霊たちを虐殺する。そのために神によって苦しめられているのである。
また彼は、父殺し、叔父の暗殺を企んだということで、一族をうらんでおり、この時点で一族の大半は彼によって殺されている。だから「バトラズに一日も早く死んでもらいたい」と願われている。何とも怨念に満ちた主人公である。

そのバトラズの死の模様は、一伝によれば次のようであったと物語られている。

 バトラズの際限の無い横暴に立腹し、ついに彼を死なせねばならぬと決心した神は、彼にありとあらゆる種類の耐え難い苦患(くげん)を送って、しまいに誰も殺すことのできぬ鋼鉄の身体の持ち主のバトラズが、自分から死にたいと願うようしむけた。死を決意したバトラズは、そのときまだ彼によって殺されずに辛うじて生き残っていた、ほんの少数のナルトたちに言った。
「自分はもう復讐に満足したので死にたいと思うが、ただ、わたしの剣が海に投げ込まれぬうちは、どうしても死ぬことのできない運命に決まっている。」
 ナルトたちはかねてからバトラズに一日も早く死んでもらいたいと願っていたが、重いバトラズの剣をどうやって海まで運んで行って投げ込めばよいか分からなかったので、最初は何もせずに、「剣は海に投げ込んだので、あなたが死ぬための条件は整った」と、嘘をついた。すると、バトラズは彼らに、「では、そのとき、どんな不思議が見られたか」と尋ね、彼らが、「別に何も起こらなかった」と答えると、「それなら、剣は海に投げ込まれていない。投げ込まれればかならず、不思議が見られる筈だから」と言った。
 そこでナルトたちは、バトラズを死なせるためには、どうしても彼の剣を実際に海に投げこまねばならぬことを悟り、何千頭もの獣にそれを引かせた上、自分たちも全力を振り絞って、ようやく海辺まで剣を引いて行き、海中に投げ入れた。するとたちまち海が波立って暴風が起こり、海水がいったん沸騰したあと、血のように真っ赤な色になったので、この不思議を見ていたナルトたちは、大喜びして帰り、バトラズに見たとおりのことを報告すると、これを聞いてバトラズは、今度は剣が本当に海に投ぜられたのを知り、ついに満足して絶命したという。

「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」 解説(吉田敦彦)


こちらは、似ているといえば似ているように思えるかもしれない。だがここに大きな、そして著書全体を貫く致命的な問題が隠れている。
このナルト神話は 近代に記録されたもの であり、 南オセチアに残ったアラン人のものであって、移住したアラン人のものではない

「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」の著者たちが推定しているのは、故郷に残ったアラン人がいる一方で、傭兵として各地に散ったアラン人のうち、ブリテン島に渡った人々か、フランスのブルターニュに定住した人々が、自分たちの伝承を現地に伝え、アーサー王伝説の骨格を作り上げたというものである。つまり現在残っている伝承が過去からほとんど変わっておらず、しかもその伝承は故郷からはるか遠くへ旅立った仲間たちも変わらず保持し続けていた、と言うのである。
しかしこれは、常識的に考えて無理がある。また、証明することも不可能だ。

遊牧民は文字を持たず、文書記録をしない。(そんなかさばるものを持って移住生活はできない) 伝承は口伝である。
口伝は、その時代ごとに姿を変えていく。過去の伝承の物理的な記録が存在しない以上、過去のものとの比較はできない。
近代になってから注目を浴び、記録されるようにはなったが、それが過去の伝承をどれほど残しているかは判らない。その伝承の中に、アンミアヌスが記述したアラン人の風習と類似する「部分」が存在したからといって、それは、その部分が古くから伝わっている ”可能性” を示唆するに過ぎず、「全体」が古い ”確実な証拠” にはならないのだ。

また、地理的な問題もある。一般的に言って、伝承はその地域ごとにアレンジされていくものである。
この伝承が採取されたアラン人は、北コーカサス(英語で言うとカフカス)地方、分かりやすく言うと黒海とカスピ海の間あたりに暮らしている。本の中で「南オセチア」という地名が出てくるが、それはコーカサス地方の一部を指している。地理的にイラクのすぐ北であり、メソポタミアから近い。この伝承がメソポタミアテイストを持っているところからして、アラン人が昔から持っていた独自の神話に、メソポタミアの伝承が加えられている可能性があるのではないか。たとえば、神に挑戦し、その罰によって死を定められるところなど、メソポタミアの「ギルガメッシュ叙事詩(ビルガメシュ/ギルガメシュ)」そのまま。天使や精霊は確実にサルマティア人の伝承以外から取り込まれたものだろうし、最初に野生児バトラズが体毛(頭髪)を剃られることによって人間社会の仲間入りを果たすところも、ギルガメッシュ叙事詩に同様のモチーフを見つけることが出来る。

同じように、故郷を離れブリテン島やブルターニュに移住したアラン人たちの神話が、北コーカサスに残った同胞たちのものと同じだったとは思われない。こちらも、現地に伝わる神話や、移住の過程で触れた神話、たとえばギリシャ神話(ローマ人の神話)や、ケルト神話(ケルト人の神話=いわゆる「大陸ケルト」のこと)、北欧神話(ゴート人などゲルマン系の人々)などと混じりあって変化した可能性がある。

「時間」と「場所」が隔たりすぎている―― 点と点を結ぶ線が弱すぎる。
著書の大半は、その点と点を結ぶことに終始しているにも関わらず、その大半は根拠となっていないのが痛い。


■伝説の発展 「エクスカリバー」はいつから石から抜かれる剣になったのか

では、アラン人の神話を除いて、アーサー王の剣に関する伝承の出所は、どの程度推測されているのだろうか?
ここでいったん、剣にまつわる伝承の中で「石から抜かれる剣」と、「持ち主の死と共に失われる剣」について書かれるようになった経緯をまとめてみる。

6世紀 推定
529年頃
ギルダス「ブリテン衰亡記」 アーサーに関する記述なし、「バドンの戦い」についてのみ記載
12世紀 . 「ウェールズ年代記」 アーサーとメドラウト(モルドレット)がバドンの戦いで死亡したと記載
. . ネンニウス
「ブリトン人の歴史」
ブリトン語の書物を元にしたと前書きに断り
12回の戦いで信仰厚きアーサーが勝利したと記載
. 1135年頃 ジェフリー
「ブリタニア列王史」
ブリトン語の書物を元にしたと前書きに断り
歴史形式でアーサー王物語の骨格を創作、これ以前の資料でアーサーが語られるのはすべて断片的。
★エクスカリバーの名はあるが「石から抜く」「湖に投げ込む」エピソードなし
. 1150-80年頃 クレティアン・ド・トロワ
アーサー王作品群
ジェフリーが「歴史」の体裁をとって書いたアーサー王伝説を初めて物語形式に
彼の5つの作品がのちのアーサー王関連文学を発展させていくことになる
★エクスカリバーの名はあるが「石から抜く」「湖に投げ込む」エピソードなし
. . 「マビノギオン」 口伝として当時伝わっていた、ウェールズの伝承を集めた書物。
内容の一部はクレティアンとかぶっているがディティールは大きく異なる。
両者が元とした同じ起源が存在する可能性が高い。
★エクスカリバーの名はあるが「石から抜く」「湖に投げ込む」エピソードなし
. . ラヤモン「ブルート」 ブリタニア・ヒベルニアの古伝承的な要素をもって書かれた英語初のアーサー王物語
★エクスカリバーの名はあるが「石から抜く」「湖に投げ込む」エピソードなし
. . ロベール・ド・ボロン
「メルラン」
「石から抜く」エピソードの確認できる限り最古の物語、「湖に投げ込む」エピソードなし
13世紀 1220−1230 作者不詳
「アーサー王の死」
「石から抜く」エピソードはない(アーサー王の晩年から語り始めるため)。
初出かどうかは未確認だが、ここで「湖に投げ込む」エピソードが確認できる。
. 1225-30年頃 作者不詳
「聖杯の探索」
石から剣を抜くのはランスロの息子ガラハド
*「スキタイからキャメロットへ」の著者は、おそらくこの物語をソースに、
「石から抜く剣はランスロットの家系と深いかかわりがある」「ランスロット=バトラズ」などの説を
展開していると思われる


あるエピソードが、その作品に「存在する」か「しない」かは、読めばわかる話だし結果ははっきりしている。ここでエピソードなしとしたものは、文字通り、陰も形もない。

この年表から判ることは、アーサー王伝説の初期には、「石から抜かれる剣」と「持ち主の死と共に失われる剣」のエピソードは 存在しなかった 可能性が高いというと。すなわち、「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」の著者が主張するように、アラン人が移住した5世紀以前から存在するエピソードとは言えない。クレティアンが歴史としてつたえられてきたアーサー王伝説「騎士文学」の体裁に直し、それが人気を博して広まっていき、数々の「続編」や「リバイバル」が作られていく中で、いつのまにか付け加えられたものと考えるべきだろう。

だから、もしスキタイの神話がアラン人を通じてアーサー王伝説の骨格を作ったと主張したいなら、その影響は12世紀後半から13世紀に至る、アーサー王伝説の揺籃期にターゲットを絞るべきだ。この時代に、アラン人の神話の影響を受けた可能性は? もちろんある。しかしそれ以上に、他の神話伝承が取り込まれた可能性も大いにある。この時代のアーサー王の物語は、まるで成長過程にある恒星の如く周囲の伝承の雲を絡めとリ、その中から輝きを放ち現れてきたのだから。


また、12世紀といえば十字軍の時代である。騎士たちは東方に遠征し、そこで東方の伝承や技術に触れ、大きな影響を受けた。
 第一回十字軍、1096年〜1099年。
 第二回十字軍、1147年〜1148年。
 第三回十字軍、1189年〜1192年。
ドイツにおけるアーサー王伝説関連作品の著者、ハルトマン・フォン・アウエやヴォルフラム・フォン・エッシェンバハも作中で十字軍について言及し、ハルトマンについては自らの十字軍遠征中の出来事をネタにした作品が存在する。彼ら作者自身が、十字軍遠征中にじかにアラン人の神話に接触した可能性だってあるのだ。アラン人のブリテン島やブルターニュへの移住を論じるよりは、十字軍遠征による物語作者と伝承の接触の可能性を論じたほうが現実的と思える。


「石から抜かれる剣」、「持ち主の死と共に失われる剣」の原型

ちなみに、アラン人の神話を除いて、アーサー王の剣に関する伝承の出所は、どの程度推測されているのだろうか?

「石から抜かれる剣」と頻繁に比されるのは、北欧の神話的なサガの一つ、ヴォルスンガ・サガだ。
館の真ん中に聳える大木にオーディンが刺した剣、それを抜けるのはオーディンの子孫であるシグムンドだけ。その剣はシグムントの死後は息子シグルズに受け継がれる。この剣は、湖から得た剣ではないし、持ち主の死とともに失われる剣でもないようだ。
ヴォルスンガ・サガは、アーサー王伝説の中に「石から抜く剣」が登場するエピソードが書かれたのとほぼ同時期(時代を絞れば、やや後)に文字として記録された。しかしこの物語も元は口伝のため、「木から剣を抜く」というシーンが何時から存在したのかは不明だ。しかし口伝の段階のヴォルスンガ・サガの一部がアーサー王伝説にモチーフとして取り入れられた可能性はあるし、共通する何らかのモチーフが存在したと仮定して論じることは出来る。

一方、「持ち主の死とともに失われる剣」と比較されるのが、シャルルマーニュ伝説の1エピソード。
勇猛果敢にして無謀なシャルルマーニュの愛する甥、ロランの持っていた剣・デュランダルが、持ちぬしの死後、川もしくは湖に捨てられたというパリエーションがある。ちなみに「ロランの歌」では、湖や川に捨てることはないが、死の間際にデュランダルを岩に打ち付けて折ってしまおうと試みる。理由は「異教徒の手に奪われるよりは、ここで失われるほうがいい」。アーサー王が剣を捨てる際の理由とほぼ同じであることから、アーサー王伝説とロランの歌に影響を与えた、今は失われた何らかの共通原典があったのではないかと考えることが出来る。もちろん、その原典の一つにアラン人なり別の民族なりの神話が含まれる可能性は否定できないが…。


ここで思い起こして欲しいのは、アーサー王が剣を湖に返す理由である。「悪しき後継者の手に渡ることを望まないから」、13世紀に書かれた作者不詳の「アーサー王の死」では、そう述べられている。「持ち主の死と共に失われる剣」とは、悪しきものが手にすると危険極まりないために主人公が自らの死とともに永遠に葬り去ろうとする剣、と言える。同じ意味合いを持つ手には、ガラハッドの死と共に天から聖杯を回収にやってくる手がある。この手は天から伸びてきたことにされているが、悪しきものが手にすることの許されない特別なものを回収しにやってくるという意味においては、エクスカリバーを受け取る手と同じものと言える。(※1)

※1 「フランス中世文学集 奇跡と愛と」(白水社)P265下段参照

それに対し、ナルト神話のバトラズの場合、自らが死ぬために剣を投ずるが、その剣は自身の分身とも言うべきもので、重すぎて人の力では動かせないため、そもそも本人以外の誰にも使えない。しかしロランやアーサー王の剣は一般常識的な「剣」の範疇なので他人でも使うことができ、それゆえに持ち主は死後悪用されることを恐れる。失われるべき理由が全く異なる。物語の表面は似ているかもしれないが、意味合いはだいぶ違うように思われる。即ち、アーサー王伝説とロランの歌の間では「剣を捨てる」行為に関連性が見られるが、アーサー王伝説とナルト神話では関連性があるかどうかは微妙になってくる。やはり現段階では、類似を論ずるに値しないように思われる。


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というわけで、エクスカリバーにまつわる伝説は、アーサーの剣が「エクスカリバー」という名前になったまさにその時代に、新たな伝説を得て、現代に知られるような「エクスカリバー」という存在になったと言える。

アーサー王伝説は全体的にケルト神話と比較されることが多いが、エクスカリバーにまつわる部分…「石から抜く」「持ち主の死と共に失われる」部分については、意外にもケルト神話と比較されることが少ない。エピソードの大筋や登場人物については大半がケルト起源とされることが多いが、大筋を取り巻く後付け部分については、ケルトの伝承に原型がないこともあり、類似する様々な神話伝承が比較対象として挙げられる。その一つにナルト神話を数えることは可能だが、「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」の著者がやろうとしていることが すべての原典に先立ってアラン人の伝承があったことの証明 である以上、この本の主張は根本的に誤りだと言わざるを得ない。

<2017/5/29追記分>
しかも現在までに、遺伝学・考古学・言語学いずれの観点からも「島のケルト」が否定される事態となっているため、「島のケルト(実際はケルトじゃなかった)」の伝承とアーサー王伝説を比較するのは、やはり土台からして間違ってたということになる。

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修正:2005/02/18
Caledfwlch の綴り間違えてたっぽい。
あとCaledの意味は「賢い」と書かれてたのを「誓い」と読み間違えてました。天沢先生スマセン!(土下座

追記:
カナ表記についてですが、本や人によって違いますが、綴りによる音を優先するか、実際呼んだ時に消える音を省くなど発音を優先させるかの違いがあります。
また、綴りは同じでも、発音については時代によって差異があるそうで、当時の読みと現代の読みが異なる場合、現代読みを優先させている場合があるとのこと…ここらは個人の好みもあると思うので、気に入らない人は心の中で別カナを振って下サイ。よろすく〜

修正:2005/03/17
やっぱファーディアとフェルグスは別人だよね。

修正:2008/11/18
微妙に言葉尻などを整えました。

修正+追記:2009/7/3
「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」への言及をつけたしつつ、全体構成を変更。曖昧な記述も改めました。

追記:2009/7/5
アーサー王関連作品の年表の中に細かい成立年代と「聖杯の探索」を追加。

修正:2009/7/20
後半部分、ヴォルスンガ・サガについての記述とウェールド年代記の西暦についての注釈を追記



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