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ジョン・ギルバート
JOHN GILBERT
(1899-1936)

《主な出演作》
*厳窟王(1922)
*メリー・ウイドー(1925)
*ビッグ・パレード(1925)
*剣侠時代(1926)
*ラ・ボエーム(1926)
*肉体と悪魔(1926)
*アンナ・カレーニナ(1927)
*恋多き女(1927)
*ホリウッド・レビュー(1929)
*クリスチナ女王(1933)


 

 トーキーが広く普及したのは1929年のこと。奇しくもその年の10月24日、ウォール街で株価が大暴落する。世界大恐慌の到来である。悪声のスタアにとってはダブルパンチだった。彼らはその稼ぎの大半を株に投資していることが多かったからだ。
 その典型例がジョン・ギルバートである。ルドルフ・ヴァレンチノと肩を並べる男前にして、グレタ・ガルボと浮き名を流したことでも知られるこの大スタアは、ブロードウェイ女優アイナ・クレアとのハネムーンからの帰路の大西洋上で自らの破産を知ったのだった。
 追い打ちをかけたのが、初のトーキー作品『HIS GLORIOUS NIGHT』の大失敗だ。甘いバリトンを期待した観客は、その素っ頓狂な声に仰天した。彼の人気は眼に見えて失墜していく。

 一方、舞台で鳴らした妻はトーキーにも進出し、めきめきと頭角を現していく。面白い筈がない。彼は慰めを酒に求めた。1936年1月9日、心臓発作でこの世を去るまで、彼は酒を飲み続けた。

 ギルバートの悲劇は1937年に『スタア誕生』として映画化された。『サンセット大通り』や『イヴの総て』等の先駆となる「内幕もの」の傑作だが、ここでも主役は妻の方だ。
 田舎町に生まれたエスターは、ハリウッドを夢見て上京する。舞台で前座歌手を務めるうちに、アル中で落ち目のスタア、ノーマンと出会い結婚する。彼の演技指導が奏功してエスターはスタアの仲間入りを果たすが、そのことがノーマンの傷に塩を塗る結果となる。失意の彼は入水自殺する。
『スタア誕生』はアル中の夫を支える妻の姿が感動を呼び大ヒットした。ところが、事実は異なる。アイナ・クレアは1931年の時点で、さっさと離婚してしまっている。これが現実というものである。


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