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評価 ★

スコットランド女王、メアリーの処刑
THE EXECUTION OF MARY, QUEEN OF SCOTS

米 1895年 1分
監督 
アルフレッド・クラーク


 今日の「血みどろ映画=スプラッター・ムービー」の起源としてまず挙げられるのが、19世紀末にフランスはパリで人気を博した「グラン・ギニョール」である。大衆紙の三面記事から材を得た残酷な人形劇で、血糊もふんだんに使われていた。ブピューッと血しぶきが上がるや観客はやんややんや。いつの時代でも大衆は血を好むのだ。

 一方、アメリカでもほぼ同時期に残酷な人体破壊映画が製作されている。それがこの『スコットランド女王、メアリーの処刑』だ。血しぶきこそ上がらないが、斧が振り下ろされると女王の首がコロン。それを拾い上げて、高々と掲げる処刑人。それでおしまいの短いキネトスコープ作品である。途中でカメラを止めて人形にすり替えるという単純なトリック撮影によるもので、今観るとどうってことない。しかし、トリック撮影を見慣れていない当時の人々にとっては衝撃的だったことだろう。

 なお、この「置き換え」と呼ばれるトリック撮影は、「特撮映画の父」ジョルジュ・メリエスが最も得意とするところであった。瞬時に女性が骸骨に変わり、物が消えたり増えたりする。また、胴体をまっ二つにしたり、首をもぎ取って投げたりもした。『ゴム頭の男』という作品では生首を空気で膨らまして破裂させてしまった。しかし、同じ人体破壊を描いていても、彼の作品からは残酷さは感じられない。むしろ滑稽である。そして、だからこそメリエスは飽きられたのだと、恐怖映画の研究書『カリガリ博士の子どもたち』(S・S・プロウアー著・晶文社刊)は指摘する。

「観客たちがメリエスの愉快なファンタジーに得られなかったものは、安全を保証しながら恐怖を与えるショックの感覚であった。リュミエール兄弟が、駅に真正面から突っ込んで来る列車を、まるでそれが映画館のスクリーンから観客に向かって飛び出して来るかと見えるように撮影した時に作り出したようなショックである。あるいはまた、途中でカメラを止めてダミーに置き換えることで、びっくりしている観客に本物の人間の首が断頭台で切り落とされるのを見ているような錯覚をもたらした、1895年のアルフレッド・クラークの『スコットランド女王メアリーの処刑』にあったようなショック。さらには、エドウィン・S・ポーターが『大列車強盗』(1903年)に、ひとりのならず者がその銃を観客に向けて狙いをつけているクローズアップを持ち込んで作り出したようなショック。メリエスのファンタジー。クラークがやった極限状況の直接的描写、リュミエール兄弟やポーターの観客への見せかけの攻撃。これらはすべて、恐怖映画の重要な要素になるのである」

 プロウアー氏が挙げた3要素のうち、2つ目の「直接的描写」をことさらに追求したのが「血みどろ映画」に他ならない。


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