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時の話題2008-2
LAST UPDATE 2008-07-17
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◇印は《日々雑感新掲示板》より転載
人間解放運動のスタンス(08/2/24) ◇子育てハッピーアドバイス(08/2/19) ◇南大門焼失(08/2/12) ◇沖縄の米海兵隊を撤退させろ(08/2/11〜3/1) ◇特別支援教育実践の実態(08/2/9) ◇人間フィルタリング(08/2/1)

【人間解放運動のスタンス】vol.439《日々雑感より》
◆夜間中学運動から学んだこととして、「楽しみながら闘う」「(根強く)したたかに闘う」というスタンスがある。文字を取り戻そうとするハルモニや被差別部落のばあちゃんらが、たどたどしいひらがなで書き綴る作文には、よくぞそんな苦労を乗り越えてこられたと、驚嘆すべき内容のものも多い。
 ところが、それは差別への憤りばかりではない。差別に抗えなかった悔恨もあれば、差別する側に立ってしまった懺悔もあるのだ。そして、自責と迷いを拭い切れなくても何故か快活だったりする。また、虐げられる苦痛をいやというほど身に染みつけているためか、差別への怒りは人一倍あるのに人権意識に乏しい人にも何故か優しかったりする。威勢のいい「解放の闘士」では決してないのだ。「人の弱さ」を受け止め、粘り強くしたたかに、差別ときっちり向き合いながら、同時に差別を笑い飛ばすエネルギーをたたえていたりする。
 「解放の闘士」は絶対必要だ。しかし、「解放の闘士」だけでは解放は決して手に入らないだろう。ストレスを自分に切り刻む生徒もいる。0か100かで人を切り刻む大人もいる。闘い方に余裕のない生徒を夜間中学に連れていったこともあった。学生運動の闘士だったという先輩教員にセクト的切り捨てでは運動は広まらないと食い下がって訴えたこともあった。
 差別糾弾闘争も指紋押捺拒否運動も青い芝的障害者解放闘争も必要だった。しかし、いわゆる「ついて来れない人々」を包み込む緩やかな連帯もまた必要だったのではないか。個々の主体性を基礎にした闘いでなければ、それは誰のための闘い、誰のための解放なのか。
 闘い方は人それぞれだろう。このサイトもまた一つの闘い方だと明確に意識して始めた。夜間中学のおばあちゃんが、したたかに闘いながら、「癒し」のエネルギーをもっていたことが、そのベースになっている。(1245、08/2/24)[→2月目次]


【子育てハッピーアドバイス】vol.438《日々雑感より》
◆明橋大二さんの『子育てハッピーアドバイス』シリーズは明快で真っ当な育児書だと思っている。一昨日深夜、添い寝で寝てしまったkurochanを、妻が起こし、一気に読んだこの本を読んでほしいと渡されたのが『忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス』。実はすでにkurochanも購入済みだったのだが、同時に買った別の育児書を先に読みかけていたので、読んでいなかったのだ。昨夜から今日にかけ、kurochanも読んだのだが、商売が上手いなあとも思うが、やはり明快で真っ当な育児書だった。はっとさせられ、うるうるさせられ、自然とやさしい気持ちにさせられる。精神科医として、スクールカウンセラーとして、二児の父として、理論と臨床とに基づいている。さらに、社会状況への核心を突く育児の視点からの提言は、控え目だが傾聴すべきメッセージだと思うのだ。シリーズは読みやすい挿入マンガも効果的に使われているが、彼の言葉にあったメロディーをつければヒットするかもしれない。(1242、08/2/19)[→2月目次]

【南大門焼失】vol.437《日々雑感より》
◆韓国の一級国宝のソウル南大門が老人の放火により焼失した。ナムデモンシジャンに近いので、馴染みに感じていた日本人も多いだろう。建築時期は、確か日本では室町期にあたる古さだったと思うが、本当に残念だ。模倣犯行が行われないことを願う。(1235、08/2/12)[→2月目次]

【沖縄の米海兵隊を撤退させろ】vol.436《日々雑感より》
◆沖縄の米海兵隊はすぐさま解散退去してほしい。子どもたちを傷つけ、不安を与え続ける海兵隊などいらない。(1234、08/2/11)
◆在日米軍は、取り分け沖縄の海兵隊は即刻撤退してもらいたい。地位協定という名の治外法権は苦痛と恐怖を温存拡大させるだけだ。日本政府も「このようなことが二度と起こらないように」などという、情けないコメントを出している場合ではない。マスコミも守屋元次官と在日米軍利権に踏み込んで、徹底告発をしていって欲しいものだ。(1235、08/2/12)
◆さらに、酒に酔った海兵隊員が女性宅に侵入したという速報ニュースが。徹底的に糾弾すべき事態だろう。(08/2/18筆)
◆なぜバイクの後ろに乗ったんだ!とは僕も思いますが、その中学生を責めるよりも、そんな状況を作り許している側をこそ責めるべきだと考えます。ヤマトンチューの無関心も含めてです。また、人間はすべてが「解放の闘士」にはなれない弱き存在だとも思います。戦後もまた沖縄を「捨て石」にしてきたものをこそ問い詰めないと、本当の沖縄解放は勝ち得ないのではないでしょうか。(eatyhiroさんへの
新掲示板レス、08/2/18)
◆沖縄の被害中学生を黙らせるこの社会は間違っている。飲酒疑惑にせよ、軍に過ちを認めさせることが至難な社会は人権が尊重されているとは言えない。近代史の桎梏はまだ続いている。(1249、08/3/1)
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【特別支援教育実践の実態】vol.435《日々雑感より》
◆昨日は午後から県教委の教育セミナーに参加。特別支援教育のプロジェクト発表に聴き入った。現場の対応はまだまだ手探りの状況で、コーディネーターの養成と言っても、たかだか年に数回の講演を聴くだけで、まさに「自省的実践」を積み重ねながら作り上げていくしかない。「日本の福制度祉は枠組みは立派だが中身が乏しい」と言われるが、それは特別支援教育の推進の実態にもあてはまる。個別の指導計画を立て、関係者をコーディネートするという仕事の重大さと難しさに見合った人的予算措置があまりに乏しいということを強く訴えたい。(1233、08/2/9)[→2月目次]

【人間フィルタリング】vol.434《日々雑感より》
◆18未満のケータイは原則フィルタリングが設定されることになる。既に契約済でも、自動的に設定される。ケータイ各社も、この間様々な対策を講じてきたが、モハイル業界は反発を強めているようだ。PCからもアクセスできるmixiでさえ株価が3割も下がり、ふみコミュはニフティとの提携を打ち出した。モバゲーは18歳未満のミニメールを制限するようになったばかりだが、モバゲーはフィルタリングにひっかかるようで一気に衰退するかもしれない。官民諸団体や識者の調査集約や論評もあれこれ読んでいるが、フィルタリングのお粗末さを指摘する声が多々あるものの、子どもたちを守るには必要な対策だとの理解が多いと感じる。PCとは違うケータイ文化の発展を疎外するとの意見もあるが、結局はモバイル産業の利益と引き換えに、子どもたちに深刻な被害を与えることになると考える。遅きに失した対応だとも思う。しかし、機械的なシャットアウトが教育的だとは思えない。子どもたちの参画も含めた、「ネット上の人権文化創造」への取り組みも模索できる環境を用意したいものだし、一方、家族による人間フィルタリングこそが求められているのだと訴えたい。(1227、08/2/1)[→2月目次]

 ※参考 「ケータイと子どもたちの人権


























<アンカージャンプ用の画面余白です>