若きkurochanの悩み
LAST UPDATE 2001-02-16 18:02


内面的概略

 中三から、若者向けの人生論(加藤諦三など)や学園ドラマの感化を受けすぎ、高一時代は、陸上競技に打ち込むと同時に、クラスを盛り上げ、生徒会活動で暴走し、という日々でした。実際、何度も自宅謹慎になりました。教師批判の壁新聞事件や教師のしかり方批判の職員室怒鳴り込み事件、生徒独自の第二修学旅行計画事件やら、いろいろありました。またkurochanの自宅は浄土真宗の寺ですが、信仰ではなく習慣・しきたり化している面や、本願寺教団への批判、仏教の教義そのものへの疑問などから、一時は改革派説教師をめざしましたが、信仰心がもてない上、独りよがりの坊主のわがままで、老人を苦しめるのはよそうと、出家ならず家出をしたのです。それはともかく、そんなことで、教師や親戚の坊主の説教をイヤと言うほど聞かされてきました。

 僕は、そんななかで、本やドラマをはじめ親のしつけや世の中のさまざまな秩序を無批判に受け入れてきたことに気づき、価値の相対性に悩むことになりました。高一の冬です。そして、逃れられないもの、自分の意識を呪縛しているものとして、本能と言語に挑戦しようとしたのです。自分の意識から、かつて無批判に受け入れたものを、いちいち吟味しようという日々は、十六才には重すぎました。学校や社会への根源的な批判は不適応を引き起こしました。その過程で悩み抜いたことや、友人や教師・親族との係わりはその後の僕の生きる姿勢やものの見方に大きな影響を与えます。

 自由でありたい。それは気持ち次第かもしれない。 ただkurochanは、多感な時期に様々な立場からの説教や説得をたくさん浴びせられ、口達者でいくらでも反論する快活豪快な存在でしたが、内心では、ペラペラ喋っている内容が所詮他人の受け売りで、純粋に僕自身の考えだとは言えない事を知っていたのです。友達が信頼してくれているのに、僕の考えは本当は僕の考えでないなんて、第一自分自身納得がいかない。自由になるためには他人から無批判に受け入れたものを排除しなければ。

 例えば女の子にムラムラする。なぜそれを普段は抑えるのか。なぜトイレまで行って用をたすのか。そういった秩序は僕が考えたんじゃない。受け入れたに過ぎない。しかも古今東西一定か?違う。自分がある時代・ある環境の秩序を知らぬ間に信奉しているにすぎない。チャップリンの言葉がきっかけだった。普段は人を殺せば殺人罪だが戦争なら勲章だ。僕は人の言葉と言葉の間で苦しんでいる。受け売りではない本当の自分のことばを語りたい。

 英語と日本語で単語の意味範囲が違う。言語独特のカテゴリーのずれなどが、物の見方を左右している。他言語をあやつり、言語を相対化できなければ、言語の呪縛から逃れられない。 また、当時自転車で何度も転けてみた。泣きながら何度も転けてみた。どうしても手をついてしまう。手をつくまいと思っても手をついてしまう。それは、僕の生物としての本能で、僕の意志じゃない。本能に縛られている。

 悔しかったが、考えてみた。僕は、人間という生物で、それが故の偏見を持っている。意志決定は人間ということで、どうしてもゆがんでしまう。ゆがんでいることを自覚しよう。人間の意志決定が絶対正しいとは決して思わないようにしよう。言語による価値判断・意志決定のゆがみも自覚しよう。その分、純粋に自由な思考をしているとは言えないことを自覚しよう。 以上です。かつてはこんなこと思ったけど、サルトルのアンカージュマンという概念で、人間は自由だ、と宣言すべきかもしれないとも、正直思う面もあります。これは、またの機会に致しましょう。

(掲示板「人間的な 余りに人間的な」への投稿、2001-2-7執筆)