◆悩める男・・・・高校受験の季節、いわゆる自我の目覚め、「生きる」って何だと問い始め、高校1年には、相次ぐ停学に伴う親や教師の言葉に迷い、学園ドラマや読んだ本の受け売りばかりの自分がいやになり、価値の相対性に悩んだあげく、一切の自己内秩序の点検を始め本能と言語からの解放に挑戦し、とうとう極度の虚無状態に。遅刻を叱る生徒指導の教員と人生問答の毎朝の校門。そのあたりは「若きkurochanの悩み」で紹介しようかな。(自己紹介より) ◆とてもとても語り尽くせぬ量と内容の青春記がkurochanにもあり、授業や特別な家庭訪問、少し語って聞かせたい時に、あの頃の悩みや葛藤、怒りや気付きが縦横無尽に役立っている。それなりに強い長距離ランナーだったし、生徒会活動もしていたし、青臭い反抗期で何度も謹慎になったし、極端に虚無的な状態に陥った数カ月もあったし、恋もしたし、暴れもしたし、友と語り合ったし、学問は好きだったけど落ちこぼれだったし、ドジだったし、文化祭企画大好き人間だったし、障害者施設や養護学校に通って色々感じ考え友もできたし、学校を面白くするための仕掛やいたずらが大好きだったし、幼いころのイジメられっ子体験から卑怯な奴や無神経で尊大な奴が嫌いだったし、ピアノや読書も好きだったし、などなどで、そうした一コマ一コマをその時の内面とともによく覚えているのだ。今もおそらく自分が大好きで、自分が自分で好きになれない時が相当辛くて、昔から変わらぬそんな自分と目の前の子ども達がいつも重なって見えるんだろうね。高校教員という仕事は、多分自分を生かすに適した仕事なんだろうな。(日々雑感1063より) |