なぜ分岐学(Cladistics)は分岐分類学と呼ばれたのか?
答えは簡単、分類は系統を反映するべきであるから進化を探る分岐学は分類学の一派であると考えられた。そういうことです。でも、これでは説明になっていなので・・・・以下↓。
分岐学(Cladistics)はしばしば分岐分類学と翻訳されています。実際、一般的には分岐分類学の呼び名で知られています。ちなみに「岩波 生物学辞典 第4版」ではこの言葉は分岐論と訳されています。
しかし、分岐学は進化を探る方法であって分類学ではありません。
では分類学とはどんな学問でしょうか?。分類学は生物を整理、分類するための学問です。そして分類は進化と直接関係はありません。分類をするのに進化という概念は必要ありません。
古代ギリシャ人、アリストテレスは生物を分類しましたが、彼は進化を知りませんでした。現代分類学の祖であるリンネもまたしかり。
ようするに分類という行為は進化という概念をまったく必要としないのです。
つまり分類学と分岐学はまるで違うことを行う学問であり、学問の目的も違うというわけですね。そしてアルゴリズムも違います。
ようするに、分岐学は分類学ではありません。
分岐学は生物の系統を調べるための方法論です。この方法論は1950年、ドイツの昆虫学者Hennig (1913~1976) によって提案されました。彼の名前は日本語ではヘニックとか、ヘニッヒ、ヘンニッヒと表記されることが多いようです。
分岐学はその後、60年代に入ってから英語圏に紹介され、多くの議論のすえに普及していき、同時により洗練された方法になっていきました。
さて、最初いったように分岐学は進化を探る学問です。そして分類学は生物を整理する学問です。ではどうして分岐学は分類学と混同されたのでしょう?。
ダーウィンは進化の原理を明らかにしました。しかしそれだけではありません。彼は人間が生物を分類できる理由も明らかにしました。分類できるということはそこに秩序があるということです。そしてその秩序とは生物の織り成す血縁関係、すなわち系統そのものであること、それをダーウィンは明らかにしました。ようするに生物を分類するという行為は系統があることで初めて可能になっていたわけですね。
そこで、分類学は系統を反映した体系であるべきだと考えられました。そのせいで分類=系統であると考えられることが多いのです。そして多くの人がこう考えました。
分類は系統を反映させるべきである
ところがここで困った問題が生じてしまいます。
系統は人間のためにできているわけではありません。生物は人間が整理分類しやすいように進化してきたわけではありません。それにまた、人間の脳は進化を適切に推測するようなアルゴリズムを持っていません(実際、これを見ているあなたにお聞きしますが、そんなアルゴリズムがあなたの頭のなかにありますか?。すくなくとも私にはありません)。
これではどう考えても問題が起きてしまうはずなのですが、ダーウィン以来、100年もの間、人間は進化を探る適切な方法を持っていませんでした。そのためHennig による分岐学の提案までこの問題が目立つことはなかったようです。
しかし、Hennig 以後、分岐学や系統学が発達すると系統を反映した分類は人間に優しいものではないことが明らかになりました。例えば系統を完全に反映させると分類は非常に煩雑で使いにくくなります。考えてみれば当たり前ですね、人間の整理整頓のために進化が起きているわけではないんですから。
実際、アドレスを見れば分かりますが、このHPの系統のコンテンツもコンテンツ自身の分岐構造は分類的な配置になっているのですよ!!!!!!!。コンテンツそのものを系統を反映させた形式にするとおそろしくたくさんのフォルダを作らなければいけません。
閑話休題
逆にいうと人間がこれまで作ってきた分類の多くが自然のものではないことも分岐学のおかげでばれてしまいました。
古典的に使われていた魚類や爬虫類は系統を反映していません。双葉のある植物も系統を反映していません。ガとチョウという2分類も系統を反映していない、人間本意に作られたまがいものです。反対に系統を反映させると私たちの印象とは違う世界がひろがってとまどいます。ようするに優しくありません。哺乳類は魚類におけるひとつの亜鋼のさらにその一グループになり下がります。ヘビはトカゲの一種ですし、シラミはチャタテムシです。鳥は単なる肉食恐竜で、さほど特異でもなんでもない爬虫類になります。
分類は系統を反映させるべきである。理想論としてはそうなのですが実際にはそんなこと無理なのですね。系統を正確に反映させた分類は整理整頓とはとうてい言えないしろものです。その逆に人間にやさしい分類は系統を反映していません。
ようするに系統=分類なんて無理なんです、折衷案は可能ですけど、どこかに無理があります。
こういう理由で今はこう考える人が多くなっています。
分類学と分岐学はまったくの別物である
そういう理由で、最近ではCladistics を分岐学と呼ぶ傾向があります。分類学じゃないんですから当然ですね。
ついでにいうとダーウィン自身は分類とは人間が便宜的に作った”ありもしないもの”であると考えていました。
参考:
「生物系統学」 三中信宏 1997 東京大学出版会
「系統分類学」 E・O・ワイリー 宮正樹・西田周平・沖山宗雄共訳 1991 文一総合出版
「系統分類学入門ー分岐分類の基礎と応用ー」 E・O・ワイリー他 宮正樹訳 1992 文一総合出版
「種の起源」(上下) ダーウィン 原著1859 岩波文庫
ちなみに知人のドイツ人に聞いたらHennig のことをヘニン(g)と発音してました。語尾のgがちょっとつまるように発音されるような感じでしょうか。そういうわけで、北村の著作、恐竜と遊ぼうやこのコンテンツではヘニングと表記したんですけど・・・。
なお、彼は一般的にはヘンニッヒとかヘニックと呼ばれます。ヘニックというのは英語読みみたいですね。イギリスの人と話したらヘニックって言ってました。
ちなみに、
Phylogeneticsという単語があります。
訳書である、ワイリー 93 pp7 でこの単語は系統分類学と訳されています。同じ単語が三中 97 では系統学とされています。普通、この単語は系統分類学と訳されることが多いのです。実際、上の参考文献のなかにも系統分類というタイトルがありますよね。ですがこのホームページでは三中 97 に従って”系統学=Phylogenetics”として扱います。
同じく三中 97にしたがってCladisticsを分岐学と呼んでいます。