階級と暗記体系

 

 分類階級とは何か?:

 生物の分類には分類階級というものが使われます。なんだそれ?って思われる人もいるかもしれませんが、これは住所をあらわす時に使う、県、市町村、丁、番地のようなものだと言えばわかりやすいでしょうか。例えば手紙は○○県、□□市、△△丁目、**番地と書きますよね。そう指定すれば手紙は届きますし、逆にいえば人間の住んでいる住居はこのように整理されているというわけです。

 この整理の仕方は入れ子構造をしています。県のなかに市町村があり、市町村の中に丁や番地があるってわけです。不等記号で示すと県>市町村>丁目>番地となっている(市町村の大きさについてはここでは示しません)。

 生物もこうした入れ子構造で整理されています。そして分類階級とは以上の県市町村に対応するものです。一般に使われる生物の分類階級は大きな方から

 界、門、鋼、目、科、属、種

と続きます。それぞれの読み方と英語を示すと、

 界(かい:Kingdom)、門(もん:Phylum)、鋼(こう:Class)、目(もく:Order)、科(か:Family)、属(ぞく:Genus)、種(しゅ:Species)

ですね。

 しかし、実際にはこれだけの分類階級では生物は整理整頓しきれません。ですから現実にはもっと多くの分類階級、例えば、区、コホート、系、群、レギオン、連、節、族などがしばしば使われます(他にもっとマイナーな分類階級もあるようです。プロレスってはたしてなんですかねえ?)

 

 なぜ恐竜では分類階級が使われない(あるいはその傾向がある)のか?:

 さて、最近の恐竜の論文では分類階級が示されないことがけっこうあります。また普通に使われる恐竜のグループ名、コエルロサウリアとかサウリスキアなど、あるいはティタノサウリフォームスやアンキロポレクシアなどにも分類階級が提示されていません。なぜでしょうか?。

 じつはこれ、系統を正確に反映した整理整頓方法をどう構築するか??という悪戦苦闘のあげくに、さまざまな提案がなされた果てのひとつの解決策なのです。その方法とは、

 分類階級を放棄する

整理整頓の体系、これは分類、ということですが、なぜ分類は入れ子構造になるのか?。この疑問が現代的な意味で解きあかされたのは150年あまり前、ダーウィンが「種の起原」を書いてからです。詳しくは岩波文庫「種の起原」を読んでもらうとして、ダーウィンが示した答えとは、分類の入れ子とは、生物の系統関係を反映したものだったというものです。分類体系の入れ子は生物の系統の分岐を(ある程度)反映したものだった。

 しかしここで問題が生じました。生物の系統関係を正確に反映した分類体系を作ろうとすることと、生物を整理整頓しようという動作はお互いに矛盾します。考えてみれば当然で、生物は人間が整理整頓しやすいように進化して系統を分岐させてきたわけではありません。また、整理整頓しようという試みには動機にも動作にも系統を推論するようなアルゴリズムを組み込んではいませんでした。

 だから系統を反映した分類体系を分類階級で正確に作ろう、という動作にはどこかしら無理が生じます。これには様々な妥協案がそれぞれの研究者から提案されましたし、その解決策も分野によって違うようです。これは北村の感想なのですが、普通、科学のそれぞれの分野にはそれぞれ大きな影響力を持つ切れ者の研究者っていますよね?。

 そしてその人がいる分野の置かれた状況や、その人の提案、それにスタンスはそれぞれ違います。だからそれぞれの分野でそれぞれの研究者から提案が行われ、それで違う対応策がとられているように思えます。

 例えばネルソンによる魚類の系統関係を示した[Fishes of the World 3ed] John Wiley & Sons,Inc 1994 では分類階級に大きな変化をもたらさない程度に調整して系統を反映した体系を作っています(ただし陸上脊椎動物が亜鋼扱いとなる)。

 恐竜などの場合、陸上脊椎動物や爬虫類の系統推定で先駆的な研究を行ったイェール大学の教授、ジャック・ゴーティエの提案した方法が使われています、この方法は、系統の分岐点ごとに名前はつけるが分類階級は放棄する、というものでした。だから爬虫類である恐竜では分類階級が使われない傾向があるのでしょう。

 

 なぜ系統を反映した分類体系が必要なのか?:

 さて、人によっては系統を反映させた非常に複雑な分類体系を提示されて、めんくらって、こう問いかける人もいます。

 なぜ分類に系統を反映させるのか?、そんな必要があるのか??

 系統を反映させても使いかってが悪いだけじゃないか

なるほど、まあたしかに言わんとすることは分かるのですが、でもこの疑問ってじつは整理整頓だけを目標にしている人がする発言ではないでしょうか?。例えばもしも自分が科学する立場に身を置くことを考えると、こんな発言(少なくともこうもストレートな形で)でてくるわけがない。

 例えば、生物の進化や血縁関係、その歴史を”系統を反映しない分類群”を使って論じることを考えてみましょう。ようするにそれはつまり、

 系統を反映しない単語で系統を論ずる

ということなのですが・・・。これでは単に論理が狂ったおかしな会話になってしまうでしょう。じっさい、ちょっとした会合で講演者の話しを眼を白黒させて聞いていた研究者が講演者に質問、

 すみません、あなたの話している分類群は側系統群(<系統を反映していない分類群)ですか?

 ああ、そうです。説明するのを忘れていました

 ああ、ようやく分かりました

こんなやりとりがあったりしましたからね^^)。

暗記したい人は時々、系統を反映した分類群なんて利便性がないよと言いますが、じゃあ系統を論ずるための利便性はどうなっちゃうんでしょうねえ?。自分達には関係ないからどうでもいいんでしょうか?。

 

 暗記のためだからなんですか?:

 さて、北村みたいな人間でも時々、人に質問されてこんな会話をかわします。

コエルロサウリアやマニラプトラの分類階級はなんですか?

ないですよ。

なんでですか?。

この後、どう説明してもどうにも相手が納得してくれなかったり、あるいは全然わからないといわれたりします(そういえば研究者から聞いた話では、分類階級がないのでマニラプトル類とかコエルロサウルス類といって分類階級を使わないで話していたら、ごまかさないでくれ!!とファナティックに言ってきたおっさんがいたとかなんとか・・・)。

 なぜこんなことになってしまうのでしょうか?。

最近思ったのですが、こういう質問をする人は分類体系を純粋に整理整頓する方法としてとらえていて、そしてその具体的な方法を知りたいから質問しているわけですよね?。そもそも整理整頓の体系とは収納術のようなものなので、収納できさえすればそれでいい。さらに、科学や会話における利便性とか文章として整合性があるかないか?とかそんなことはどうでもいいのではないか。

 だから、

 分類体系とはもともと生物の系統を反映したものだし、それを考えてウンヌン・・・

と話してもそんなこと彼らにしてみれば、なんのこっちゃ?、でしかないのではないかと。だって相手にしてみたらそんなこと聞いていない。彼らは収納術を聞いているのだから、収納のやり方だけ知りたいはずですよね?。

 つまり彼らのフラストレーションの原因は、言われたことが全然わからん、ではなくて、そんなこと聞いてない、なんですよ、おそらく。

だとしたら意志の疎通ができないのも当然なのですな。片方は収納術を聞きたくて、片方は系統推定と仮説の検証について話している。

 これでは会話が噛み合うわけがない。

 また、こういう人たちは分類と系統をごちゃまぜにしているので、系統学における(恐竜に興味のある人たちには系統推定のアルゴリズムのうち、最節約法が分岐学とか分岐分類学として知られている)系統仮説のテストが理解できないらしく、テストを分類のあわただしい変更と受け取るらしい。実際、新しい分類群がおびただしく出現した!!と眼の色を変えた人や、恐竜学は答えが数年であっというまに変わる目まぐるしい分野であるといった人と何人も会います^^;)。

 興味深いことに分類とは暗記や収納術だと思っているせいか、そういう人は系統仮説のテストと、ひいては分岐学にものすごく不信感を覚えるらしい。それは動機としては非常に理解しやすい。他のコンテンツでも書きましたが、暗記と収納術とは安定的でなければいけない。しかるに科学者は新しいデーターを加えて答えの確からしさを検証するのだと、安定的であるべき答えをガンガンぶったたいてテストする。

 科学者は検証しているだけだけど、暗記したい人には(多分)これはたまったものではない。安定的という価値観からすると科学とはまさに悪魔の所行なり。こういうわけで、北村個人としては旧来の恐竜好きな人が分岐学に抱く不信感の原因をおぼろげながら理解できたように思えます(ただしこの説明が確からしい説明かは、また確かめなくてはいけないのでしょうけど)。

 ようするにしばしば遭遇する会話のくい違いとは、結局のところ暗記したいのか?、検証したいのか?、暗記して楽しむのか、あるいは検証の過程を追うのか、その違いであり、ようするに両者にあるのは暗記と検証の断絶なのではないかと思う次第。まあ次ぎの若い世代の人はそうはならないで欲しいものでありますね^^)。それにしても、これがかの名高いパラダイムシフトってやつですかな?。

 ちなみにグループづくりという動作がしばしば権威主義になるのは当然かもしれません。ある人がいいましたが、権威が複数あると異なる意見が出現するので体系が不安定になる。つまり暗記には不都合になる。だからグループづくりに望ましいのはたったひとつの権威であろうという。つまり強力な権威主義がグループづくりには望ましい。これは正しい指摘ではないかと北村は思います。

 

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